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『S先生のこと』尾崎俊介(新宿書房)

S先生のこと

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「愛弟子の独り語りを夜中に聞く」

本格的にアメリカ文学を学ぶ意欲に燃えた大学3年生の尾崎俊介さんは、ゼミの教授のすすめで宮口精二似のハンサムでスリムだがとっつきにくいS先生こと須山静夫先生(1925-2011)の授業を受けることになる。非常勤の先生のお手並み拝見とばかりに始めたが、古武士然とした風貌から振り下ろされた刀のごときひとことをきっかけに真っ向から向き合うようになり、やがて自宅にも訪ねるようになる。本棚や地下室を自作したり庭の草花の種類を数えたり、本を読むときには必ずノートをつけるといった徹底ぶりは仕事でも同じで、訳す作家の全作品を読んで言葉の好みや癖、考え方までつかむものだから、作家についての論文もいつも必ず書き上げてしまう。ある言葉の解釈に迷ったら「この言い回しを別の作品で○回、こういう意味で使っている」といった分析をし、〈作者の頭の中に浮かんだ言葉の順序を、翻訳者が勝手に変えてはならない〉と、原文の語順にも忠実であろうとしたそうである。


オコナー、メルヴィル、『ヨブ記』を下敷きにした戯曲など課題が難解であるほど、自分たちへ投げられたチャレンジと思ったと尾崎さんは書いている。最初の妻を病気で失い息子を車の事故で亡くしたご自身の境遇を重ね読んでいることなど、学生に知らせる由もない。先生にとって〈文学作品を読むことは人生を賭けた一大事だった〉が、あるときから授業でアメリカ文学作品を読むことをきっぱりとやめ、聖書を講読し、還暦を前にして原書で『ヨブ記』を読むためにヘブライ語を独学し、エルサレムに巡礼にもでかけたという。愛する人に先立たれた自分を生きるために、須山静夫さんは文学と信仰を携えた。

     ※

ウィリアム・スタイロン『闇の中に横たわりて』(白水社)、フラナリー・オコナー『賢い血』(筑摩書房)、ハーマン・メルヴィルクラレルーー聖地における詩と巡礼』(南雲堂)など優れた訳業を残したアメリカ文学研究者の、ストイックな精神をあらわにする人物伝である。しかし、読み終えてのこの穏やかさは何だろう。恩師の訃報を受けて1週間あまり、途方に暮れた愛弟子が声高に誰かに聞かせるでもなく思いつくまま恩師について独り語りしているのを、盗み聞きしたようである。夜ごとの楽しみのようにしてついにすべてを聞き終えたとき、すぐにそれを誰かに言いたいとは思わなかったし、この本の頁さえすぐにはめくり返したくなかった。しばらくほおっておいてもらいたいーー。読後の余韻を今度は自分が独り語りしたかった。



なぜだろうと考える。抑揚のない丁寧な言葉遣い。誰かに語りかけるような、それでいて相手を感じさせない。ときおりの長い引用。若き日の意気がり、そのときの精一杯。同じ研究者となった今だからわかること、戸惑い、憧れ、笑い。よどみのない語りはこのお二人のよどみない関係そのものである。前後する時間は筆者のこころに浮かんだ順番そのままのようで、それぞれの人生のうちの30年を親しく過ごしたお二人の、30年以外の長い時間を感じさせる。よどみなく語られた30年以外の時間はこのあとどんどん長くなる。長く、前後に深くなり、穏やかになる。



そうだ、これは尾崎さんが、ご自分の30年に重なった須山先生の30年を、恩師の翻訳哲学を踏襲して”翻訳”してみせたのだ。フォークナーの『八月の光』を訳しながら登場人物のリーナ・グローヴの涙にいっしょに泣いた恩師のように、恩師の小説「ボイジャー二号に乗って」(短編集『腰に帯して、男らしくせよ』所収)を読みながら尾崎さんは泣いた。本書にはその一部が引用されており、尾崎さんが読みながら泣いてしまったと書いたところを読む前に、そして私も泣いていた。訳書を読み誰もが直に泣いている。


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