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『フィギュールⅡ』 ジェラール・ジュネット (書肆風の薔薇)

フィギュールⅡ

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 1969年に刊行されたジュネットの第二評論集である。『フィギュールⅠ』から3年しかたっていないが、方向性がずいぶん違っている。Ⅰでは18編中12編が作品論・作家論で、6編が批評論だったが、Ⅱでは比率が逆転し作品論・作家論は10編中3編しかない。ジュネットの関心は文学作品から文学理論へはっきり移行している。Ⅲになるとこの傾向はいよいよ顕著になり、全編が文学理論集になってしまい、『ミモロジック』やテクスト論三部作のような大部の理論的著作を予告することになる。Ⅱはジュネットが自分の仕事の方向性に目ざめた時期に書かれた文章を集めている。

 冒頭におかれた「純粋批評の根拠」はチボーデ論であるが、チボーデといっても若い人はほとんど知らないだろう。ヴァレリーと同時代の批評家で日本でも『文学の生理学』や『小説の美学』は必読だったし、スタンダール論や文学史もよく読まれていたが、現在入手可能なのはマラルメ論フロベール論だけのようである。

 チボーデはベルクソン哲学に依拠しすぎたためにベルクソンが時代遅れになるとともに忘れられていった観があるが、ジュネットはチボーデがマラルメの「書物」概念にいち早く注目した点や「文学共和国」という古色蒼然たる理想がヴァレリーの作家名のない文学史という理想に共鳴したものである点を再評価するとともに、ベルクソン的語彙で語られたジャンルの理論に注目し、ベルクソンから切りはなして現代的意義を見い出そうとしている。

 チボーデ論を冒頭にもってきたり、分類癖を指摘したり、ジュネットのチボーデに対する思いいれはなみなみではない。もしかしたらヴァレリーの名声の陰になったチボーデにバルトと自分の関係を重ねているのかもしれない。

 「修辞学と教育」は現代の教育では忘れ去られた修辞学を見直そうとした論考である。

 リセの最高学年は「修辞学級」と呼ばれていたが、1902年からは「哲学学級」という呼び名に変わる。修辞学の凋落はその百年前、ロマン主義の到来からはじまっていて、国語教育が文学に支配されるようになるにつれ修辞学は影が薄くなっていった。しかし長い伝統をもつ修辞学があっさり消えることはなく、現代の作文教育にも形を変えて残っているという。

 ジュネットによれば修辞学の伝統的な三部門のうち18世紀までは「発想」が重視されていたのに対し、19世紀には「表現法」に重点が移り、現代では「配置」の問題に限定され、もっぱら「プラン」の修辞学になっている。大学入学資格バカロレアくらいではそれほどうるさくないが、最難関の高等師範学校エコール・ノルマルの受験準備クラスや、さらにもっと難しい高等教育教授資格アグレガシオンでは主題に適合した構成を出来るだけ早く見つける「プランの反射神経」が問われるそうである。

 本稿の発表年はわからないが、バルトがジュネットも勤務していた高等研究院の1968年のセミナーで古典修辞学をとりあげた(その成果は1970年に『旧修辞学』として出版される)のよりも早く書かれたと思われる。当時は構造主義ブームのまっただなかだが、バルトとジュネットがともに古典修辞学に関心を深めていたのは興味深い。

 「文学と空間」は時間芸術としてとらえられがちな文学の空間的性格を構造言語学があきらかにした言語自体の空間性、プルーストの大伽藍に比せられる作品に見られるような期待・想起・対応・対称・遠近法といった効果によって切り開かれる空間性、さらに修辞学的な文彩フィギュールによって生み出される意味論的空間という三つの視点から考察している。

 「物語の境界」と「真実らしさと動機づけ」は後の物語論につながる論考である。「物語の境界は」はミメーシスと描写、「真実らしさ……」は17世紀の読者と19世紀の読者が期待していたリアリティの違いに注目して物語とは何かを論じている。

 「昼と夜」は『ミモロジック』の詩学につながっていく論考で、初期の問題意識を知ることが出来て貴重である。

 「詩的言語と言語の詩学」はジャン・コーエンの『詩的言語の構造』(1966)の書評として書かれた文章らしい。かつては詩=韻文だったが、19世紀に散文詩が登場して韻文は詩の指標ではなくなった。コーエンは詩を散文のコードの違反と定義し、違反がどのような頻度で発生するかを時代別に統計をとった。つまりは計量文体論である。

 ジュネットは『フィクションとディクション』ではこうした文体観を批判することになるが、本稿の時点ではかなり好意的に紹介している。

 「"スタンダール"」は本書中で唯一作家論といえる文章だろう。ただし「"スタンダール"」に引用符がついているのはジュネットスタンダールにおける固有名詞の曖昧さに注目しているからである。スタンダールは本名をアンリ・ベールといったが韜晦癖があり、書簡やノート、草稿は偽名や渾名や架空の地名や暗号だらけで考証が進んだ今日でも謎に満ちている。自分自身にこだわり、自らエゴチスムを標榜したものの、自伝的記述は虚構といりまじり、アンリ・ベールは作家スタンダールの登場人物の一人にすぎないという評言もでてくる。

 ジュネットは『赤と黒』と『パルムの僧院』の語り手の曖昧さを指摘した後、剽窃と創作の境界がいまだにわからないイタリアものの間接的描写を分析し「誰が話しているのかという一見単純なこの問いに答えることがしばしば困難となり、ときには不可能とさえなる」と結論する。スタンダールは超然とした自己を守るために尻尾をつかまれないように細心の注意を払っていたのである。

 最後のサン=タマンの長編詩『救われたモーゼ』を論じた「あるバロック的物語について」と「プルーストと間接的言語」ではジュネットは狭義の文芸批評にはほとんど興味を失っており、サン=タマンとプルーストを材料に物語論を展開しているといった方がいい。バロック的物語のいりくんだ階層構造は眩暈がしてくる。プルーストが複雑に織りあげた暗示で進む物語から間接的言語を浮かび上がらせる手際は見事の一語に尽きる。

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