『白い旗』 水木しげる (講談社文庫)
表題作を含め4編をおさめる戦記漫画短編集である。いずれも貸本時代の作品だが、「ブーゲンビル上空涙あり」以外は貸本版を複製してほとんどそのまま再録しているので現在とは違う荒々しいタッチを見ることができる。
「白い旗」
1964年に貸本誌「日の丸」(日の丸文庫)戦記増刊号に「二人の中尉」(『鬼軍曹』に収録)として発表された作品の改題版で「ガロ」1968年5月号に掲載。見開きだった扉が1頁に描き直されている以外はオリジナルと同じである。
「あとがき」によると兄宗平氏の親友で硫黄島の海軍陸戦隊に配属された西大条中尉の戦死の状況について雑誌に奇妙な記事が掲載された。その記事を読んだ水木の母がぜひ漫画にするようにと手紙で知らせてきたのが執筆の動機だという。
ということは実話をもとにしたということになるのだろうが、擂鉢山の攻防戦が終わった後に島を脱出した日本兵がいたとはにわかに信じられない。しかしこういう話が伝わっているということは内地に生還した兵がいたということだろうか。
硫黄島の激戦はクリント・イーストウッドの「硫黄島からの手紙」で若い人にも知られるようになったが、この作品も読みつがれてほしい。
「ブーゲンビル上空涙あり」
1964年に貸本誌「日の丸戦記」(日の丸文庫)第4号に掲載した同題の短編(『大空戦』に収録)の改作版で「文春漫画読本」1970年7月号に掲載。42頁が31頁に圧縮されている。
前半は山本五十六、後半は山本機を撃墜したフライヤー中尉と視点が交代している。42頁なら視点の交代は奥行をうむが31頁では印象が散漫になった。この作品はオリジナルの方が断然いい。
「田中頼三」
1960年に貸本誌「少年戦記」(兎月書房)第15号に掲載。
ルンガ沖夜戦は「幽霊艦長」(『敗走記』に収録)でも描かれているが、怪奇もの風に脚色していてラストはほとんどファンタジーだった。
こちらは史実に忠実に海戦の経過を描いたものでタッチは荒っぽいし刊本から複製したので細部がつぶれているが、「幽霊艦長」よりも迫力がある。
田中頼三の事績はアメリカ海軍は高く評価しているのに日本海軍では冷遇され、戦後もあまり知られていない。輸送船団の護衛という地味な任務にあたったせいだろう。日本軍の兵站軽視の悪弊はこんなところにもあらわれている。
「特攻」
1961年に曙出版から単行本として出た『壮絶!特攻』の改題版。前半は戦艦大和の水上特攻、後半は8月15日の玉音放送前におこなわれた特攻を描いた141頁の中編で本書中で一番読みごたえがあった。
沖縄に向かう大和には20機の零戦が掩護にあたったが、燃料のために途中で引き返している。主人公の撃墜王上代守大尉は帰途についたものの大和を見捨てるにしのびず、もう一度引きかえし、大編隊に波状攻撃をかけられ激戦の末に沈没する大和を見守る。
鹿屋基地にもどった上代には神風特別攻撃隊を先導し援護するという新たな任務が待っていた。いわば死の案内人であるが、皮肉なことに最後の任務で特攻に志願した実の弟を先導しなければならなくなる。弟の特攻を見とどけた上代は自分自身も空母に体当たり攻撃をかける。
史実では玉音放送前の最後の特攻は鹿屋基地ではなく百里原基地から発進し、敵艦隊にたどりつくまえに消息がわからなくなっている。本作はあくまでフィクションで実際はこんな勇ましい話ではなかったのである。