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『悲しみの歌・黒海からの手紙』 オウィディウス (京都大学学術出版会)

悲しみの歌・黒海からの手紙

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 紀元8年、ウェギリウスもホラティウスもすでになく、50歳になったオウィディウスはローマ随一の詩人の名声をほしいままにしていたが、滞在先のエルバ島から急遽ローマに呼びもどされ、黒海の畔の町トミスへの「左遷」を言いわたされた。元老院の正式決定でこそなかったが、皇帝アウグストゥスの意向であり事実上の流刑であった。

 トミスは現在のルーマニアコンスタンツァにあたる。ミレトスのギリシア人が築いた古い植民市であり、アルゴ船が立ち寄ったとされているが、当時はローマ帝国領になったばかりの辺境の町であり、野蛮なゲダエ族が混住していた。国境のドナウ河に近いだけに冬に河面が凍れば蛮族の来襲を恐れなければならなかった。

 オウィディウスは『祭暦』や『変身物語』の書きかけの原稿を他の持ち物とともに火に投じてローマを出た。

 詩で罰っせられたオウィディウスだったが、詩なしで生きることはできなかった。流謫地でも詩作をつづけ『悲しみの歌』と『黒海からの手紙』という二作品を残した。

 本書の解説によると両作品とも長らく評価されず、「奴隷のように卑屈なこびへつらいの詩」、「卑屈で臆病なごますりの言葉」等々とくさされてきたという。ようやく再評価されるようになったのは第二次大戦以降である。

 確かに作風は一変し女々しい自己憐憫の言葉が目につくが、ラシーヌよりボードレールを上におくこの国の読者には初期や中期の作品よりむしろ親しみやすいのではないか。

 後に古典主義と呼ばれる文学理念では詩は普遍を描くべきとされ、特殊なもの、個別的なものは詩の対象として値がないと見なされていた。地方色や個人的な体験が堂々と詩に描かれるようになったのはロマン派以降のことにすぎない。オウィディウスの流謫地での作品にはロマン派より1800年も早く地方色や個人的な体験が歌われているのである。

 トミスの様子を教えてほしいという友人にオウィディウスは書き送っている。

この海岸にはギリシア人とゲタエ族とが混在していますが、

 治安のよくないゲタエ族が大半です。

サルマタエ族やゲタエ族の大群が

 馬に乗って道を行ったり来たりしています。

その中で、矢筒と弓を持たぬ者、

 蛇の胆汁で薄黄色の矢を持たぬ者は皆無です。

声は荒々しく、顔つきは恐ろしく、軍神マルスの真の姿をとり、

 髪の毛は切られたことなく、髭も剃られたことなく、

右手は小刀を突き立て傷を与えるにすばやく、

 蛮族の者は一人残らず腰に小刀を差しています。

 オウィディウスは個人的な思いのたけもなりふりかまわず吐露している。たった一人僻遠の地に流され病に伏した心細さを詩人は訴える。

この最果ての地と人々の中で、私はぐったりとなって横になっており、

 弱り果てた私に思い浮かぶのはすべてここにはないものばかり。

あらゆることが思い浮かぶが、妻よ、お前がすべてを凌駕して、

 私の胸の半分以上をお前が占めている。

ここにはいないお前に私は話しかけ、私の声が呼ぶのはお前一人。

 お前なしでは夜も昼も私の所には来ない。

 このような語り口はわれわれにはおなじみだが、ロマン派までは詩とは認められなかったのだ。オウィディウスの後期作品は時代をはるかに先取りしていたといえるかもしれない。

 「卑屈なこびへつらい」、「卑屈で臆病なごますり」とくさされたのはアウグストゥス帝に減刑嘆願の書簡詩を書いたからだが、実際に読んでみると「卑屈」とは感じなかった。

 オウィディウスは流刑地をローマの近くに変えてほしいと嘆願した後、こんなことを書いている。

でも、もし私の罪がなければ、どうしてあなたは寛大さを示すことが

 できたでしょう? 私の運命があなたに寛容の機会を与えたわけです。

 親子ほども年の違う老帝に対してため口をきいていると感じたのは日本的な誤解だろうか。

 詩人は忠誠心をアピールするためにこうも書いている。

さらに言う必要があるでしょうか、私の罪の元になった本でさえ

 千の箇所であなたの名前で一杯だったということを?

未完のもっと大きな作品を調べてみて下さい、

 ――信じられない仕方で変容を遂げた者たちの本を――

あなたはそこにあなたの名前の賛辞を見つけることでしょう、

 私の忠誠心の証拠を数多く見つけることでしょう。

 帝の不興をかった原因をオウィディウスは「詩と罪」と書いている。「罪」は帝の孫娘がらみといわれているが、具体的なことは明らかにされていない。「詩」は『恋愛指南』をさすが、オウィディウスは同作は遊女のために書いた本であり、最初の頁で「高潔な女の手が降れないように警告」したと弁明している。さらに天下のウェルギリウスも同罪だと切り返す。

しかし、あなたの『アエネイス』のあの幸運な作者は

 「英雄」をテュロスの女王の床に導き、

全巻の中で最もよく読まれているところといえば、

 不義の恋の部分にほかならない。

この同じ作者は、ピュリスと優しいアマリュリスの恋の火を

 若いときに牧歌の調べで戯れにつくった。

私もまた随分昔にそのようなものを書いて、罪を犯した。

 古い罪が新しい罰を受けているというわけだ。

 異国人の誤解かもしれないが、わたしにはへりくだっているのは表面だけで、腹の中では皇帝に舌を出しているように感じた。

 自作に対する自負も並々ならぬものがある。蛮地についたばかりの頃は原稿を焼いたと書いていたが、焼いたのが事実だとしても作品は後世に伝わっているわけで本気で湮滅しようとしたわけではあるまい。

 落ち着いてくるとローマの友人宛にこんな書簡詩を書いている。

私の詩を整理してくださっているのですか、

 作者を破滅に追いやった『恋愛指南』以外の詩を?

そうして下さい、お願いします、新詩人の称賛者よ、

 可能な限りローマに私の体を引き留めてください。

私には追放が宣告されましたが、本には追放は宣告されませんでした。

 本はその主人の罰を受けなくてもよかったのです。

 『恋愛指南』は公共図書館で廃棄されたもののオウィディウス作品の出版が禁止されたわけではなかったのだ。

 オウィディウスは妻への書簡詩に墓に刻む墓碑銘を書き記した後、こうつづけている。

碑銘にはこれで十分。というのも、私には碑銘より本の方が

 より大きな永続的な記念碑であるからだ。

私は確信している、本は作者を傷つけたけれども、

 また作者に名声と永遠の命を与えてくれるだろうと。

 詩人は流謫地にあってなお意気軒昂である。

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