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『Snobbery : The American Version』Joseph Epstein(Houghton Mifflin)

Snobbery : The American Version

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スノッブの行動学」


 スノッブ(Snob)。辞書をひくと「俗物」、「気取り屋」などとなっている。しかし、スノッブは単なる「俗物」や「気取り屋」という意味ではない。どこが違うかというと、スノッブには、「気取り屋」という意味のほかに「相手を見下す人間」というニュアンスも含まれる。

 例えば、車が好きで気取ってポルシェに乗っている人は、単なる気取ったポルシェ好きでありスノッブではない。ところがポルシェに乗り、「僕はこんな高い車に乗っているけど、君じゃあこんなに高い車は乗れないだろう」と思う人物はスノッブだ。同じように、「私の子供は有名私立に通っているけど、私の子供ほど頭のよくないあなたの子供は名も無い中学に通っているのね」と考える女性もしっかりスノッブの仲間入りをしいている。

 スノッブは社会のどこにもいる人種だが、アメリカのスノッブ根性とはなにかに焦点を当てた本がこの本だ。タイトルは『Snobbery:The American Version』。日本語にすると「スノッブ根性:アメリカ版」となる。著者は、ノースウエスタン大学で英文学を教えるジョセフ・エプスタイン。彼は『ニューヨーカー』誌や『アトランティック・マンスリー』誌にも寄稿し、ジョン・アップダイクなどが寄稿した文化・文藝誌「ジ・アメリカン・スカラー」の編集長を務めていた人物だ。

 アメリカは長くWasp(ホワイト・アングロサクソンプロテスタント)が社会的上位を占めていたが、1960年代の意識変革の時代を経ていまは家柄が絶対的なものではなくなった。この変革のなか、誰もがスノッブになる自由を手に入れたと言ってよいだろう。人種、経済状態、子供の成績、趣味のよさ、ワインの知識、持っている車、知能、卒業大学、飼い犬の種類、ひいてはご近所事情の知識の有無などまでが人をスノッブにさせる要因となる。

 著者によると、一口にスノッブと言っても、3つの種類があるという。ひとつは「Downward -Snob(見下しスノッブ)」。これは、自分の持ち物、趣味、子供の学校、属する企業など相手と比較して、自分の方が優っていると悦に入る人々を指す。次に「Upward-Snob(見上げスノッブ)」というのがある。これは、自分より上のレベルの人、例えば有名人、組織の上層部にいる人間、業界の大物などと自分が同じ地位にいると思うことで他人との差別を図る人々だ。そしてスノッブのなかでも屈折しているのが「Reverse-Snob(逆スノッブ)」。スノッブが好むブランド品、スノッブが取る行動、スノッブがつきあう人々などをわざと避け、自分はスノッブではないことを示すことにより、優越感を感じるタイプがこの逆スノッブ。自分はスノッブではないと感じているが、やはりスノッブだ。

 ハリウッドでは家柄ではなく、どれだけスターたちに近い存在が価値あるものとなり、ニューヨークのアッパーウエストサイドの親たちは自分の子供を私立ではなく公立の学校、それも英才教育プログラムであるギフテッド・プログラムに入れることに大きな価値を見いだす。Waspの典型であるようなジョージ・W・ブッシュがテキサスのカーボーイと自分を同一視させようとしたのも屈折したスノビズムの一種だろう。

 まあ、こうしてみると誰もが大かれ少なかれスノッブである。

 著者は、アメリカの政治の世界、教育の世界、職業、ファッション、家柄、人種などの項目でスノッブたちの行動を追い、その価値観を探っている。この本は、楽しいエッセイ集というほかに社会学文化人類学の側面もある。アメリカを好きな人だけではなく、人間の行動と社会の関係に興味のある人にもお勧めだ。


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