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『映画検定公式テキストブック』キネマ旬報映画総合研究所【編】(キネマ旬報社)<br>『映画検定公式問題集2級・3級・4級』キネマ旬報映画総合研究所【編】(キネマ旬報社)

映画検定公式テキストブック映画検定公式問題集2級・3級・4級

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「私はまだかつて
 嫌いな映画に
 逢ったことがない」

昔、キネマ旬報という雑誌があって、今もありますけど、それに原稿を採用してもらうのが最大の目標だった時期があります。

当時はワープロなんてものはないので、とにかく紙やノートに原稿を書きまくり、1年間で大きなダンボールで1箱になったこともありました。そしてその一部がまだ実家のベットの下にたまっています。


実際、月に最低2本は「映画館」で観ていたと思います。飯田橋の佳作座ギンレイ系もありますからロードショウばかりではありませんが、邪道のTVを含めるともっと多くなりますが、曰く映画は「映画館」が一番です。特に大学の頃は、今日は調子が悪いと感じると、朝、大岡山を通り過ぎて、自由が丘で乗り換えて、渋谷まで出て、朝イチで映画を1本観てから研究室に戻ったものでした。それでも早かった覚えがありますし、朝から映画1本アドバンテージをもらったという感じでした。

またそれに、ライブ、舞台、観戦、美術展、はたまたファッションショーあり、国際会議ありで、それよりも体育会系クラブ優先で、webでしか世界が見られない人達よりは、かなり現場主義のご多忙な学生生活だったのが自慢というか自己満足というか。

で、その調子が悪い時ではなく「映画館」に出向く時は、大体いつも1つの作品を2回は続けて観ていました。理想的には1回目は何もせず観通して、2回目は観ながら思いつく散文を書く、でしたが、結局は毎回衝動にかられ、1回目から評論にもならない散文を暗いひざ元で書き綴るという生活、勿論1人で観に行く時だけです。2人で行く時はそんな野暮なことはしません。そして1本目の後、喫茶店でしばしご歓談、時に2作品をハシゴすることもありましたが、休日でも朝イチで観に行くという結構健康的で律儀な学生生活だったわけです。


それで1人で観る時は、とにかく気になるカット、台詞、俳優の、そして監督の思い入れ、何でも書き綴りました。映画評というより映画そのものを創りたかったからです。そして1回目の休憩の時に、そのメモをザッと読み直して、ただし、大体自分でも読めないようなメモ書きでしたが、そのシーンを思い出しながら、2回目に望んだのでした。そして2回目が終ったらすぐに近くの喫茶店に入り、文章をおこしました。毎回毎回文体を変え、始めはキネ旬のことを考えず、字数制限もなく自分で映画を創るつもりで第ゼロ号を仕上げます。

それから帰りの電車の中でも、家に帰ってからも、何回も読み直して、その内容もさることながら、特に韻を踏むなり、言葉や背景のリズム感を気にしながら、要はロックで言えば、ブルース調だったり、プログレッシブだったり、超ハードロックかパンクだったりと、何か多分作曲をする人もこんな感じなんだろうな、という感じで校正をかけて行きました。

時にはBGMが必要ですし、時にはサイレントで別の映画を流したり、時にはそれに好きな音楽とワインを重ねたりしながら、文章を完成させて行きました。それこそ初めは長さは気にせず、時には何頁にも及ぶシナリオのような、時には井上靖のような律儀な文章にしたりしました。


そして2〜3日それを忘れ、放置熟成させ、今度は制限字数に絞り込んで行きます。実はこの作業が一番大変で、せっかく練り上げたセンテンス、リズム感を字数制限でそぎ落としていくわけです。ある意味、これが一番苦手で、本来の原稿のフレーバーを如何に消さないかが勝負でしたが、ほとんどの場合が失敗作品に終っていました。

ここではディレクターズカットと劇場公開版の関係のような、映画監督とプロデューサの関係のような、つまり作品を好きに撮るスピルバーグと、それを興行という観点からエディットするルーカスのような、つまりは、私の文章には興行に成功する、キネ旬に受け入れられる、ルーカスのような存在に任せてみたいという思いがいつもありました(思うだけだったら誰でも出来るし、それくらいいいですよね)。


それまで、そこそこ「ステレオ芸術」とか当時のハイパーカルチャマガジン「クエスト」とかには、そこそこの音楽評(レコード評)は採用されていたのですが、映画評となると中々採用されず、藤本義一さんが「鬼の詩」で直木賞を受賞された秘話で「審査員の作品を片っ端から読んで、審査員の文体と好みを研究した」というたぐいの話をされていたので、いっそのこと、と思いましたが、私にはそんな技量と甲斐性がなく、とにかく書き進むしかありませんでした。同じく藤本義一さんは「井上ひさしは、そんなことせずに書くからすごい」とも言っていました。11PMでしたか。

それでも今でも一番良く覚えているのが「地獄の黙示録」の映画評がキネ旬に採用された時で、当時はキネ旬が出る日に本屋に行って、すぐに横開きの目次を開いて、自分の名前がないかを確認するのが常でしたが、そしてその日は、表紙はロバートレッドフォードとジェーンフォンダの「出逢い」で、とうとう自分の名前を見つけて、喜びいさんでウチに帰ると「そんなに嬉しいことなの?」みたいな拍子抜けでしたが、自分的には部屋に入って一人何回も何回も自分の原稿を読み直したのでした。


ポイントは何だったかというと、マーロンブランドでもなくスティーブマックインに代わってのマーチンシーンでもなく、ドアーズのジムモリソン、ロックの影武者ビルグラハム、そして当時ジャンキーそのものだったデニスホッパーだったわけです。で自分的には、前半は「ウッドストック」のような、後半は「偉大な生涯の物語」(マックスフォンシドー主演)のような、と映像のフォビスムの一つの極論であると位置づけて、コッポラの迷いそのままである、と字数制限内に納めて、これはこのような観方をするのは、日本でも世界でもコッポラと私だけだろうと思う自信作だったのでした(思うだけだったら誰でも・・・)。審査員の1人だったであろう荻昌弘さんの文体の好みとは全く違うアプローチで、わざと最後をブチ切れにするという、これで終るの?という文章にして、当時、横光利一に傾倒していたので、何かそんなタッチで。その後、コッポラの奥さんが「ハートオブダークネス−コッポラの黙示録」というメイキング版を発表して、それがコッポラと私、ではなく、コッポラの奥さんと私だけが理解していたという思いを強めたのでした(それくらいいいですよ ね)。


で、話は戻りますが、そうこうして書いた映画評は2〜3週間くらい手を付けずに放置熟成させるわけです。頭の中からも忘れて、別の映画を観たりするわけです。そして、その内容を忘れた頃に、もう一度同じ映画を「映画館」に観に行くのです。要は3回目ですが、今度は何もメモせずに観通すのです。そして映画終了後、印象がフレッシュなまま喫茶店に入り、その2〜3週間くらい前に自分が書いた映画評を、改めて読み直すのです。そこで校正をかける。これを自分ではスニークプレビュー、要は読者としての自分の反応をチェックするプロセスのつもりでいました。

そうして出来上がった文章を出版社に送り、採用されるか否かを心待ちにする日々でした。最低3回観ると、原稿料(当時は希望した出版物を1冊送ってくれました)では赤字ですが、自分的には十分にアドバンテージをもらった感覚でいました。


しかし「知るべき女優」でクラウディアカルディナーレと最近ではメリルストリープが入っていながら、イベットミメオ(ミミュ)とジョディフォスターが入っていなくてちょっと気になりました。要はどちらも私の想い入れだけですが(もしかして書評らしい書評ってこれだけ?)。


(筆者談)

いやー、要は暇(ヒマ)でしたね、今考えると

でも根本的には今でもこの傾向は変わりませんし

散文が、山ほど散らかっていて

当時は紙でしたけど、今ではコンピュータのファイルの中ですけど

要は、頭の中はいつもそんな散文が飛びかっていて

最近は喫茶店はなくなりましたが、はなちゃんのtime for brunch(J-WAVE日 曜11:40〜)のような美術館のテラスで、その散文を反復反芻(はんすう)したりします

その時は1人でも2人でも同じです

(中略)

映画に関しての、その想い入れを語れば切りはありません

それはロックにも、ミュージカルにも、スポーツにも、芸術にも、はたまたファッションショーにも、その他諸々にも同じ話で

私はいつも、その想い入れの散文を頭にかかえて生きていくのです

正直、学術的な文章に思い入れを入れることはほとんどありません

(たまにはありますけど)

これを言ったら、バッシングに合いそうですが

私の業界から追放されても、キネ旬に採用される方が大切だった日々がもっと重要で、これを知らない人達にとやかく言われたくない、という勝手な境地に達していて、今日も映画を観るのです

そしていつも次の言葉を思い出します


「映画館」で映画が終って、まだ座っている老人がいた

「お客さん、もう終わりましたよ」と声をかけると、死んでいた

 そんな最期をとげたい・・・淀川長治


・・・いや、本当にそうです


(エピローグ)

夏のあの日に

同じようにヘッドフォンで聴いていた

このサステインの効いたリフのギター

this is how you remind me

of what I really am

are we having fun yet ?

ヘッドライトに照らし出されたセンターラインだけを頼りに

このハイウェイがあの人の想い出の場所まで届けばいいのに


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