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『セリーヌ――私の愛した男』 デトゥーシュ&ロベール (河出書房新社)

セリーヌ―私の愛した男

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 セリーヌの二度目の妻、リュセット・デトゥーシュの回想を、彼女の舞踏の弟子であるヴェロニック・ロベールがまとめた本である。

 各章の頭にはロベールによる短い紹介文がおかれているが、マリー・ローランサンの絵を思わせるような少女趣味の文章で、セリーヌの作品との落差に戸惑う。リュセットの回想部分では苛烈な人生が語られるが、少女趣味の残り香がだだよっていて、女どうしの親密な打ちあけ話を盗み聞きしているような気分になる。

 リュセットがセリーヌとはじめて出会ったのは1935年。リュセットは23歳の修行中の舞踊家。セリーヌは41歳で、第二作『なしくずしの死』を完成した直後の絶頂の時期。リュセットは以後、セリーヌのそばを片時も離れず、ナチス・ドイツ退却後の亡命にも同行し、修羅場をともにしている。亡命三部作に登場する「リリ」が彼女である。

 邦訳には「踊り子リュセットの告白」とあって、「リリ」と重なるが、実際のリュセットははるかにたくましく、毅然とした女性だった。「踊り子」という表現も誤解をまねく。貧しい生まれだったのは事実だが、生来の才能と努力でパリのコンセルバトワールを卒業し、オペラ座で踊った後、独自のメトードを編みだし、舞踊の教室を開いている。教室にはプロの舞踊家や名流夫人がレッスンにかよい、繁盛していた。ムードンの豪邸(実は豪邸だったのだ)を買ったのも彼女の甲斐性である。

 印象的な条を引いてみる。

 センチなひとだった。なんでもとっておくフェチシストだったわ、古い壊れた母親の鍋まで。彼を識るのに二五年かかった。彼のことを説明するのは難しい、でも理解するのは容易だった。たいてい彼は考えてるのと反対のことを言ったから。優しさを見せたがらない。それで攻撃する。わたしに対してだってひどいもだった。

 彼との一生はまるで心臓の中でコップを割られてるみたいだった。彼は絶えず茎を支えていなければならない一輪の花みたいだった。わたしは支え通した。

 ジャーナリストたちがこの怪人を訪ねてムードン詣でをするようになると、彼はいっそう怪人ぶるの、彼らの払うお金のために怪人を振る舞うの。役を演じてたの、自分自身を自分の戯画にして。ひとがそれを真に受けるとほくそ笑んでたの。

 晩年のセリーヌは世間から爪弾きされて悲惨な生活を送ったのだろうと思いこんでいたが、そうではなかったらしい。フリーメイソンから勧誘(!)され、入会こそしなかったものの、地下集会場までいって儀式を見たというし、ガリマール書店にとっては売れっ子作家で、出版顧問のロジェ・ニミエを通じて影響力をもっていた。世界各地から研究者というか崇拝者がムードン詣でをし、気にくわない研究者は怒鳴りつた。ヘンリー・ミラーに対しても自分の模倣者と決めつけ、けんもほろろだった。フランス社会にとって困った存在には違いなかったが、裏では支援する人がすくなくなかったわけだ。

 後書には訳者の高坂和彦氏がムードンを訪ね、リュセット未亡人にあたたかくむかえられた経緯が書かれているが、本篇からは見えにくい未亡人の生活がわかって興味深い。高坂氏は「私の足を遠のかせたのは、それがやはり、セリーヌの避けた、セリーヌのものではない世界だったからである」と書いているが、セリーヌが戦後の不遇時代を生きのびることができたのは、そのセリーヌのものではない世界のおかげだといっては言いすぎだろうか。なお、墓石には Non とだけ刻まれているというのも嘘で、実際はヨットの線画が彫刻されているそうだ。

 リュセット未亡人は日本贔屓だそうで、彼女はセリーヌの没後、外国をたびたび旅行しているが、最初の滞在先に選んだのは日本だった。『夜の果てへの旅』は多くの監督から映画化の申しこみを受けているが、彼女は大島渚ならいいと言っているという。

 大島監督にその気がなく、映画化は実現しなかったが、北野武だったらどうだろう。セリーヌには大島渚より、北野武の方が合うような気がする。リュセット未亡人が健在なうちに、北野武監督による『夜の果てへの旅』が実現しないものか。

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