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『過去を忘れない 語り継ぐ経験の社会学』桜井厚・山田富秋・藤井泰編(せりか書房)

過去を忘れない 語り継ぐ経験の社会学

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「マイノリティの語り手には、それを興味深く耳を傾ける聴き手が必要だ」


人の話を聞く、それに基づいて何かをする。それが人間の社会的な活動なのだろう、と思います。それは仕事であったり、家庭での会話であったり、職業的なインタビューであったりします。このような違いはあっても、話を語る人がおり、その言葉に反応する別の人がいる、ということは変わることがないでしょう。

 しかし、人には語りにくいことがあります。身内の不幸や恥、というありふれた生活のなかの澱であったりすれば、話せば分かる人がいます。そのようなささいなこと、しかし本人にとっては重大なことは、いつか身近な人に話されるだろうし、少々の誤解はあったとしても、常識の範囲内の理解が得られるものです。気になるのは、決して語られないこと。語られたとしても、誤解されたり、無視されたり、理解を超えた内容だったりする危険な言葉。そんな語りを心の中にため込んでしまった人たちがいます。いつの時代にもいる。その人たちはよき聴き手を待っています。

 本書は、そのような理解しがたいことを話す人たちの語りをききとった成果です。

 語り手たちは、マイノリティであったり、スティグマを負った人たち。

内容一覧

序 語り継ぐとは 桜井 厚

I 歴史的出来事の体験

 01 ミニドカを語り継ぐ――日系アメリカ人のインターンメント経験とジェネラティヴィティ 小林多寿子

 02 原爆の記憶を継承する――長崎における「語り部」運動から 高山 真

 03 ある医師にとっての「薬害HIV」――「弱み」を「語り」「聞き取る」 南山浩二

 04 「薬害HIV」問題のマスター・ナラティブとユニークな物語 山田富秋

   コラム 戦争の実相を語り継ごうとする者たち――戦場体験放映保存の会の試み 八木良広

   コラム 〈沖縄戦〉を語り継ぐ――平和ガイドという試み 齋藤雅哉

II 苦悩と危機の人生経験

 05 「生活者」としての経験の力――国立ハンセン病療養所における日常的実践とその記憶 有薗真代

 06 記憶の保存としてのハンセン病資料館――存在証明の場から歴史検証の場へ 青山陽子

 07 死の臨床における世代継承性の問題――ある在宅がん患者のライフストーリー 田代志門

 08 日常生活を導くナラティブ・コミュニティのルール――顔にあざのある娘を持つ母親のストーリー 西倉実季

 09 居場所をめぐる父親たちの苦悩と自己変容――不登校の子どもの親の会から 加藤敦也

   コラム マンハイムの世代論と「語り継ぐこと」 片桐雅隆

III マイノリティ当事者/非当事者の経験

 10 アイヌの若者たちの語りに接して――聴き手の衝撃と認識の変化 仲 真人

 11 被差別を語り継ぐ困難――「部落」というカテゴリーの変容 桜井 厚

   コラム ウェブサイト「川崎在日コリアン生活文化資料館」 橋本みゆき

 あとがき 山田富秋・藤井 泰

 ユニークフェイス運動を開始した私にとって、「日常生活を導くナラティブ・コミュニティのルール――顔にあざのある娘を持つ母親のストーリー 西倉実季」がもっとも興味深い論文です。

 若い研究者が、顔にアザのある娘をもった母が、なぜユニークフェイスという非営利組織に参加したのか。そこで何を得たのか。

 私はNPO法人ユニークフェイスという組織の代表者ですが、この論文を読んで、ユニークフェイスという運動がやってきたことの意味を再発見しました。

 顔にアザのある娘をもったその母親に私は何もできなかった、という思いがあったのです。

 ユニークフェイスという運動は、顔にあざのある成人した、男性の、当事者である私をはじめとした少数の人間によって始められました。当事者が当事者を支える手法としてピアカウンセリングを導入。しかし、ユニークフェイスの会員の多くは「成人した当事者」ばかり。子供の当事者を育てている母親の会員は増えませんでした。

 その母親は、成人した当事者のなかではマイノリティ。娘の顔にアザがあっても(その娘はピアカウンセリングには参加しませんでした)非当事者。母もまた「ユニークフェイス問題の当事者」ではありますが、その顔にユニークフェイスな病状、病変がないので当事者とはいいにくいわけです。

 約10年のユニークフェイスの歴史のなかで、この母親はもっとも積極的にユニークフェイス運動に関わってくれました。

 しかし、私は初期の数回を除外して、ユニークフェイスのピアカウンセリングには参加していません。したがって、どのような語りをしたのか直接聞いたことはほとんどありません。(私の精神状態はピアカウンセリングを必要としていなかったし、語りにくい自分の過去を書籍という形で公に刊行でき、講演することができていたのだから)

 ピアカウンセリングをしたいという人にその運営を任せていました。私が力をいれたのは、ピアカウンセリングのためのマニュアル作りでした。

 ピアカウンセリングという言葉を知ったのは、ユニークフェイスを設立してから。ある当事者女性から、ピアカウンセリングをしてほしい、そのためには必要なマニュアルがあるので参考にして欲しい、と助言を受けたのです。

 その人からいただいたアルコール依存症のための回復プログラムをベースにしていたので、私が勝手にユニークフェイス向けにペンを入れたのがこれです。

ピアカウンセリングの手引き

http://d.hatena.ne.jp/uniqueface/20060918

 この母親の話をききとった研究者の西倉さんは、母親としての気持ちの揺れ、ピアカウンセリングで得た気づきを書き留めてくれました。この母親から私も同じようなことを聞いてはいましたが、活動の渦中にいると言葉のひとつひとつを吟味する余裕がなくなっていたのでしょう。

 私がユニークフェイスの人たちに何度も強調していたことは、ひとりひとりの固有性でした。ユニークさです。

 ひとりのアザのある人が不幸な境遇にあったとする。だからといってすべてのユニークフェイス当事者が不幸というわけではありません。

 子供の顔にアザがあったとしても、すべての子供がその体験によって押しつぶされるわけではありません。

 悲観をしてはならない。しかし楽観もしてはいけない。事実を見つめよう。事実を見つめるためには、他者の言葉が必要。ユニークフェイスのピアカウンセリングの場では、他者とはユニークフェイス当事者のこと。自分と似た病状にある人こそが、自分の人生を歩むためのヒントをもっているのです。

 よき他者との出会いによって、無用な不安は消えていき、希望が見えてくる。

 そんなおぼろな確信をたよりに、ユニークフェイスという小さな運動は動いていたのでした。

 本書によって、母はよき他者と出会っていたことをしっかりと確認できました。

 ほかに注目した論考は「薬害HIV」についての論文2本でした。薬害エイズ事件でバッシングされた医師たちが、裁判が終結したことで、重い口を開き始めたのです。血友病患者も医師も当時としては最善の選択をとっていた。結果としてその選択が未曾有の薬害事件に結びつくわけですが、悪意のある医師がいた、という当時のジャーナリズムには歴史の検証に耐えうる事実確認が不足していたということが明らかにされています。医師の言い訳、と一蹴することができない語りがここにはありました。

 沈黙を守る人たちの語りを引き出すためには数年という歳月が必要なのでしょう。

 語りの背景には深くて広い沈黙があるのです。


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