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『乾隆帝-その政治の図像学』中野美代子(文春新書)

乾隆帝-その政治の図像学

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マニエリスト皇帝のテアトロクラシー

バルトルシャイティスの『アナモルフォーズ-光学魔術』は、加筆増補が行われなければ、明・清の中国宮廷における驚異の歪み鏡、歪曲遠近法の流行を記述したところで終っていたのである。こうだ。

とまれ表れ方の違いなど、大したことではない。どういう仕方でつくり出されたにしろ、反射光学的アナモルフォーズは、同じ星宿(シー)/空気(ニユ)のもと、いたる所に広がり、いたる所で繰り返される。超自然と現実が渾然と混り合った中国でも、当時、科学自体が一個の驚異(メルヴェイユ)とみなされていたヨーロッパでも、こうした驚異-機械が、人々の偏倚(へんい)なもの、驚くべきもの、不可能なものへの渇望に応じたのである。人々を魅了し、人々を娯しませ、自然の法則およびそれを支配する人工-虚構について思いをめぐらせるよう人々を誘ったのが、まさにこうした光学遊具なのである。それらはまた、現実を融解し歪めて、幻戯(イリュージョン)の世界に取りこんでしまう荒ぶる戦略を通じて、絵画の持つ力を逆説的に差し示し、絵というものの魔的(féerique)な本質を明らかにした。
(高山訳、pp.263-264)

いってみれば、これがあの伝説的名著の最後の一文。余韻が残る。是非にも読みたい、その先を!

間に宣教を任としつつ稀代のエンジニア、理系の天才でもあったイエズス会士たちが介在したことは、周知の如くである。その交渉の結果を少し面白すぎるほどに書いたジョナサン・スペンス『マテオ・リッチの記憶宮殿』(平凡社)の魅力は、いまだに薄れない。

バルトルシャイティスが引く、北京イエズス会布教会館中庭の壁上の混沌絵が、見る人の位置によってはっきりした像になったりならなかったりという典型的なアナモルフォーズを皇帝が見て喜んだとする記述は、デュ・アルド師の『支那帝国会誌』(1735)による。湯若望アダム・シャールの後任として北京天文台長、欽天監をつとめたイエズス会士、南懐仁フェルディナント・フェルビーストの記述によると、そうした天覧アナモルフォーズ企画で名を馳せたのは閔明我ことフィリッポ・マリア・グリマルディであるということなので、好奇心満々の皇帝とは即ち康熙帝のことらしい。

アナモルフォーズ』一番の魅力は、大アカデミー中庭に文字通り百学が連環する所を描いたセバスチャン・ルクレールの寓意画、『美術・科学アカデミー』(1968)の仔細な分析にあるわけだが、北京イエズス会館がさぞかしそれそっくりであったものと想像されると、バルトルシャイティスに結ばれてみると、確かに「想像」の飛躍は果(はた)てもない。こうして火を点ぜられたまま放りだされる我々の想像力の不完全燃焼を十分に補ってくれたのが、間違いなく中野美代子カスティリオーネの庭』(文藝春秋)だった。円明園造園を果たした郎世寧ジュゼッペ・カスティリオーネは、雍正、乾隆両帝の殊遇を得た銅版画と土木工学の名手である。

清の皇帝たちは何故こうも機械-マニエリストなのだろうかという興味は、とめどもなく掻きたてられるばかりである。それに「政治図像学」という観点を構えて全面的に答えてくれる逸品登場。それが『乾隆帝』である。

ぼくは江戸の光学趣味を追い、ジャパノロジスト、タイモン・スクリーチ『大江戸視覚革命』(作品社)を訳す中に、光学狂いの乾隆帝の噂を知らぬ江戸識者などいなかったとあるその事情を、中野女史か、愛弟子武田雅哉氏のどちらかに尋ねようと思った。結局、武田氏から情報を得ることになったのだが、考えてみれば、そもそも『アナモルフォーズ』中の中国を論じた章に目通し願い、焦秉貞(しょうへいてい)の『耕織図』だの「透光鑑」をめぐるバルトルシャイティスの誤りを指摘していただいたのが、他ならぬ中野先生であったのだから、女史との交流もバルトルシャイティスが機縁である。

乾隆帝の自らと自らの為政に対するマニエリスム帝王らしい自意識と計算が「政治図像学」としての「絵」に読みとれるというのが、この小さな大著の眼目であるが、中野氏自ら訳された(共訳)ウー・ホンの『屏風のなかの壷中天-中国重屏図のたくらみ』(青土社)によってさらに洗練された観点であるに違いない。諸事情で一度宙に浮きかけたウー・ホン本実現のため、ぼくも奔走したが、そういうことの成果を一読者としてこうして享受できる、とかとか、女史との縁は思わず深い。

乾隆帝の「だまし絵」的アナモルフォーズ好きの解読が面白いし、円明園はじめ、そのつくりだした空間のいちいちに実現される帝の脳裡の政治-地勢図の解明は、長年の研究の成果の一切を図像解析に収斂せしめることに成功した東方の女バルトルシャイティスひとりに可能な自在無碍(むげ)の手練とみた。まさしく乾隆帝コードを解き続ける読みものとしても第一級の逸品ではあるし、遠近法や造園作庭といった術(アルテ)にこそ顕著な「空間政治学」(マルティン・ヴァールンケ)、「視覚改革の治世学」(タイモン・スクリーチ)の傑作である。

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