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『この社会の歪みについて』野田正彰(ユビキタスタジオ)

この社会の歪みについて

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ニート、フリーターは気付いている。正社員になれば、待っているのは奴隷労働だ」

この本の帯にはそう書かれている。刺激的な本だが、あまり知られていない本だ。出版社のユビキタスタジオがマイナーだからである。

ユビキタスタジオのホームページ

ユビキタスタジオ代表、堀切和雅のインタビュー

 著者は比較文化精神科医学者の野田正彰氏。日本社会を精神医学や比較文化の視点で批判的に分析してきた人だ。

 

 野田正彰も、聞き手の堀切和雄も二人そろって深刻に世の中を憂う。読んでいるうちに暗い気持ちになってくる。日本の将来は真っ暗だ! という気分に導かれるのである。

 野田は、日本社会は江戸時代から超管理社会だった。このため、社会批判をする力を喪失したと見る。「日本の社会では、国家は契約によって成り立っている、ということの意識はほとんどない」「はじめに国家ありき、です。国家があって、生かされている、というふうに思っている」と野田は日本人と国家の関係を分析する。そのため「救いようのない息苦しさ」が発現する、という。

 その分析の是非はともかく、この日本国では、人々に不満があっても、その当事者が、改革の主体になって動くという取り組みはほとんどない、ということには納得する。

 ある政策について不満を表明しても、その解決は官僚、または官僚と友好的な関係をつくっている民間組織が担うことになっており、問題解決は先送りされるだけだ。マスメディアは、日本社会の改革という情報商品は、消費者から関心をもたれないことを知っているので深入りすることはない。

 よくある閉塞感である。

野田と聞き手の堀切はこう語っている。

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--社会批判をしたり、兵士として死ぬことを拒否したら、一族郎党がひどい目に遭う。

「そういう社会を近世以来つくりあげて、管理してきたから、それができるんです。そして、その管理にむしろ加担し、従順になっていく国民が、多数いる、ということですね。

 今でも、過労死をする道を選んでも、デモをしたり、訴える声を挙げる、という道は選ばないでしょう」(73頁)

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 この国に満ちている閉塞感(非常に言語化しにくい、あいまいな空気のようなもの)を把握し、思考するために「使える本」である。

 そうはいっても閉塞感を解決するための具体的な処方箋はほとんど示されない。文化的な交流する時間をとれ、仕事を休め、というくらいだ。聞き手の堀切もそこは不満だった。

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--野田さんのお話をずっと聞いていると、もうこれは治らない、日本の人間は手の施しようがないところまで来た、という感じさえしてしまいます。

「当分変わらないものを、いや、変わるんだ、と言うかどうかは、それは好みの問題です。人々の幸福感が、満足感が30%の社会で、言論だけで、幸福になるプランを出せ、と言っているわけですよ。あなたは」(109頁)

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 野田は精神科医であり、大学教授である。そのため本書で取り上げられる事例の多くが、精神科に来診する患者、精神的に未熟な大学生(学生とは未熟なものだ)に偏っている。日本社会に心を破壊された患者と、母子密着家庭で幼稚に育った大学生を分析して、日本社会全体を語られるのはいかがなものか、という思いはある。

 最後の頁にある次の一文は、若者には是非とも読んで欲しい。

若い人たちも、身近な人たちとの付き合いの中に喜びを見出さないと、このままで行って中年に達したら、もともと燃えてないから『燃え尽き』という言葉も使えないんだけど、生きている実感の乏しい、感情的に痙攣するだけの人間になってしまう」

 若者は知識人にとって、格好の観察の材料になってしまうのだ。野田は、いまの若者がコミュニケーション不全症候群に陥っていることを「診断」している。若者からみれば、野田の発現は年寄りの愚痴に聞こえるか、だるいから聞く必要はない言葉に過ぎないかもしれないが。

 

 日本社会は病んでいる、その病巣は深く治癒しがたい、という冷徹な現状認識。それはそれで貴重だが、閉塞感を変える力にはならないだろう。

 それでも、この本は好著であると思う。口述筆記であるから厳密な議論になっていないが、なぜ日本人は過労の現場から逃げることなく無抵抗に働き続けているのか? なぜ若者は他者とのコミュニケーションが不得手なのか? という長い間、抱えていた疑問を解消するためのヒントがあるからだ。

<追記>

 若者の精神が脆弱だ、コミュニケーション能力が貧困だ、と若者を分析する姿勢が確かに野田にはある。これは若手の評論家・後藤和智が厳しく批判する「俗流若者論」の典型、といえるだろう。野田の若者批評の姿勢が一貫しているならば、後藤は野田を必ず批判しているはず、と思い検索してみたところ、たしかに野田正彰批判がアップされていた。

http://kgotoworks.cocolog-nifty.com/youthjournalism/2005/08/post_02fc.html


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