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『漢字廃止で韓国に何が起きたか』 呉善花 (PHP新書)

漢字廃止で韓国に何が起きたか

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 幕末から1980年代まで漢字廃止運動という妖怪が日本を跋扈していた。戦前は「我が国語文章界が、依然支那の下にへたばり付いて居るとは情けない次第」(上田萬年)というアジア蔑視をともなう近代化ナショナリズムが、戦後は漢字が軍国主義を助長したという左翼の神話(実際は陸軍は漢字削減派だった)が運動のエネルギー源となり、実業界の資金援助を受けてさまざまな実験がおこなわれた(キーボードのJISカナ配列はその名残である)。

 1946年に告示された1850字の漢字表が「当用」漢字表と呼ばれたのも、いきなり漢字を全廃すると混乱が起こるので「当面用いる」漢字を決めたということであって、あくまで漢字廃止の一段階にすぎなかった。

 当用漢字表の実験によって漢字廃止が不可能だという認識が広まり、1965年に国語審議会は漢字仮名交じり文を認める決定をおこなったが、漢字廃止派はこの決定を正式の文書にすることに徹底抗戦して会長談話にとどめた。

 不可能だとわかりきっているのに漢字廃止運動が注目されつづけたのは書類作成の非効率のためだった。契約書などの正式な文書は和文タイプで作成されたが、英文タイプと違い和文タイプは時間がかかり間違いが多い上に、習得に桁違いの根気を要した。日本語ワープロが普及すると書類作成の困難は解決し、漢字廃止運動は自然消滅していった。

 今でも漢字廃止を主張しつづけている人はいるが、わたしの見るところ、おおよそ三つの類型に分類できる。

  1. 引っ込みがつかなくなって意地を張っている人
  2. 漢字は視覚障碍者差別だと思いこんでいる人
  3. 韓国で漢字廃止が成功したから日本でも可能だと考えている人

 最初の二類型には何をいってもはじまらない。問題は第三の類型である。日本語と韓国語は文法がよく似ている上に、中国文化の圧倒的な影響下で発展したという歴史も共通している。韓国で漢字廃止が成功したのだから日本でもという主張には一定の説得力があるだろう。

 そこで本書である。著者によると漢字廃止は成功どころか、韓国の文化に致命的な打撃をあたえているという。

 韓国語では一般的な語彙の70%が漢語由来で、専門的な文書では90%以上になるということだが、ハングル表記では同音異義語を区別できない。たとえば韓国語で「チョン」と発音する漢字は全、田、前、典、専、展、電、伝、戦、転、詮など150余もあり、電気、戦記、前期、全期、転機、伝記、転記などがすべて 전기 というハングル表記になってしまうのだ。

 日本語と韓国語の音韻構造は相当違う。現代日本語の音節の種類は300前後だが、現代韓国語では2500から3000種類の音節が使われている。韓国語は音節の種類が日本語の十倍近くあるので、韓国語では同音異義語の問題は日本語ほど深刻ではないのだろうと思っていたが、本書によると違うようである。

 単純に考えれば韓国語の同音異義語は日本語より一桁少なくてもいいわけだが、漢語由来の外来語という点が原因かもしれない。ハングル・ナショナリストはハングルを世界で最もすぐれた文字と頑張っているが、ハングルはあくまで韓国語を表記するために作られたので、rとlの区別がないなど韓国語の音韻構造に密着しており、中国語を完全に表記することはできない。もちろん、四声の区別もない。北京語では全はquan2、田はtian2、前はqian2、典はdian3、専はzhuan1、電はdian4、伝はchuan2、戦はzhan4……と発音が異なるが、韓国語ではすべて 전 に丸められてしまっている。これでは日本語と大差ない。

 同音異義語を避けるには漢語由来の概念語に相当する造語を増やしていくことが考えられ、一部でその試みもあったが、ほとんど普及していないという。アルファベット文化圏では同音異義語がなるべく出来ないように語彙体系が発達し、同音異義語が出来てしまった場合は night と knight のように綴りで区別する工夫がとられてきたが、韓国語は千年以上かけて積みあげらてきた漢語由来の概念語をかかえたまま漢字廃止に突き進んだのだ。

 意外に影響が大きかったのは類推が効かないことだという。専門外の人間でも「素粒子」とあれば素になる粒子、「利潤」とあれば利で潤うことだろうとおおよその意味をとることができるが、発音情報だけではちんぷんかんぷんの外国語になってしまう。そのためハングル専用世代の韓国人は難しい文章や専門外の文章を読まなくなっているという。

 日本の漢字廃止論者は漢字は知識の普及を妨げたと主張するが、事実は逆である。多くの国では英語を勉強しないと高度な知識を身につけられないので、エリートと非エリートの格差が広がったが、日本では漢字のおかげで日本語のまま高度な知識を日本語のまま吸収することができ、専門外の話題にもついていくことができる。日本の近代化は漢字のおかげだといって過言ではないが、本書を読むと漢字のありがたさを再認識する。

 本書は類書のない興味深い内容であるが、問題がないわけではない。本書で漢字廃止の問題をあつかっているのは前半の「漢字廃止・ハングル専用政策の災禍」だけで、これは『「反日」を捨てる韓国』(2000年、PHP)からの再録である。後半の「韓国の言いまわし」と「韓国のことわざ」は『濃縮パック コリアン・カルチャー』(2003年、三交社)所収のエッセイの再録で、漢字廃止とは関係ない。

 推測だが、編集部は「漢字廃止・ハングル専用政策の災禍」を発展させた書下ろし原稿をもとめたのに対し、著者は応えることができず、既発表の文章の再録というかたちでお茶を濁すことになったのではないか。

 著者が2000年発表の文章を深めることができなかったのは時間的な問題もあるかもしれないが、言語学と文字学の知識が欠落している点が決定的だったと思う。現在の文字学では本書のような表音文字表意文字を対立させる観点はすでに克服されており、著者を戸惑わせた言語学専攻の大学院生の幼稚な反論も簡単につぶすことができる。本書は重要な着眼を含んでいるので、クルマスの『Writing Systems』あたりを勉強してからもう一度挑戦してほしい。

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