『アルジャジーラとメディアの壁』石田英敬・中山智香子・西谷修・港千尋(岩波書店)
●「映像の地政学 ――情報戦争、世界化、メディア」
極東の四人の研究者が、中東の砂漠の島を訪れる。グローバリゼーションが進行し、米欧の主導によって世界の一元化が進展しているなか、この島は、それとは異なったオルタナティヴな視角から世界を捉えて映し出す、極めて重要な機能と役割を持っているという。そこでは、情報の伝達のみならず、その発信の地政学的効果によって、グローバル化された世界と情報のユニラテラリズムに重層的に働きかけ、西側メディアのさまざまな問題を突き崩し、世界の実相を逆照射し、世界を変容させるという果敢な試みが展開されている。またそこでは、世界化された情報秩序やメディア市場に対して偏向のない独自の回路から問いを付すようなトランスナショナルな公共空間の構築が企てられている。情報記号論、経済思想史、思想文化論、映像人類学と、専門を異にする四人の研究者の目的は、この島のうえに実際に立ち、その経験を通して、それぞれの立場から、現代のグローバル・メディアの構造的問題について考察することである。彼/彼女らの考察は、強大な帝国の圧力を受けながらも、その独自性を維持し活発な活動を繰り拡げるこの島の報道姿勢に対する共鳴と共感によって結びつけられている。極東の四人の研究者とは、石田英敬、中山智香子、西谷修、港千尋。この中東の砂漠の島は、アラビア語で文字通りの「島」、すなわち「アルジャジーラ(Al-Jazeera)」というカタールの小さな衛星テレビ放送局である。とくに2001年9月11日以降、西側メディアを通じて、この島の名前とロゴマークは数多く目にされているはずだ。
本書は、石田、中山、西谷、港の論考と、港の撮影した写真やアルジャジーラ・ネットの写真、そしてアルジャジーラの倫理規則や略年表、スタッフの紹介やインタビューによって重層的に構成されている。はじめに、西谷によって日本のメディア状況の概観――アメリカへの追従とドメスティックな市場――が示され、それと対比するかたちで、アルジャジーラの特徴――グローバルかつジオポリティックな意味性――が提示される。そして、著者四人によるジャミール・アザールへのインタビューが行われる。アザールは、アルジャジーラの創設以降、現在に至るまでの経緯を簡潔に説明し、そのなかで彼がどのような考えを抱きながらジャーナリストとして活動してきたのか、グローバル・メディアとしてのアルジャジーラが情報戦争のなかでどのような役割を演じているかといった報道姿勢に関する問題について、現場の視線からひとつひとつ言葉を積み重ねていく。本書には、アザールのほか、ハサン・イブラーヒーム、ニダール・アルハーミー、マフムード・アブドゥルハーデー、ユースフ・アッシューリー、ムスタファー・ソアーグといったアルジャジーラを支える現場スタッフたちの紹介とインタビューが所収されている。彼らの発言を通して、アルジャジーラの使命感や緊張感、ジャーナリズムへの意志が経験的に伝えられる。それだけでも、本書が資料的な価値をもちうるものだということがわかるだろう。
これらの取材調査を基盤にして、四人の考察が展開される。港は、情報通信産業の潜在性とデジタル映像の偏在性に着目し、そこにおけるアルジャジーラのニュースの特徴を描き出していく。ここでは、ニュース映像に刻まれている「複数的な文脈に属する複数的な時差」が「持続としてのリアルタイム」の枠組みのなかで構築されていることや、アルジャジーラの報道が「記者を現地に送り、事実を伝える」という「基本的なこと」によって成り立っていることが指摘される。そのジャーナリズムの姿勢は「アラビア語放送」や「女性の地位」といった「表現」によって担保されている。次いで、石田は、アルジャジーラを「ダイクシス」や「テレテクノロジー」の側面から照らし出すとともに、「1991」から「9・11」へ至る「メディアの中の戦争」の実相を「イメージ」の問題として考察していく。アルジャジーラの「テクノロジーの文字」、とりわけコンピュータ・グラフィックスやデザインに注目するという着眼点は極めて重要である。そして、中山は、アルジャジーラ訪問へ至るまでの経緯を簡潔に説明し、現地調査で判明したスタッフたちの組織の実態や、アルジャジーラの「PR/倫理規定」、あるいはその「グローバルな志向」について報告する。そこから、グローバル・メディアとしてのアルジャジーラの独自の立ち位置が分析され、そのジオグラフィックな重要性が提示される。最後に、西谷は、湾岸戦争以降の情報や映像のユニラテラリズムを徹底的に批判するなかで、メディアウォールを突き崩す運動の一環としてアルジャジーラを捉え返す。ここでは、アメリカによってコンテクスト化されたメディア状況のなかで、アルジャジーラが「第三者」の位置から「客観報道の原則」を貫いていること、そのことによって、アルジャジーラが現代世界のメディアの実際的問題を炙り出していること、さらに、アルジャジーラがトランスナショナルなメディアとして、アラブ・イスラームの共通意識の空間を「公共圏」として浮かび上がらせていることなどが明らかにされる。西谷によれば、そこには、西洋的政体の移植とは異なった、アラブ・イスラーム世界のオルタナティヴな「民主化」の地政学的戦略が込められている。
本書は、カタールへのわずか四日間の滞在をもとに構成されている。また、四人の執筆者のなかには、アラブ・イスラームの専門家が含まれていない。そのため、分析が細部にまで展開されず、記述が希薄なところが見受けられるのは事実である。しかし、本書は、BBCやCNNと比して、あまりにも知られていないアルジャジーラについて少しでも知るためには、グローバル性の研究という視点からみて、非常に適切な認識のツールであるように思われる。また、現場スタッフのインタビューや、スタジオの写真などは重要な資料となるだろう。今後本格的に展開されるべきアルジャジーラ研究にとってのひとつの布石となることは間違いない。アルジャジーラは現在、ジャーナリストの養成事業の展開や、研究センターの開設、英語放送の開始、新たな支局の設置、多チャンネル化、ウェブサイトの拡充など、非常に大きな変化の只中にある。このメディアのグローバルな展開は、「世界」と「メディア」にさらなる影響を与え、新たな問題を投げかけつづけていくことだろう。本書の著者とともに、私たちは、アルジャジーラという「島」の行方と、その在り方――トランスナショナルな公共空間の構築やメディアウォールの突き崩し――が世界にもたらす効果について、注目していくべきである。
・関連書籍
Gearóid Ó Tuathail, Simon Dalby, Paul Routledge (ed.), The Geopolitics Reader, 2nd edition, Routledge, 1998/2006.
Khalil Rinnawi, Instant Nationalism: Mcarabism, Al-jazeera, And Transnational Media in the Arab World, University Press of America, 2006.
Olfa Lamloum, Al-Jazira, miroir rebelle et ambigu du monde arabe, La Découverte, 2004.(『アルジャジーラとはどういうテレビ局か』、藤野邦夫訳、平凡社、2005年)
西谷修・中山智香子編『視角のジオポリティクス――メディアウォールを突き崩す』、東京外国語大学大学院21世紀COEプログラム「史資料ハブ地域文化研究拠点」研究叢書、2005年。
・目次
日本のメディア状況――まえがきに代えて(西谷修)
■ジャミール・アザール インタビュー
アルジャジーラと戦争の時代
創設の時
9・11以降
メディアウォールとアラブ
アラブのグローバル・メディアとして
アラブ・ネットワーク
ジャーナリズム論
グローバルな情報戦争の中で
情報産業の潜在性
ニュースの複合空間
効果としてのビンラディン
持続とリアルタイム
基本的なこと
矛盾のなかで
2.世界化と情報秩序――「アルジャジーラ・テレビ」断章(石田英敬)
0.テレビ的媒介
1.情報の世界秩序
2.メディアのなかの戦争
3.アルジャジーラ・モーメント
4.アルジャジーラTV局スタジオへようこそ
■アルジャジーラのスタッフたち
■アルジャジーラの足跡
■アルジャジーラ 倫理規定
1.アルジャジーラ訪問
2.アルジャジーラの占める位置
結び
情報のユニラテラリズムに抗して
噴煙の向こう
「テロとの戦争」と第三者の排除
報道の原則を貫く
アラブの公共性を開く
別の「民主化」の道
ゆくえ
あとがき(中山智香子)