『鬼太郎夜話』 水木しげる (ちくま文庫)
水木しげるは鬼太郎、河童の三平、悪魔くんという三大キャラクターを生みだしたが、筆頭は鬼太郎だろう。紙芝居時代にさかのぼる最古のキャラクターである上に現在にいたるまで描きつがれ、アニメ・シリーズも1968年版をはじめとして5度にわたって製作され、2008年には貸本時代の鬼太郎が『墓場鬼太郎』としてアニメ化されている。最初のアニメ化で「墓場」という言葉が嫌われ、「ゲゲゲの鬼太郎」に改題したことを考えると感慨深いものがある。
鬼太郎は長く描きつがれただけに成り立ちが入り組んでいて、他の作品からとりこんだり、同じエピソードが何度も改作されたりしている。本書は長井勝一(『ゲゲゲの女房』の深沢のモデル)の「ガロ」(青林堂)に1967年6月号から1969年4月号まで連載された『鬼太郎夜話』の文庫化だが、これにはオリジナルがある。同じ長井がやっていた三洋社から1960年から翌61年にかけて出た同題のシリーズである(こちらは角川文庫の『貸本まんが復刻版 墓場鬼太郎』の第2巻と第3巻として収録)。
内容ともかかわるので、ここで鬼太郎シリーズの成立事情をふりかえっておきたい。
鬼太郎は紙芝居作家だった時代、戦前の人気作だった「ハカバキタロー」の題名にヒントをえて描きはじめたシリーズだった。貸本漫画に移ってから1959年に兎月書房(『ゲゲゲの女房』の富田書房のモデル)の貸本誌「妖奇伝」に鬼太郎の登場する「幽霊一家」(角川文庫貸本まんが復刻版『墓場鬼太郎』第1巻に収録)を描き、読者の反響があったことから『墓場鬼太郎』としてシリーズ化された。ところが3巻まで書いたところで原稿料不払いがつづいたために兎月書房と絶縁、長井の三洋社に移って『鬼太郎夜話』シリーズとして書きついだ。4巻までは出版されたが、長井の入院で三洋社が倒産、その混乱の中で5巻目の原稿は失われてしまった。
ややこしいのは水木が去った後の兎月書房が別の作家に鬼太郎シリーズの続篇を勝手に書かせていたことである。その作家は水木と面識があったので、続編を引き受けるにあたり、水木に1作だけだからと断りをいれたということだが、結果的に16作もつづいたという。
別の作家の書いた鬼太郎シリーズと平行して書かれたのが本書の原型の三洋社版『鬼太郎夜話』なのである。中盤から「にせ鬼太郎」が登場するのはこうした事情と無関係ではあるまい。
水木は1965年に「週刊少年マガジン」(講談社)に作品を発表するようになると鬼太郎を子供向きに描きなおして何本か発表するが(「少年マガジン」版はさまざまなところから出ているが、現在入手可能なものでは中公文庫コミック版が完備している)、当初はあまり人気がなかった。しかし『悪魔くん』のテレビ化で水木人気に火がつくと「少年マガジン」に鬼太郎が連載されるようになり、それが1968年の最初のアニメ化につながる。1967年から69年は鬼太郎が国民的キャラクターとして認知されていく時期なのである。
水木はまさにこの時期に貸本時代の『鬼太郎夜話』を古巣の「ガロ」に描き直している。「少年マガジン」版の鬼太郎はどんどん正義のヒーロー化していったが、ここには煙草も吸えばスリの手伝いもする原点の鬼太郎がいる。多忙な時期にろくに原稿料の出ない「ガロ」に敢えて貸本版鬼太郎を復活させたのは水木の作家意識のあらわれだろう。
吸血木にとり憑かれる歌手がトランク永井から三島由美夫に変わっていたり、浅沼ネタの省略があるなど細部が変わっているが、大筋は三洋社版と同じである。絵が精密化し完成度が高くなっているものの、荒々しいパワーは薄まっているが、つげ義春がアシスタントをしていた頃なので「寝子さんのようなきれいな子はつげ義春ぐらいの男前じゃなくちゃ」という楽屋落ちがあったりする(つげ義春のタッチを髣髴とさせるコマがあったりする)。三洋社版が角川文庫で入手しやすくなったとはいえ、「ガロ」の雰囲気が濃厚で、これはこれで独自の価値があると思う。