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『それからのエリス』 六草いちか (講談社)

それからのエリス

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 『舞姫』のエリスのモデル、エリーゼ・ヴィーゲルトをつきとめた『鷗外の恋 舞姫エリスの真実』の続編である。著者がついにエリーゼの写真にまで行き着いたことは新聞の報道などでご存知だろう。本書はこの奇跡ともいえる発見の顚末を語っている。

 前著のしらみつぶしの調査の後でまだ調べることが残っているのだろうか、周辺的事実の落ち穂拾いで終わってしまうのではないだろうかと危惧して読みはじめたが、はたして370ページのうち最初の270ページは心配したとおりの展開だった。

 六草いちか氏は調査を再開するにあたり一つの仮説を立てる。エリスは鷗外の子供を身ごもっており、ドイツに帰ってから産んだのではないか、というのだ。

 そう疑う理由はある。まず不幸な結末にもかかわらずエリーゼが鷗外と文通をつづけていたこと。日本くんだりまで行ったのに追い返され(帰りの船の件で森家はエリーゼにひどい仕打をしている)、独身をつらぬくならまだしも、さっさと別の女と結婚した男と手紙をやりとりをするなど、女性としてよほどの事情があったのではないかというわけだ。

 興味深いことに鷗外は毎月海外に謎の送金をおこなっていた。本の注文ではない。鷗外はドイツの書店にまとまった額を送金しておいて随時本を取り寄せ、残金がなくなりそうになると、またまとまった額を送るようにしていたので、書籍代を頻繁に送金する必要はなかった。

 エリーゼ帰国の16年後、鷗外は日露戦争に出征するが、その間送金手続は母の峰が代行していた。それも80円という結構な額である(森家の一ヶ月の生活費は50円)。

 毎回80円送っていたのかどうかはおくとして、鷗外はどうしても毎月「西洋為替」を送らなければならない事情があったらしい。宛先はエリーゼだったのだろうか。エリーゼが産んだ子供の養育費と考えれば説明にはなる。

 六草氏はこの仮説をもとにエリーゼ周辺の出産記録に丹念にあたっていくが、その過程で帰国後のエリーゼとその家族、そして世紀末のベルリンの庶民生活がしだいに明かになっていく。

 発見は多い。たとえば家主とされていたヨハン・ジルバーナーゲル氏はエリーゼの母の再婚相手で、一家はジルバーナーゲル家に間借りしていたわけではなく、年のはなれた弟が産まれていたこと。

 今野勉氏が『鷗外の恋人 百二十年後の真実』でアンナ・ベルタ・ルイーゼ説の物証とした文京区森鷗外記念館所蔵のモノグラムとイニシャル違いの同じ物を発見して大量生産品であることを確認し、クロステッチの部分に暗号が隠されているという見方に完全にとどめをさしたこと。

 鷗外の最初の下宿というふれこみの「ベルリン・フンボルト大学鷗外記念館」は縁もゆかりもない別の建物にあること。

 1908年に『舞姫』の最初のドイツ語訳をおこなった宇佐美濃守がエリーゼに会っていたこと。ベルリンの日本人留学生コミュニティは小さいので『舞姫』が評判にならないはずはなく、エリーゼの仕事場に押しかけるふとどき者もいたらしい(六草氏がエリス探しをはじめるきっかけとなった日本人「軍医」と踊子のロマンスは『舞姫』にかぶれた日本人留学生のしわざだった可能性がある)。

 鷗外研究者なら真っ青になるような事実がいろいろ出てくるが、一般の読者にとってはたいして興味のあることではないかもしれない。

 そしてようやくエリーゼの結婚相手がユダヤポーランド人の「行商人」のマックス・ベルンハルドであり、彼のみすぼらしい「墓石」をつきとめるところまでゆく。

 エリーゼは38歳で結婚したことは公文書によって確認されたが、面白いのはテクストの読解だけで同じ結論を引きだした研究者がいたことだ。

 その研究者とは『森鷗外 「我百首」と「舞姫事件」』の小平克氏で、『うた日記』の「無名草」に掲出されている

前栽の ゆふべこほろぎ 何を音に鳴く

女郎花 君あらぬまに 枯れなんとなく

君をおもふ 心ひとすぢ 二すぢの征箭

折りくべて たけば烟に むせびてぞ泣く

の「君をおもふ 心ひとすぢ 二すぢの征箭」(あなたを想う心は一筋だったのに、二筋の征矢に射られた身となった)という条から「エリーゼは別の男性からの〈想いの矢〉を受け入れて結婚を承諾したので、鷗外には手紙を出さないとの通告があったものと推測される」と結論しているという。

 「無名草」は銃後の志げ夫人になりかわって作った詩歌とされてきたが、鷗外はちゃっかりエリーゼの心情で詠った詩をまぎれこませていたのである(文学少女だった志げ夫人は気がついていたと思われるが、結婚したならいいかと黙過したのだろうか)。

 六草氏は本業で取材しなければならないベルリン映画祭が迫ったこともあり、探索を打ち切ろうとする。

 ここで前著以来たびたび救いの手をさしのべてきた「墓地の彼女」が六草氏を叱咤し、偶然につぐ偶然というか、怒濤の展開がはじまる。そして人知を越えた流れに押し流されたというか、何かに引き寄せられたというか、ついにエリーゼの親族にたどり着き、「行商人」の妻とはかけ離れた生活をしていたと知ることになるのである。

 決定的なのはエリーゼが日本に行ったことがあると一族の間で語り継がれていたことだ。これまでテレビの取材でエリスの親族とされる人が二度出てきたことがあるが、日本に行った話を聞いたことがあるかという問いにどちらも知らないと答えていた。120年も前にドイツから娘一人で日本に旅行するのは大事件であって、語り継がれないはずはないのだ。

 読者の中には最後の100ページの幸運の連続は信じられないという人がいるかもしれない。しかし取材していると、人知を越えためぐりあわせのようなことがままあるのである。わたし自身、どうしても入手できなかった資料が向こうの方から飛びこんできたという経験が一再ならずある。

 エリスをさがす六草氏の探索は大団円をむかえた。海外送金など不明な点はいくつか残るが、120年前のことだからしかたないだろう。よくぞここまで真相に迫ったと拍手を贈りたい。

 最後にもう一つ。前著と本書の二冊は鷗外の研究書としてだけでなく、読物として抜群に面白い。特に「墓地の彼女」のキャラクターは強烈だ。謎解きあり、悲恋あり、観光あり、笑いありで、映画にぴったりだと思うのだが、誰か映画化しないだろうか。

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