書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『江原啓之への質問状』江原啓之・丸山あかね(徳間書店)

江原啓之への質問状

→紀伊國屋書店で購入

BGM(原田知世/I could be free(1997))

「たましいの幼い人、カルマの法則
 人は何のために結婚するのか
 命の価値、生きることの意味」

先日の「トーキョー・バビロン(2006)」の最後の200頁位の疾走感は週末の午後に一気呵成に読み切って正解だったと今でも余韻に浸っている。私も未だによく新横浜駅を使うので、ここが最後に彼女が振り返えらなかった改札口だと思うと、確かにここにいたスピリットの残像を感じて、しばし感慨にふけて足を止めたりする。そして、私は小久保なのか原なのか、いつもながらの難しい役まわりを任されて、いつも読むもの見るもの聞くもののキャラクターをそのままに、それらを積み重ねた多重人格を隠す努力を優先する。


そんな時でも、いつもながらの強烈な毎日に、時にダメになりそうになる。

小久保であれば1日に何回も堕ちて行く自分がいて、ところが、街行く人がノロノログダグダと歩いていると本当にイヤになって、それが逆に奮発剤になってやる気を起こすというひねくれた人格の繰り返し。世の中ノロノログダグダで構わないから、それはそれでいいんで、何も皆が皆、目を見開いて生きて行く必要はないので、せめてもの間だけ、少なくとも行く先を邪魔をしないで欲しい。

そうこうしている内に私は脳梗塞で倒れた。


時に医師からの説明を聞き、時に子供に自分の生死の責任を委ね、時に子供の将来を憂う。

そんなことを知らないで、人は何とでも言う。そこで私は苦笑する。

生きるってことは、そのものに重さがあって、結局はズルズル引きずっていかなければならない。生まれる時も苦しくて、毎日の生活も苦しくて、死ぬ時も苦しくて、手術後に集中治療室にいる私は、人工呼吸器を着け、頬はこけ、麻酔も覚めやらぬ中、ウンウンと苦しく唸りながら首をふる。時に目だけはカッと天井を見るが、遊体離脱したかのような感覚は、私が生きているのか死んでいるのかも分からず、引退する前に倒れたので、これで少しは休めるという一種の安堵感を味わうこともなく、そのまま強烈な毎日のまま今の生活が始まってしまった。つまりは私の一生では今もって休息は許されていない。


最先端医療は生かしてくれるにしても、死なない苦しさなのか、ある意味私にさらなる苦しい人生を与えるのか。今までならば何度か寿命を全うする機会があったはずだが、医学は人に苦しみを与えるかのようにも見えるやるせ無い思いが残る。そんなはずはないのだが、矛盾はどこにでもついてまわり、でも苦しんで生まれたのに、でもこれだけ苦しんで生活して来たのに、でもここで苦しんで死ぬ事はないんじゃないか?と、時に医師からの説明を聞き、医師は言わずもがな、一番辛い立場にある。


カートを押しながら、いっしょにスーパーの食品売場を見るのが嬉しくて、世界中どこに行ってもマーケットプレイスはお気に入りの場所だった。陳列された食材に、そしてそれらを売る雰囲気に、その国のカルチャーと人間が生きる息吹を感じて、「なんだ?この魚?」とか他愛の無い話をしながら時間は過ぎた。ぜひ私には食材と花の名前を聞かないでほしい。そういうことに全く無頓着で頓珍漢な自分を直そうとも思わなかった。

「他愛無い」とは「たわい無い」の当て字だそうで、本来は「戯け(たわけ)」に近そうで、他愛の無い会話だけが、時に一瞬だけでも日常の苦痛から開放させてくれた。でも結局のところ日常の苦痛は尋常ではなく、野菜売り場から目を離すと、そのままいつでもどこまでも行けそうな気がした。分からない方がいい。50年後の人達は同じような感覚になって、人類滅亡の時を待つのだと思う。


人間が生きていくには、覇気と品と自己犠牲が必要で、入院してから、しばらくしてから私の目からは覇気が無くなったと自分でも実感する。それがどうした。つまりは世の中で覇気のない人は入院しているも同然で、この病んだ社会をどうしてくれる。どうせだったら昔サッカー部だった稗田に蹴りを入れられて肋骨を折られて内蔵に突き刺さってうなされる方が楽だったりして、それでも、それがどうしたというのか。

要は、どんなパンク、どんなインダストリアルでも、何がf■ckで何がs■itで もいいので、そう叫ぶ自分に品がなくなったらいけないという微妙なところで。

何も分からない時は50年待ってもらい、それからウダウダ生活した方がいいという、そんなくだらないスピリットではなかった新横浜駅、いや、それを感じる、渋谷、新宿、池袋。

しょっぱなから品のない人は、どんなに人に失礼なことをしているかも分から ず、そんな魂の幼い人は、本当は私の生まれるとっくの大昔に消え去った遺品でしかなかったはずだ。



→紀伊國屋書店で購入