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『妖精と妖怪のあいだ 評伝・平林たい子』群ようこ(文藝春秋)

妖精と妖怪のあいだ 評伝・平林たい子

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 別れた夫から「妖怪」といわれた女性作家がいる。平林たい子である。小説『妖怪をみた』を書いたのは小堀甚二。戦前、プロレタリア文学の代表的な雑誌『文芸戦線』同人のひとりである。平林たい子林芙美子の同時代人。小堀と同様に、プロレタリア文学に登場し、戦後も長く人気作家として活躍した。ちょうど今年は生誕百年。いまや忘れられた感のある作家ではあるが、群ようこ平林たい子という組み合わせ自体が魅力的だ。だいたい、そもそも平林たい子はなんで「妖怪」といわれたのか。
 たい子は、信州諏訪の零落した旧家の出身である。貧乏ではあったが、諏訪の高等女学校を首席で入学し、文学と社会主義に目覚めて、卒業後すぐ上京した。このとき見送りの父は「たとえ女賊になるにしても、一流の女賊になるんだぞ」と言ったという。さすがに朝鮮半島に出稼ぎに行っていた父らしい。東京で待っていたのは疾風怒涛の日々である。たちまちアナキストの山本虎三という人物と同棲したたい子は、革命ビラをばらまいたり、リャク(ゆすり)を行なったりと、十八、九歳のれっきとした不良少女になっていく。山本と別れたあとは、新興美術雑誌『マヴォ』の柳瀬正夢の紹介で会った高見沢仲太郎(「のらくろ」漫画の田河水泡!)と一緒になっている。これが2週間で破局したあとは、高見沢の紹介でやはり『マヴォ』同人の岡田竜男と暮らすようになる。いやはやである。いまどきの若いものはなどと言っていられない。いまも昔も少年少女は荒々しい。
 生活のために炊事係や女給勤めもしたりするのだが、もともとが文学少女である。これが自分の本来やりたいことではないという思いがムクムクともたげる。岡田の属した『ダムダム』という雑誌のグループと銚子の合宿生活に入るが、今度はそこで飯田徳太郎と関係が出来てしまう。同じように生活と男の苦労を重ねてきた林芙美子に刺激されながら、ようやく作家への道のりをつかみはじめるのが大正末頃だ。『文芸戦線』に文章を書き出したころ、同人の小堀甚二と会い、ようやく落着いた結婚生活に入る……はずだった。
 前半、出発期のくんずほぐれつもすごいが、後半の戦後篇も興味がつきない。政治運動にのめりこみ収入のない小堀を養いながら、林芙美子よろしく、たい子も作家街道をつき進む。女性作家の地位があがるにつれて、ラジオや新聞で人生相談なども始めるのだが、自分の人生の方の始末がつかない。小堀は家政婦と関係が出来て、子供まで成してしまうのに、たい子はまったく気づかない。たい子自身も英語の家庭教師となった混血青年に恋心をつのらせる。めちゃくちゃのように見えるが、群ようこはその常識をものともしないつよさと過敏さ、自分の関心のあるものだけは見えるが、無関心なものは視野から消されてしまう身勝手さ、新しさと古さの矛盾や中途半端、それでいてひたむきな純情をまるごと受けとめている。たしかに友だちにはなりたくないし、ましてやパートナーはごめんこうむりたいが、このすさまじいエネルギーには圧倒される。
 ここに出てくる男たちも、芸術と社会正義には燃えるけれども、生活力はないし、家事は女にまかせっぱなし、それでいて手は早い、ストーカーにはなるし、DVも日常茶飯と、ろくでもないものたちばかり。たしかにそういうところもあったのだろうが、かれらは何を求め、何をしようとしていたのかの背景もややかすんでしまう。その分、ここまで男たちがダメだと、対する平林たい子も「妖怪」度が高くなっていく。書き手が「○○主義と聞くだけで頭が痛くなってくる」とあらかじめ禁じ手を打っているのでしかたないのだが。
 印象的な場面が小堀の小説から引かれている。小堀が34歳、たい子が30歳のある朝、ふたりがセックスしたあと、「白いあざらしのように肥満した彼女」が蒲団からごろごろと回転して、全裸のまますっくと立ち上がると、嘆息するようなふるえ声で言ったという。「ああ、恐ろしい。こんな深い快楽がこの世にあるとは知らなかった」。おそらく年齢からして1935年頃のことだ。
 若干、男たちから見た「たい子像」が強いかもしれないが、強烈な存在感の女性ではある。たい子自身も関係した男たちのことをあけすけに小説に書きつづけた。そうした私小説的な、暴露的な姿勢を愚かだということはたやすいが、戦争と革命の世紀を生きた男と女の生態をさまざまに語ったドキュメントとして貴重だと思う。左翼文学からは位置づけにくかった平林たい子が、こうして新たな観点からスポットをあてられている。たい子の著作は小説では『こういう女/施療室にて』、評伝では『林芙美子宮本百合子』(講談社文芸文庫)ぐらいしか新刊で読めないようになっているが、ぜひとも一度はこういう作家にぶん殴られるような気分を味わってほしいものだ。

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