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『風邪の効用』野口晴哉(筑摩書房)

風邪の効用

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「40分で終わる風邪」

 たとえばチャレンジ精神に溢れた出版社があったとして、「人生前向きシリーズ」と称し以下のようなタイトルの本を次々に刊行したとしよう。

 『下痢の快楽』

 『歯痛は嬉しい』

 『実は儲かる失恋』

 『頭痛の晴れがましさ』

 『クビになってわかる人生のツボ』

 ・・・

こんなシリーズに紛れ込んでいそうなのがこの『風邪の効用』である。もちろん実在の書物。最初の刊行は1962年というから、40年以上前ということになる。

 頁をめくってみると、最近ではそれほど珍しくなくなった身体管理に関するセオリーがいろいろ出てくる。たとえば「下痢をしているときには無理にとめるな」、「風邪を引いたら水分をとれ」、「熱はさげるな」、「身体は洗いすぎるな」など。ま、これくらいならどこかで聞いたことがある。しかし、これらは序の口である。

 こういう本だと、まずは著者のことが気になる。紹介欄を見ると整体協会の設立者とあるが、最初に作ったのは「自然健康保持会」。ところが、驚くべきことにこれが17歳のときだという。その後治療を捨て、整体協会を整備して体育的教育的活動に専心するようになったそうである。

 それにしても17歳でデビューというのはすごい。同じ「身体」に関わる道でも、ピッチャーをやるとかダンサーになるといった実践系とは違い、治療系の探求というのは年をとって苦労して、自分の病と格闘したあげく開けるものかという素人考えがあるのだが、17歳という年齢で健康な活動の裏をみすかしたような、病・健共存の考えに至るものか、と感心する。

 で、さらに没年を確認すると、1976年とある。生年が1911年だから65歳。ん?なんだ、意外と長生きではないな、とも思う。しかし17歳のデビューといい、意外に長生きでない点といい、かえって興味が湧いてくる。健康法というのは、微妙にいかがわしい不明さのある方が、何だか魔術的な色合いがあって良い。常人には計り知れない神秘が隠されているのではないか、という気がしてくる。

 こうしてみると健康本というのは、現代人が本気で神秘的になったり形而上学的になったりすることのできる、ほとんど最後の領域なのかもしれない。いきなり突拍子もないことを言われ、「そう言われてみると、そうかもしれない」「何となく正しいような気がする」といった気分になる快楽というのは、かつては文学作品に紛れ込まされた寸言や、哲学書や宗教書などの専売特許だったはずだが、今ではそうした書物に「そう言われてみると、そうかもしれない」という説得力を期待する人は少ないのではないだろうか。そのかわりに、そうか、風邪かあ、と思う。下痢、頭痛、鬱。そういえば、メディアでもよく話題になっている。

 さて、野口氏のセオリーはすでに冒頭に少し引いたが、実はその発言には濃淡があり、言葉が濃くなっていけばいくほど怪しさも増してくる。本書の肝となるのは、「風邪というのは身体のゆがみに対する自然な反応なのであり、上手に風邪を引くことで『硬さ』として現れつつあった身体の問題はほぐされ解消するのである」といった理論なのだが、こういう言葉に翻訳してしまっては「そう言われてみると・・・」の感覚は生まれない。

 野口氏なら、どう言うか。

風邪はそういうわけで、敏感な人が早く風邪を引く。だから細かく風邪をチョクチョク引く方が体は丈夫です。だから私などはよく風邪を引きます。ただし四十分から二時間くらいで経過してしまう。クシャミを二十回もするとたいてい風邪は出て行ってしまう。

ウソだろ~、という気持ちはもちろんあるのだが、何となく引きこまれる。騙されてみようかな、とお化け屋敷に踏みこむような。

 それで、じゃあ、どうすれば良いのですか、というと・・・

私自身の風邪に対する処理法は極めて簡単なのです。背骨で息をする、息をズーッと背骨に吸い込む。吸い込んでいくとだんだん背骨が伸びて、だんだん反ってくる、反りきる背骨に少し汗が出てくる。その間は二分か三分くらいです。汗が出たらちょっと体を捻ってそれで終える。

むむ。語り口は相変わらず怪しげだけど、何となく「わかるような気もする」。でもわかるような気がするのも、ひょっとすると語り口が怪しげなおかげか、とも思う。とにかく風邪は「治す」ものではなく、「経過させる」ものなのだそうだ。

 もうひとつ微妙な例。人はそれぞれ風邪の「型」というものを持っている。子供も母親か父親のどちらかの風邪にうつるのだというのである。

せいぜい自分の家族を見るだけなら、まず御自分と亭主の型を知らねばなりません。子供はそのどちらかです。多少の混じりはあってもどちらかですから、子供には亭主側の風邪がうつる、或は女房側の風邪がうつるという、奥さん型、亭主型の二つの系統であって、両方兼用なのはその中の何人かです。

これも、そういわれてみると、とも思う。でもここまですっぱり言われるとウソっぽいような気もする。ウソっぽいから余計にインパクトがあって、忘れないし、信じてしまう。不思議である。

 講演から起こした本らしく、だいたいですます調で書かれている。持ち出してくる比喩もですます的。「石鹸をつけて洗うというのは、大便が毎日出ているのに浣腸しているようなものです」というくらいならまだしも、「石鹸で体を洗ったなどということはここ40年一回もない」とまで言われると、どこまで本気かわからないなあ、とも思う(だから長生きしなかったのか!とも)。

 ちなみに筆者もこの八月に夏風邪を引いたが、ひどい鼻づまりになって全く匂いがわからないという期間が二週間くらい続いた。会う人ごとに「鼻声ですな」とコメントされた。野口氏の分類によると、筆者はどうやら前屈気味の、景気の悪そうで自信なさげな体型らしいのだが、そういう人は風邪を引くと「鼻」に来るそうだ。たしかにあたっているな、なんて思ったりする。で、対策としては背骨の何番目かを押すといいらしい。この「鼻」型人間というのは案外いるもので、筆者の周囲にも「鼻づまり自慢」みたいな人が何人かいる。今回、筆者が苦労していたときも、「そういう症状の次は~だ。覚悟せよ」とか「こっからが長いぞ」などと、山登りの道先案内人みたいなことを言われたりした。風邪の中でも「鼻」は王道なのかもしれない。

 野口氏の口調、ですます調だがとにかく歯切れの良い文章だ。風呂の入り方から、水の飲み方、布団への入り方まで、具体的に説明もしてあるので、実際に試してみることもできる。少なくとも、身体のどこかが歪んできたのを感じなくてなってきたらやばいですよ、というメッセージには、それが単に身体のことだけを言っているようにも思えなくて、安心して「そうかもなあ」とつぶやいていいような気がした。

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