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『パリ愛してるぜ~』じゃんぽ~る西(飛鳥新社)

パリ愛してるぜ~

→紀伊國屋書店で購入

「「日常化」したフランス」

 フランスについて書くのは勇気がいる。日本には、この国に対して異様なまでに思い入れの深い人々がたくさんいるからだ。

 かつて永井荷風は、『ふらんす物語』の中で、帰国日の嘆きを次のように書いていた。

  「ああ自分は何故、こんなにフランスが好きなのであろう。フランス!ああフランス!」(P303)

  「…しかし自分はどうしても日本に帰りたくない、巴里に止まりたい」(P302)

 そして、「料理屋かカッフェーの給仕人」(P302)になってでも、パリに残りたいという心情を記すのだが、そこからは、フランスに対する深い憧れと、当時の日本社会に対する深い絶望とが伺えた。

 今日でも、荷風のような憧れを抱く人は決して少なくなく、書店で海外事情に関するコーナーに行って見ても、フランスに関するものがダントツに多いのが分かる。この国については、蘊蓄を垂れたがる人が多いのだ。

 一方で、本作『パリ愛してるぜ~』をはじめ、続編の『かかってこいパリ』『パリが呼んでいる』も含め、じゃんぽ~る西が描いたこれらの漫画は、憧れのまなざしがないわけではないものの、もっとフラットな立場から、フランスの日常を描き出している点に好感を覚える。

 西は、漫画家のアシスタントになろうと思ったがなれず(そもそもそんな職業が存在せず)、日本食材店でアルバイトをして、エレベーターなしのアパルトマンの7階の屋根裏部屋に住むことになる。

 そしてアパルトマンの排水が悪くて水浸しになったり、ホームレスにまとわりつかれたり、売ってもいないような商品(砂糖入り醤油)を無理やりに求められたりと、いろいろなトラブルに巻き込まれていくがゆえに、帰国時に「フランス生活を思い返してみてどう?」と尋ねられても、「な、なんだか、ろくでもない思い出しかないような気が・・・」(P180)と答えることになるのだが、そこには荷風の時代や、今日でも強い憧れをもって蘊蓄を語りたがる人達のフランスとは随分と違った様子がうかがえる。(きっと荷風がアルバイトになってパリに残っても、同じような作品を描くことはなかっただろう。)

 したがって本作には、ワインや美術品や街の歴史に関する蘊蓄も、あるいは南仏プロヴァンスの素敵な景色も出てこない。そうした過剰にステレオタイプ化されたフランス像ではなく、ミュージシャンが歌い、ゴミもちらかったメトロの車内であったり、少し物騒な深夜の街角であったりといったごくごく日常のパリが淡々と描かれているだけである。

 そしてだからこそ本作は面白い。日本の漫画の絵柄にデフォルメされ、キャラクター化されたフランス人が登場し、日常的なエピソードが繰り広げられるので、肩肘を張らずに親しみを持って読み進めることができるのだ。

 もちろん、だからと言って、もはや日本はフランスと肩を並べるほどの文化大国になったとも到底思わないし、まだまだ、かの国には学ぶべき点が多々あるとは思うものの、本作には、行ったことがない人でも、そして行ったことのある人はなおさら、クスクスと笑いながら楽しめる等身大のフランスの日常があふれている。

 だから、日本人が語った蘊蓄本など読みたいとも思わないだろうが、本作については、当のフランスでも大きな人気を博しているのだという。ぜひ関心のある方には、関連の作品とともに読むことをお勧めしたい一作である。


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