書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『母の遺産 新聞小説』水村美苗(中央公論社)

母の遺産 新聞小説

→紀伊國屋書店で購入

「Aujourd'hui, maman est morte.」

水村美苗の『母の遺産 新聞小説』は、主人公の美津紀の母が死に、入居していた老人ホームから戻ってくる金額を、姉の奈津紀と電話で話している場面から始まる。何とも即物的な会話だと感じられるが、その後亡くなった母がいかに大変な人であったかが、語られていく。「母に振り回されるうちに生きる希望が目に見えて枯れていっていた。」ほどなのである。

 美津紀はかつてフランス語を学び、姉がいる。母は重病の夫の看病をせず、愛人に夢中になる。この辺りは、作者自身の人生と重なり合う部分があり、私小説的要素があるのだが、純粋な「私小説」ではない。むしろ作者の人生と近いからこそ、興味本位で読んでいては、重要なメッセージを読み落とす可能性もある。

 この作品には2つの文学作品のモチーフが使われている。何度も繰り返し出てくるのは尾崎紅葉の『金色夜叉』であり、通奏低音のように背景を形作っているのがカミュの『異邦人』である。「Aujourd’hui, maman est morte — 今日、母が死んだ」あまりにも有名な書き出しであるが、主人公ムルソーは精神的な母殺しの罪で斬首刑となる。母を幼老院に入れ、母の遺体を見ようとせず、母の年齢を明確に言えず、遺体の前でたばこを吸い、ミルクコーヒーを飲み、次の日に海岸で女性と出会い喜劇映画を観て、部屋に連れ帰る。不条理人ムルソーは、より不条理な社会の道徳習慣によって裁かれる。

 ムルソーの直接的な罪は、知人の女出入りに関して、正当防衛(過剰防衛とも言える)の形で一人のアラブ人を射殺したことだ。国選弁護人との打ち合わせの際、ムルソーは母を愛していたと言いながら「Tous les êtres sains avaient plus ou moins souhaité la mort de ceux qu’ils aimaient.(健全な者なら誰でも、多かれ少なかれ愛する者の死を望むものだ)」と語る。この場面は『母の遺産』では登場しないが、美津紀が「初めて読んだフランス語の小説」である以上、美津紀の心の中には明確に記憶されているだろう。

 これは、美津紀の隠された自己弁護だろうか。だが美津紀はかなり献身的に母の介護をしている。時として、反発したくなる気持ちを抑えながら。しかも、夫に愛人がいる事実を発見して悩みながら。母や祖母の一生を思い起こしても、母に対する嫌悪は消えず、それどころか「ママ、一体いつになったら死んでくれるの?」と思わずにいられない。そんな母の血が自分の体に流れているのも確かなのだ。母が死に、夫と別れた後に、一人で暮らしていく経済的基盤があるかどうかを考えるのに、「母の遺産」は大きな役割を果たす。憎む母の血もその「遺産」に含まれているのであろうが。

 母の死と、夫との今後を考えるために、美津紀は一人で箱根のホテルに逗留する。そこで展開されるミステリー染みた話は、蛇足と考える人もいるかも知れない。だが、美津紀にまとわりつく自死の影を演出するための、一つのエピソードとなっていることは否めない。そして美津紀の次の言葉には、呪縛的な説得力がある。「老いて重荷になってきた時、その母親の死を願わずにいられる娘は幸福である。どんなにいい母親をもとうと、数多くの娘には、その母親の死を願う瞬間くらいは訪れるのではないか。それも、母親が老いれば老いるほど、そのような瞬間は頻繁に訪れるのではないか。しかも女たちが、年ごとに、あたかも妖怪のように長生きするようになった日本である。」娘もまた老いていきつつあることをひしひしと感じながらの、素直な告白である。


→紀伊國屋書店で購入