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『チベット女戦士アデ』 アデ・タポンツァン&ジョイ・ブレイクスリー (総合法令出版)

チベット女戦士アデ

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 1958年から1985年――26歳から53歳――までの27年間、獄中にあったチベット人女性アデ・タポンツァンの生涯をノンフィクション作家のジョイ・ブレイクスリーがまとめた本である。日本ではさっぱり売れなかったようだが、アメリカではベストセラーになったという。

 「チベット女戦士」というとゲリラ部隊の女隊長のような印象を受けるが、そうではない。彼女は夫とともに中国に対する抵抗運動にくわわったものの、もっぱら連絡係で実際の戦闘には参加していないし、夫が毒殺されてからは幼い子供を育てることに専念していていた。

 彼女が逮捕されたのは、彼女の一族が土地の領主であるギャリツァン家の家来筋にあたり、不穏分子と見なされていたからのようである。ちなみに、ギャリツァン家は本書の監訳者ペマ・ギャルポ氏の生家で、ペマ氏の家族も登場する。

 彼女の戦いは生きつづけることにあった。銃を持たない戦いではあったが、監獄と労働改造収容所で27年間生きとおすことは戦場の戦い以上に苛烈だった。彼女は釈放後亡命し、中国のチベット絶滅政策の生き証人としてドイツやデンマークの国会で証言をおこなっている。その限りでは、彼女は中国に対してささやかな勝利をおさめたといえるかもしれない。

 チベットの現代史の本を読んだことのある人なら彼女の体験は目新しくはないだろう。だが、実際に体験した人の聞書はリアリティが違う。たとえば、人民解放軍チベット侵入直後にとっていた懐柔政策である。

 収穫の時期には、中国兵のグループが、ほほえみながら畑にやって来て手伝いを申しでた。重い荷を運んでいる者を見かけると、兵隊たちはその荷を下ろさせ、

「手伝わせてください。私たちは親戚同士です」

といいながら、かわりに運んだ。彼らが僧院を訪れたときは、

「こんなふうに精神的な修行に励んでいるのは、すばらしいですね」

と僧たちに告げ、銀貨入りの袋の寄贈を申し出た。

 銀貨は一般の民衆にもあたえられたが、後に強制的に返還させられることになる。中国は最初から民衆をだますつもりだったのだ。それにしても、武骨な兵士が一糸乱れず猫なで声の演技をしている情景は背筋が寒くなってくる。

 「民主的改革」の実情もようやくわかった。中国人は乞食に制服と銃をあたえて「新幹部」にとりたて、土地の名士や裕福な人間や僧侶は敵だと徹底的に教えこみ、民衆の監視にあたらせた。悪名高きタムジン(吊るし上げ集会)に犠牲者を引っぱってくるのも彼ら「新幹部」の役目だった。中国は最下層の人間の復讐心を煽り立てることで、密告社会をやすやすと作りあげたのだ。

 人民公社の中の生活も細部にわたって語られているが、オーウェルの『動物農場』そのままで、笑ってしまった。

 労働改造収容所の生活はソルジェニーツィンの描くソ連の収容所とよく似ている。囚人を無償で使える労働力としてこきつかうのも、ソ連と同じである。ソ連の収容所には社会革命党員が古参の囚人になっていたが、中国の収容所では国民党員がその位置にあった。国民党員は釈放されても帰る場所がないので、刑期が終わっても収容所にいつづける例が多かった。

 1967年には医師団がやってきて、体力のある囚人を選んで大量に血を抜き、栄養失調のまま体力を弱らせる人体実験がおこなわれた。それで死んだ囚人が多い。まるでナチスである。

 悲惨な話がつづくが、どこかマンガ的であり、なぜそんなことをやるのか理解に苦しむようなことばかりだ。中国共産党は狂っているとしか言いようがない。

 1979年にはじまる胡耀邦の開放政策で囚人の暮しは緩和され、1985年にアデは釈放されることになる。まずはハッピーエンドといえるが、獄中で死んでいった多くのチベット人を考えると、ハッピーエンドなどとはいえまい。

 こんなことをする中国共産党が権力を握りつづけるとは思えない。独裁国家がオリンピックを開催すると、9年後に滅びるという説があるが(ナチスドイツは1936年にベルリン大会を開き、1945年に敗戦。ソ連は1988年にモスクワ大会を開き、1987年に解体)、ナチスドイツやソ連があっけなく崩壊したように、中国だって崩壊しないとは限らない。その時には身の毛のよだつような事実がごろごろでてくることだろう。

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