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『向田邦子との二十年』久世光彦(筑摩書店)

向田邦子との二十年

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 久世光彦向田邦子について書いた本二冊があわせて文庫化された。そのうちの一冊『触れもせで―向田邦子との二十年』というタイトルについて、著者は「思わせぶりで気が進まなかった」と書いているが、書店でそのタイトルひと目見て、これは読めないと思ったことがある。向田邦子という人には永遠に高潔でいてほしい、という願いが私にはあった。

 死後発見されたラブレターをもとに、妹の和子さんが『向田邦子の恋文』を書き、それは久世光彦の演出でドラマにもなったので、あるていど免疫はついたが、かつては、雑誌の向田邦子特集で、古い友人が彼女の知られざる恋について書いていたのを読んだだけで、なんとなく気持ちがざわついた。

 向田邦子は「昭和の理想の長女」である。美しくて、賢くて、おしゃれで、しっかりもので、面倒見がよくて、料理に裁縫、なんでも器用にこなしてしまう、その上仕事もできる。そんな人の、男性にまつわるなにがしかは、できることなら知らないままでいたい。それは、向田邦子のようなパーフェクトな「お姉さん」の弟妹たちにすべてに通じる心理ではないだろうか。

 とはいえ完璧な人間などそうはいないもの。「お姉さん」だってもちろん恋はするし、失恋してやけになったり、駆け落ちしたり、出戻ってきたりするものである。けれども向田邦子は、かなりのところまで、弟妹たちの「お姉さんにはこうあってほしい」という期待を裏切らなかった人だと思うのだ。私が向田邦子の本を読んだとき、もうこの人はとっくにこの世にいなかったが、向田邦子は死んであとまでも、彼女に憧れる私のような人間から、理想の完璧な姉を期待されつづけた。

 疑い深い人では決してなかったが、人を信じやすいということもなかった。だから、どの人とも賢い距離と温度をきちんと定めていた。それは、あの人が冷たいということではない。悲しいということだ。向田さんに仕事のことや、身辺日常のことを相談し、親身になってもらった人は大勢いた。けれど、あの人が誰かに相談を持ちかけたという話は聞いたことがない。それは、たとえばスカーフの色はどっちがいいだろうかとか、自分の作品の中の人物を誰にやってもらえばいいかとか、その程度のことはあったろう。でもそれは思い余ってというのではない。……私たちは、あの人の世話になった割に、あの人のために、あの人が本当にして欲しかったことを、何かしてあげただろうか。私にはそんな覚えがない、けれど、それにしたって私たちが悪いということではない。それがあの人の不幸だということなのだ。あの人は、あり過ぎるくらいあった始末におえない胸の中のものを、誰にだって、一つだって口にしたことのない人だった。

 やはりそうだったのだ、と思う。

 いなくなってみると、向田邦子は姉のようだったとしきりに書く著者は、本書のなかでしきりに向田邦子を「悲しい」あるいは「不幸」だと書いた。それは、飛行機事故による早すぎる死についてというより、彼女そのものの悲しさと不幸である。

 「手に余る荷物も一つでも、人に持ってもらうこと」のできなかった不幸。「泣き言の一つも言え」なかった不幸。たしかにそうだったかもしれない。「昭和の理想の長女」で「完璧な姉」、たくさんのすばらしい仕事をし、美人でセンスもよく、世の女性たちの知的アイドルである向田邦子のことを考えるとき、ただ憧れ、というだけではおさまりきらない気持ちが残るのはきっとそのためである。

 けれども、「始末におえない胸の中のもの」を人前で吐き出すことができれば、それで彼女が幸せになったかどうかはわからない。それより、逝って十年後までも、こうして「あの人は」と書かれるほどに人に思われていた、そのことは彼女の幸せである、というふうに思っていたほうが気持ちが楽だ。

 二十年のあいだともに仕事をした著者と向田邦子は、他愛のない話でいつも盛り上がる、仲のよい仲間だった。しかし、お互いを深く理解しあったというわけでも、他の人が知らない「あの人」の一面を知っていたわけでもなかったと著者はいう。自分の知る向田邦子はほかの多くの人の知る向田邦子であり、ましてや、お互いに男と女を感じるようなことなど毛の先ほどもなかった、と。

 しかしあまりにそれを頻繁に繰りかえし強調されると、ほんとうのところはどうなのだろう? と思う。恋しい、愛しいという気持ちが多少ともなければ、ある人に対して「悲しい」だとか「不幸」だという評価は生まれないのではないかと思うのである。

 「男と女ということを、ひょいと飛び越えたところでつきあっていたのか、妙に男と女であり過ぎたのかどっちだったのだろう。」ともある。弟にしてみれば、後者を期待するところだろうが、これは、きっと賢い姉がふたりの距離を上手にコントロールしていたのにちがいない、というのが同性である妹の側の意見である。

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