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『国民語が「つくられる」とき-ラオスの言語ナショナリズムとタイ語』矢野順子(風響社)

国民語が「つくられる」とき-ラオスの言語ナショナリズムとタイ語

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 「国民語が「つくられる」とき」? いつの時代の話なの? 「ラオス」? どこにあるの? そう思ってくれるだけでも、著者、矢野順子は、救われる思いがするかもしれない。著者は、「あとがき」で、つぎのように述べている。「筆者の研究は、国際協力のような分野と比べると、今すぐラオスの役に立つようなものではないかもしれない。しかしこうして、日本の人びとにラオスを紹介することもまた、お世話になった人びとへの恩返しになると信じ、今後も研究を続けていきたい。将来的には、ラオスに残っている内戦時代の資料の修復や保護にも携わっていけたらと考えている」。この著者の念いがわかる日本人が多くなったとき、日本も成熟した国際文化社会の一員になっていることだろう。


 ラオスは、中国、ミャンマーカンボジアとも国境を接するが、概ねタイとベトナムとに挟まれた北西から南東に細長い国で、タイとの国境はメコン川になっているところが多い。タイとは、民族的にも言語的にも、ひじょうに密接な関係にある。


 本書の内容は、帯につぎのように要約されている。「言語に託された独立自尊への道すじ」「近似する言語をもつ隣国タイ。その強大な政治・文化の磁場にさらされ続けるラオスにとって、言語の独自性は独立の証しである。国民語を創り、守り育てる現場からのレポート」。


 近代国民国家が成立する過程で、多くの国で国語の成立が大きな課題となった。国語は、まず教育用語になり、ついで近代のマスメディアとなった新聞・雑誌、ラジオ・テレビの共通語となって、国民の意思疎通に欠かせないものになった。しかし、現実には多くの人びとは、標準語と方言の「バイリンガル」になり、無意識に使い分けている。言語を通して、国民意識と郷土・民族意識の両方をもっている。ところが、人口580万(2006年)のラオスの場合、その国土は、フランスの植民地国家として成立する前に、かつてこの付近に存在したどの王国の領域とも一致しない。民族としての独自性も、それほどない。したがって、歴史的に独自性を主張できるだけの共通の文化は存在しない。カンボジアアンコールワットのような国家や民族を象徴する文化遺産もない。言語による独自性しか、「独立の証し」がないのである。


 著者は、本書で、「ラーオ語がラオスの国民語としていかにして「つくられて」きたのか、タイ語との関係に注目しつつ明らかにしていきたい」。「一つの「言語」を「つくる」ということが、いかに政治や社会・経済状況、ナショナリズムといった、本来「言語」にとって「外的」であるはずの要因によって、左右されるものであるか、ということを示す試みでもある」という。


 著者は、その結論として、つぎのようにまとめ、「ラオスの人びとがラーオ語を守ろうとする意志」を伝えている。「王国政府においてラーオ語を「つくる」プロセスは、タイ語とそしてタイとの境界を確立しようと奮闘してきたという歴史でもあった。本書ではとくに正書法イデオロギー、語彙の三点からみてきたわけだが、そのいずれにおいても、共通していたのは、ラーオ語を独自の言語としてつくりあげることで、タイとラオスの国境線を補強し、「旧支配者」であるタイからの独立を確固たるものとしておこうとする、人びとの強い意志であった」。


 研究者が近代の終わりを感じ始めた1980年代まで、さかんに論議された国民国家論を知っている者は、本書で議論されたことは、もはや既知のことの繰り返しであると思うかもしれない。親切に、世界各地で起こった同様の事例を、著者に教えようとするかもしれない。しかし、本書で語られていることは過ぎ去った話ではなく、現実にラオスの人びとが日々の生活のなかで闘っている話なのだ。しかも、1975年まで30年にも及ぶ内戦の結果、自らのアイデンティティを証明する多くのものを失った人びとが、その「証し」を言語に求めているのである。もし、ラオスが文化的でさえタイに「併合」されるようなことになれば、人びとは内戦の意味を失ってしまう。内戦を体験した人びとは、タイの人びとと共有できない重い歴史を背負っている。著者が、「将来的には、ラオスに残っている内戦時代の資料の修復や保護にも携わっていけたらと考えている」ということの意味がわかれば、わたしたちがこの研究から学ぶことは実に多い。「ラオスから学びたい」という人がひとりでも多く現れることを、著者が願っていることは、「日本の人びとにラオスを紹介することもまた、お世話になった人びとへの恩返しになる」という言葉からもうかがえる。


 本書のような研究は、長い年月と根気のいる分野だ。小器用にまとめて、大量に業績が出せる分野ではない。こういう分野の研究者の業績一覧を見ると、研究者が多く研究が進んでいる分野の同世代の研究者と比べて、あきらかに見劣りがする。研究費を得る機会も少なく、研究者としてのポジションを得ることも容易いことではない。こういう研究に従事する若手が落ち着いて研究する環境はつくれないのだろうか。国民語を「つくる」より簡単だといいのだが・・・。

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