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『ちょっと昔の道具から見なおす住まい方』山口昌伴(王国社)

ちょっと昔の道具から見なおす住まい方

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「消えたのに忘れることができない道具を巡って」

明治生まれのおじいちゃんの遺品を整理していた友人が言った。「おじいちゃんと一緒に暮らしていたころは食卓に家族それぞれの箸箱を置いていた。大切にしていたんだけれど、いつのまになくなったんだろう」。私にとっては箸箱なんて子どものころにお弁当に持っていったくらいで、しかもたしかパティ&ジミー柄のプラスチックのものだった。という話をしたら、その家ではおじいちゃんが木でそれぞれの箸入れを手作りしてくれたのだと言う。大きさや柄もばらばらで名前も彫ってあったそうだからさぞや大切なものだったろうし、だからこそその家の特別に素敵な思い出だと思っていた。

山口昌伴さんが『季刊道具学』(道具学会)で連載していた「くらしの道具小事典・消えた道具たち——そして失ったもの」をまとめた『ちょっと昔の道具から見なおす住まい方』に、その箸箱が出てくる。山口さんも子どものころは、茶箪笥から家族それぞれの箸箱を取り出してちゃぶ台に並べたそうである。私が知らなかっただけで、同じような記憶を持つかたはたくさんおいでなのだろう。『延喜式』(927)に「彩女に八枚手箸筥」などあることから中国にそのモデルがあるであろうこと、『西鶴織留』(1694)には「朝夕お主のお影と箸箱をいただき」とあり町人に広まっていたことなどを示したうえで、山口さんご自身は「けっこう大事にしていた」のにいつごろから使わなくなったのか覚えていない、と言う。無くなったことを忘れるくらいならもともと無くてよかったものなのか、なのになぜあんなに大事にしていたのか——。「箸箱の喪失の意味を考えさせられ」、「失われたのは私自身か」とまで書いている。

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山口さんが会長をつとめる道具学会では、「道具」を「より人間的なる生活の道に具える多様な人工物の総称」とする。快適と便利をはじまりの目的とする道具には夢と喜びがあり、愛用される道具には美と情が頬寄せてくるいっぽうで、よりよい暮らし、よりよい道具への渇望と慣れが、消えた道具への無関心を呼び込む。この本では、少し前の時代の身の回りから消えた道具と、それによって失ったものをひとつずつ検証し、道具の宿命である便利の「見わけ」を呈してゆく。たとえばこうだ。

「文明の華」のひとつとしての冷蔵庫は、乾物箱を一気に野暮へとおしやった。ひからびた、例の見た目の地味さもあっただろうが、家庭の食は乾を忘れてひたすら生へと一直線。気づけば、食の保存にかたむけてきた知恵回路をいつしか自ら断ち、食品の鮮度は目鼻舌ではなく賞味期限という印刷文字で知ることを選んでいた。冷蔵庫は今も年々多機能化を進めているが、所詮「生ものを保冷しても、どれだけがんばってもわるくなる一方」なのだよと山口さんは言う。冷蔵庫に求めた便利と乾物箱が担っていた便利は異なるのに、蒙昧はいともたやすい。

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ほかに、ほうろく、七りん、すりこぎ、漏斗、トタンのバケツ、手拭、ぞうきん、洗濯板、踏み台、火鉢、たたみ、ざぶとん、床の間、障子、硯、千枚通し、肖像写真、荒神さま、上り框、生け垣、リヤカー、川舟……など、全77の道具が並ぶ。鰹節けずりは、普請大工さんが使った鉋のチビたやつを嵌めて「せいぜい鰹節でも削っておくんなせい」と置き土産したものだそうである。実家にあった鰹節けずりはボロくてひきだしもなかったが、大工さんがくれたものだったのかもしれない。比べて、5年前にはりきって(一生ものだからとか言って)買った鰹節けずりは立派で大袈裟だったが、1本けずったっきり棚の奥。消えた道具をやたらに取り戻してみたところで、もっとたやすく消え去るばかりだ。

ある道具がなかったころ、私たちはその道具によって暮らしをどう良くしたかったのか。そのためにどんな工夫を重ねていたのか。それぞれの道具が生まれる前のいわば母親のお腹の中にいた時間への共感なくしては、道具は生まれても生まれてもどんどん忘れ去られてゆくだろう。消えても忘れることができない道具、それ自体が減ってゆくのは、個々の記憶が重なりを失ってゆくことでもある。


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