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『中国を追われたウイグル人』 水谷尚子 (文春新書)

中国を追われたウイグル人

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 世界各地に散った13人の亡命ウィグル人にインタビューした聞き書き集であり、大変な労作である。

 新疆ウイグル自治区をとりあげた本はけっこうあるが、ほとんどがシルクロード紀行的な本で、わずかに今村明の『中国の火薬庫』と陳舜臣の『熱砂とまぼろし』が一般読者向けに近代史を紹介している。ウイグル人の現況を伝えた本は本書が最初かもしれない。

 著者の水谷尚子氏は日中関係史の研究者で、731部隊反日活動家に関する本をこれまでに発表しているという。『諸君』や『SAPIO』のような保守系メディアに記事を書くようになったので恩師から「破門」されたということだが、左翼から右翼に転向したということではなく、関係者に直接あって話を聞くという「現場主義」に徹しただけだという。実際、ウイグル問題では『世界』や毎日新聞のような左翼メディアがいちはやく報道していたことを評価している。

 チベットの場合、ダライ・ラマと亡命政府を中心にまとまり、国際的に支持を集めているが、ウィグルには中心となる組織がなく、象徴となるような人物もいない。ウイグル人はトルコ系民族のイスラム教徒なので、よけいわかりにくいが、『コーラン』を持っているだけで罪になるなどの宗教・民族文化の弾圧状況と、残忍無道な弾圧はチベットと変わらない。中国共産党は弱い相手は徹底した残虐に痛めつける。

 イスラム教徒とトルコ系民族ということから、ソ連から独立した中央アジアイスラム教諸国やトルコの支援を受けているのだろうとか、拠点をもっているのだろうと漠然と思いこんでいたが、実情はまったく違うようである。

 そのことを端的に示すのは、アフガニスタンで米軍に捕らえられ、グアンタナモ基地に拘留されていた5人のインタビューである。

 アフガニスタンのような危険なところに入国すること自体、われわれの感覚から見れば不可解であり、アルカイダとの関係を勘ぐりたくなるが、彼らは中央アジアに出稼ぎにいったものの、悪徳警官から中国に強制送還するとぞ賄賂をせびられ、生活に窮していた。中央アジア諸国は上海協力機構に加盟後、親中国に転じ、ウイグル人を摘発するようになった。新疆にもどろうにも、独立運動との関係を疑われるので、帰国できなくなっていた。

 アフガニスタンには厳しい入国審査がなく、イスラム神学生の作った国という期待があったので、中央アジアで食いつめたウイグル人の吹きだまりになっていたそうだが、アフガン戦争がはじまると、地元民は助けてくれるどころか、一人五千ドルでウイグル人を米軍に売りわたした。イスラム教の連帯は看板倒れのようである。

 アメリカは2002年にはアフガニスタンウイグル人アルカイダが無関係だという確証をえていたが、無実なだけにあつかいに苦慮した。グリーンカードをあたえてしまうと、グアンタナモ基地に拘留している他の無実の捕虜にもあたえなければなくなるからだ。多くの国に受け入れを打診したが、中国との関係悪化をはばかって受け入れるところがなく、2005年になってようやくアルバニアが5人を引きうけることになった。

 トルコもあてにならない。以前はトルコ民族の宗主国としてウイグル人を受けいれ、いくつもの亡命者団体が本部を置いていたが、中国と友好条約を結んで以後は状況が一変した。本書に登場する「世界ウイグル会議」事務局長のドルクン・エイサ―と、新疆随一の人気コメディアンだったアプリミットはトルコからドイツに、新疆の核汚染の告発をおこなったアニワル・トフティ医師は英国に再亡命している。

 ヨーロッパでの亡命生活も楽ではない。アニワル・トフティ医師は高名な心臓外科医だったが、英国は外国医師免許を認めないので、皿洗いで暮らしている。ドルクン・エイサ―は妻に生活費を稼いでもらい、昼は「世界ウイグル会議」の事務局につめ、夜はピザ・ハットの配達をやって活動費を捻出している。インドに脱出した亡命者に緊急に生活費を送らなければならない時は、売血することもあるという。事務局長が売血で金を作るとは、いやはや。

 ウイグル人亡命者がインドに逃げるのは上海協力機構のために中央アジア・ルートが使えなくなったためだ。中国に弾圧されている者どうしの連帯で、チベット人がヒマラヤ越えの手引きをしてくれるのだという。

 これまで顔となる人物のいなかったウイグル人亡命組織だが、ラビア・カーディル女史を中心にまとまりつつあるらしい。彼女はノーベル平和賞の有力候補の一人だという。

 ラビア・カーディル女史はかつては「中国十大富豪」の一人ともてはやされ、全国政治協商会議委員などの栄職を中国共産党からあたえられていたが、懐柔されないとわかるや、新聞の切り抜きを外国に送っただけなのに「国家安全危害罪」をでっちあげられて投獄された。彼女は有名人だったので身体的な拷問は受けなかったが、若い政治犯の拷問を見せつけるという精神的な拷問をくわえられた。

 わずか十六歳のシェムンナという美しい少女を、公安がひどく殴っているのを見ました。彼女は敬虔なムスリムで、黒いベールをかぶり、断食礼拝をし、子供にイスラムの教義を教えたかどで、政治犯として投獄されたのです。彼女の悲鳴に「おまえの娘の声が聞こえるだろう」と公安は嘲笑いました。ある時は、手と足を一緒に鎖で繋がれた姿で、大きく前屈みになって歩かされていました。惨めな姿のまま、彼女は目で私に挨拶しながら通り過ぎて行きました。そのように、公安はわざと若い政治犯の惨めな姿を私に見せるのです。

 彼女は2005年のライス訪中の直前、釈放され、アメリカへの出国を許されたが、その年の終わり、不可解な自動車事故で重傷を負う。乗っている車に大型バンが三回も衝突してきたというのだから、間違いなく故意だろう。亡命ウイグル人の周囲では謎の交通事故がすくなくないという。

 ウイグル問題が世界で知られるようになったのは1998年に英国で製作された「シルクロードの死神」Death on the Silk Roadという、新疆の核汚染を告発したドキュメンタリー番組がきっかけだという。

 中国は新疆で1980年まで地上核実験をつづけてきた。漢人の居住区が風上になる時にしか実験をおこなわなかったというが、原爆症のような症状は漢人にも出ているという。

 この番組の取材に協力し、亡命せざるをえなくなったアニワル・トフティ医師は次のように語っている。

「中国では被爆者が団体を作ることも抗議デモをすることも許されないし、国家から治療費も出ない。中国政府は『核汚染はない』と公言し、被害状況を隠蔽しているので、海外の医療支援団体は調査にも入れない。医者は病状から『放射能の影響』としか考えられなくとも、カルテに原爆症とは記載できない。学者は大気や水質の汚染調査を行うことを認めてもらえないから、何が起きているのか告発することもできない。このように新疆では、原爆症患者が三十年以上放置されたままなのだ」

被爆国日本の皆さんに、特に、この悲惨な新疆の現実を知ってほしい。核実験のたび、日本政府は公式に非難声明を出してくれた。それは新疆の民にとって、本当に頼もしかった。日本から智恵を頂き、ヒロシマの経験を新疆で活かすことができればといつも私は考えているけれど、共産党政権という厚い壁がある」

 日本の非難声明が知らないところでウイグル人を力づけていたとはうれしいが、しかし「シルクロードの死神」は日本では放映されていない。世界83ヶ国で放映され、ローリー・ペック賞などの賞を受賞しているのに、なぜ被爆国である日本で見ることができないのか。

 反核団体は何をしているのか。かつて日本共産党は資本主義国の核兵器は汚い核兵器だが、中国の核兵器きれいな核兵器だと世迷い言を吐いたが、今でもそんな認識なのだろうか。

 そもそもNHKは何をしているのか。NHK BS1には海外ドキュメンタリーを流す枠があるが、この番組が放映されたことはなかったと思うし、検索しても出てこなかった。NHK中国共産党がもちあげていた頃のラビア・カーディル女史を『中国 12億人の改革開放』で経済発展の旗手としてとりあげたそうだが、投獄されて以後については無視を決めこんでいる。その一方で「日中友好」を謳った紀行番組は手を変え品を変え再放送している。そんなに中国におもねりたいのか。中国のご機嫌とりしかできない偏向放送局に受信料など払う必要はない。

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