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『量子の社会哲学―革命は過去を救うと猫が言う』大澤 真幸(講談社)

量子の社会哲学―革命は過去を救うと猫が言う

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 去年読んだいくつかの本に共通して出てきたモチーフが“量子力学”だった。――めでたく大団円を迎えた沖縄SFマンガ『ナチュン』、三島賞受賞の『クォンタム・ファミリーズ』、ベストセラー『宇宙は何でできているのか』。

 『ナチュン』や『クォンタム・ファミリーズ』では、瞬時に複数個体の意識が重なり合ったり時間旅行ができたり、量子ってつければ何でもアリ?!と何だか妙にワクワクするというか狐につままれるというか、まあ楽しくお話にハマれて良かったのだが、ちゃんとした科学啓蒙書である『宇宙は何でできているのか』を読んでみても結局、もうこの超わけわかんなさが痛快!という境地にしか辿り着かず、量子力学の摩訶不思議な魅力はいや増すばかりだった。

 それで、今年最初の読了本になるだろう1冊に選んだのが本書『量子の社会哲学』である。去年あれだけ下準備(?)したのだから、なんとか歯が立つだろうと思って読んでみた。結果、歯が立ったのかどうかは今のところかなり疑わしいが、引き込まれるようにぐいぐいと読み進まされ、いくつも興味深い知見が得られもし、そしてやっぱり、量子力学ってわけわかんないけど魅力的だと感じている。

 本書の基本的な構成は、ニュートン以降の科学革命を同時代の人文社会科学的な知の変革の歴史と重ね合わせていくというものだ。ニュートンと中心遠近法やデカルトが、アインシュタイン印象派や探偵小説やフロイト精神分析が類比されるあたりまで(ちょうど頭から3分の1くらいまで)は、まだなんとなくついて行けるような気がする。が、

ニュートンの物理学は、宇宙を外部から観測する超越的な視点を前提にしていた。アインシュタイン相対性理論が、そのような超越的な視点を排除したわけではない。(中略)言い換えれば、光の超越性は、アインシュタインの理論において、真に確立したと言える。(中略)相対性理論の段階では、まだ、ニュートン的な段階からの真の断絶はやってきてはいない。第一の科学革命の成果からの真の離脱は、その後に、つまり量子力学の登場したときに生ずるのである。

という高らかな宣言とともに第Ⅳ部以降展開される議論のなかで、量子力学そのものには到底想像力がついて行かず、結局『宇宙は…』のときと同じワクワクするような眩暈の感覚がもたらされるばかりだ。

 たとえばひとつだけ、たぶんその筋では有名な話なのだろうが、副題にも出てくる「シュレディンガーの猫」について。

そこにあるのは、「実際には猫は死んでいるか生きているかのいずれかなのに、われわれはそれを知らない」という状態ではない。そこには、「五〇%生きており、五〇%死んでいる猫がいる」と考えざるをえないのだ! これが量子力学の教えである。しかし、それはどんな猫だろうか?

ほんとに、どんな猫なんだか……。

 もちろん量子力学そのものがちんぷんかんぷんなのは当然で、もっぱらそういうのを体験したければ専門の教科書を読むのがいいだろう。本書の後半は、量子力学の神秘的だが科学的ないくつかの知見が著者の脳裏に呼び覚ました、同時代の人文社会科学における知的営為を列挙することに費やされる。ピカソ以降のキュビスムフロイトユダヤ教起源論、レーニンの革命論、カール・シュミットベンヤミンの社会論など、どれもが量子力学と何がしか同型なのだ、と。

 それぞれの議論は難解だし、それってこじつけじゃないの?と眉唾感がよぎったりもする。けれどよく考えてみると、そういう眉唾の感覚のほうが深刻な偏見かもしれない。確かに20世紀の初めから文化も社会も国家も経済も、人間のあらゆる社会的活動はどこか根本的に変質してしまって、しかもその変質には一定の傾向のようなものがあると感じられる。モーツァルトやベートーベンのような(荘厳に過ぎ、神や人間を礼賛するに率直過ぎ、喜びも悩みも悲しみも全てがストレートで大袈裟に過ぎる?)音楽がもはやこの現代に新たに生み出されることはないだろうと、実感をもって了解できてしまう現実がある。

 そしてもちろん、そのような変質が量子力学の誕生を原因とするのだ、ではただのトンデモで、本書が捉えようとしているのは、量子力学の誕生という物理学の変質も含めた、それら前世紀以降の人間社会諸側面の変質を貫いている同型性――徹底した不確定性・決定不可能性、普遍性や因果関係や時間性のゆらぎといった繰り返し出てくるパターンそのものだ。読者は、そして著者自身も、そのパターンを取り出し並置し吟味・鑑賞することで、とびきりの知的興奮と得も言われぬ不安定な感覚を体験していく。

 あとがきの以下の文章が、本書に充満するある種の熱気、“ぐいぐい読まされる”感の源を明らかにしていて、印象深かった。

私は、今まで何冊かの本を書いてきたが、本書ほど、自由な気持ちで書いたものはなかった。その意味で、執筆は、たいへん楽しかった。

量子力学への興味は尽きない。もちろんSFも楽しいが、そのうち、もっと突っ込んだ入門書にも挑戦してみたい。きっと歯が立たなくて、高校時代に数学に身を入れなかったことを後悔しつつ投げ出すことになるだろうが、それはそれで構わないのだと思う。

(販売促進部 今井太郎)


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