『わたしの戦後出版史』松本昌次(トランスビュー)
「回顧からは希望はみえず。希望は自分たちでつくりだそう」
出版不況といわれて幾星霜。月刊現代、月刊プレイボーイという歴史のある雑誌が休刊される。一方で、年間8万タイトルの書籍が生み出され、その約40パーセントが売れ残って裁断される。その一部はブックオフに流れて100円で売られては消えていく時代。
編集者は、DTPとPOSデータに縛り付けられている。企画の焦点は、売れ筋かどうかに傾斜していく。
閉塞感に満ちた出版業界なんとかならないだろうか? と考えた二人の大手出版社の編集者(小学館の上野明雄、講談社の鷲尾賢也)が、伝説の編集者「松本昌次」にインタビューをしてつくったのが本書である。
松本氏は、編集者歴50年のベテラン。いまも現役である。これまで担当した書き手は、花田清輝、埴谷雄高、丸山眞男、平野謙、野間宏、杉浦明平、溝上泰子、廣末保、藤田省三・・・戦後の思想史、文学史を彩る綺羅星ばかり。
私にも少なからず編集者の友人がいる。
いろいろな編集スタイルがある。
「売るための本を3冊つくり、自分がどうしても編集したい本を1冊つくる。それでサラリーマンとしてのつとめと、自分の仕事のやりがいとのバランスをとっている」
「売れることは、読者の求めているニーズに合っている。これが出版の仕事の普通の姿」
「自分が面白いと思う著者と、面白い本をつくりたい。ほかのことには興味はない」
「広い読者に受け入れられるためには、企画内容をすこしトーンダウンさせていく。日本人の民度にあわせたとき、ベストセラーが生まれる」
それぞれが、その編集者の人生観だし、仕事観を反映されている。
しかし、その結果が年間8万タイトル、4割が裁断という本の墓場行きという惨状。利益率はダウンし、著者も編集者も燃え尽きかけている。元気な著者は、アイデアだけを提供し、執筆はゴーストライターに任せている著名人といった状況である。もちろん仕事術の工夫によって、良質の書籍を量産できる一部の筋金入りのプロはいるが、それは一部であって全体ではない。
伝説の編集者の言葉はシンプルである。これに大手編集者は頭を垂れて耳を傾けている。
「わずか数十年前の、戦後の思想家や文学者でも、よほどの方をのぞいてはどんどん忘れ去られ、著書なども書店で見当たらないというのが現状です。そんなに次から次に文化が入れかわって、いったい何が継承されるんでしょうか」「時代の反映でしょう。なんでもカネですから、出版界もそれに引きまわされているわけですね。30年ほどまえに「消去の時代」という短い文章を書いたことがあります。70年代半ばあたりですが、そのころからすでにいまの状況が強まっているんです。それが現在ピークにきているんだと思います。「消去の時代」とは、人を押しのけて何かをやるより前に、こういうことはしない、こういうものは出版しない、と決心することが大事だということでたす」
「人文書どころか、いまや出版物全体がほとんど実用書と娯楽本で、読んで身になるとか、考えさせるとか、本当に我を忘れておもしろいというような新刊は見つけるのが容易ではない。しかも、もしあったとしても新刊洪水のなかで多くの読者には迎えられない」
「本はかつてのような力を失っているんじゃないでしょうか。そういう意味での絶望なんですよ。もしわたしがいま若ければ、本づくりなどしないで、別の直接的な文化運動なんかをやるほうがいいなという気持です」
松本氏のような昔気質の編集者はいまもいるのだ。しかし、経済的に、社内的にも評価されることはない。思想家は絶滅したようだ。文学者の役割はなくなった。
本書を読むことで、次の世代の出版ビジネスの希望が見つかるのではないか、と思っていたのだが回顧だけでは未来の希望は見えない。
松本氏が活躍した時代と今とでは環境が違いすぎるのだ。
情報が氾濫する社会では、新しいタイプの編集者と書き手が必要とされている。
ひとつの時代が確実に終わった、新しい世代が新しい本を作るしかない、という平凡な読後感を持った。
それにしても松本氏は幸福な編集者であった。私たちは別の形の幸福を、出版からつくりだしていかなければならない。