書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『フルトヴェングラーと私-ユピテルとの邂逅』ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(河出書房新社)

フルトヴェングラーと私-ユピテルとの邂逅

→紀伊國屋書店で購入

「大声楽家、大指揮者を語る」

 大指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)の名前をタイトルに含む本がどれほどあるか知らないが、私自身が過去に新聞や雑誌に取り上げた本だけでも最低4-5冊はあるはずだから、わが国にもいまだに根強いファンがいると思われる。フルトヴェングラーのディスク案内の類ならここに取り上げる必要もないだろうが、昨年亡くなった大声楽家ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(1925-2012)が晩年に書いたものとなれば、本書(『フルトヴェングラーと私―ユピテルとの邂逅』野口剛夫訳、河出書房新社)を見過ごすわけにはいかない。

 クラシック音楽の世界では、大指揮者としてのフルトヴェングラーの名前はとうに神格化されている。本書にもそのような記述を探そうと思えばいくつも見つかるが、フィッシャー=ディースカウほどの大声楽家が月並みなフルトヴェングラー論に終始するようなことは決してしていない。彼は声楽家としてフルトヴェングラーと一緒に仕事をした1950年から54年までの記憶を辿りながら、指揮者としてのフルトヴェングラーの本質に迫ろうとしている。

 フルトヴェングラーの指揮する音楽を少しでも聴いたことがあるなら誰もが気づくはずだが、彼の解釈は楽譜に忠実という意味での「新即物主義」とは対極にあるものである。現代では、さらにモーツアルトベートーヴェンの時代の楽器や奏法を忠実に再現すればよしとするような傾向がみられるようになったが、フルトヴェングラーなら必ずこれには異議を唱えたはずである。フィッシャー=ディースカウも同意見で、フルトヴェングラーへの共感が自分の進むべき道を決めたのだと言っている。

「彼が憎んだのは、作品への忠実さのはき違え、すなわち『オリジナル楽器』による小編成での歴史考証的な演奏であった。このような演奏からは生きた音楽は生まれない。フルトヴェングラーにとって音楽は世界の理解だけを目指すのではなく、個々の人の心をとらえ、魅了し、変容させるためにあった。聴くということから音楽の全てが始まる。今日では人気のない十九世紀の概念だが、これが私の進む道を決めたのであり、今もその途上にある。これはワーグナー的な態度と言えるかもしれない。いずれにせよ、ワーグナーにはフルトヴェングラーのあらゆる思考の源泉がある。」(同書、19ページ)

 たしかに、フィッシャー=ディースカウも初めてフルトヴェングラーの指揮に接したとき、「慣れ親しんだ教則本に書かれている規則からは遠く隔たっている」という意味で「主観的」なものように感じられたことを認めている。しかし、「彼の精神性と魔術的な放射の力」にはとうてい抗うことはできなかったという(同書、19-20ページ)。それどころか、「感情と知性の絶えざる戦いとして描かれるべきものを再現するには、それはほとんど理想的と言えるほどにふさわしかった」とさえいうのである(同書、20ページ)。このような芸術を真似することはほとんど不可能である。

 フィッシャー=ディースカウは、このようなフルトヴェングラーの指揮の特徴を、彼が作曲家でもあった(自分自身は指揮者よりはむしろ作曲家になりたかった)事実と結びつけて考えているようだ。「彼が自らを作曲家として感じ、作曲する者として常に音楽を考えていたということは、彼の演奏を、ただ演奏しかしない者の演奏とは全く違ったものとした。その生涯にわたって、作曲は彼の指揮における力強い原動力ともなったのだ」と(同書、65ページ)。

 このような見解はフィッシャー=ディースカウだけのものではないが、興味深いのは、イタリアの名指揮者アルトゥーロ・トスカニーニフルトヴェングラーの指揮を指して「天才的な素人」と呼んだことに関連して、その「素人」と呼ばれることの意味を掘り下げようとしていることである。

 フルトヴェングラーの指揮については、アインザッツが正確ではないとか、ぶるぶる震えている腕を見ても何を意味しているかさっぱりわからないとか、いろいろな批判があることは確かである。だが、フィッシャー=ディースカウは、フルトヴェングラーとは対照的なもう一人の名指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンでさえ、次のように言っていたという。「フルトヴェングラーの中には創造的な優柔不断があり、それは非常に特殊なものだったが、自分はそこからとても多くのことを教えられた」と(同書、87ページ)。「創造的な優柔不断」とは言い得て妙だが、これも言葉では説明しにくそうだ。だが、ヒントはある。

「彼には一切が初めてでなければならず、同じであってはならなかった。≪コリオラン≫序曲のユニゾンの出だしなどを聴くとそう感じられる。常に彼は苦闘していた。意志の強さ、悩ましい法悦を体現する一方で、あえて優柔不断でもあろうとした。ヨアヒム・カイザー(音楽評論家)の報告によると、フルトヴェングラーピアノ五重奏曲のスケッチには『不確かに』と書いてあるようだ。」(同書、89ページ)

 このような演奏哲学は、やはりフルトヴェングラーが最も得意にしていたベートーヴェンの音楽に向いているというべきか。テンポが揺れることもときに問題にされたが、決して恣意的に揺らしているのではない(これには、ダニエル・バレンボイムの証言もある)。これに加えて、フィッシャー=ディースカウは次のようにいう。「彼は実験もしていたのであり、その様々な処置がさりげなく効果をあげたということだ。何の知識に囚われてもいないし、既成の伝統に寄りかかっているのでもない。そうではなく、彼の音楽はまさに『今』、素晴らしく極めて自然に現れるのである」と(同書、138ページ)。

 フィッシャー=ディースカウは、フルトヴェングラー第三帝国のドイツにとどまり、戦後ナチスとの持ちつ持たれつの関係を厳しく批判された問題も素通りにはしていない。フルトヴェングラーは、名誉博士号をはじめ次々と栄誉を与えられたが、フィッシャー=ディースカウは、ゲーリングから授けられた「プロイセン枢密顧問官」(この肩書きがあれば、帝国内のどこでも一等車を無料で使える)が最も危険な顕彰だったという。フルトヴェングラーナチスの脅威を過小評価していたことは否定できない。ただ、フィッシャー=ディースカウは、次のように言っている。「自分がドイツに留まった本当の理由を、フルトヴェングラーは言わなかった。彼は重病の母を残して出ていきたくはなかったのだ」と(同書、95ページ)。

 私たちのほとんどは、レコードやCDでしかフルトヴェングラーを聴いたことがない。テンポの揺れなどは単なる「即興」ととれなくもない。しかし、声楽家として彼を間近にみたフィッシャー=ディースカウの見解は違っている。

「この大柄な男は、内面では感動で震えていたのだ。しかし、神経過敏になることはなく、芸術を形成しようとする意志そのものになりきっていた。彼は聴き手に息を飲ませるような休止や停滞をすることができた。高揚や減衰を生み出し、人を忘我の思いにさせた。その際、彼は決して無理強いすることはなく、自然にそれが生じるように心がけていたのである。危険や空腹に苛まれた戦時中そして戦後も、彼の『偉大な』音楽が、あたかも礼拝のように人の心を慰めたということを、これ以上詳しく説明する必要はなかろう。」(同書、106-107ページ)

 本書は分厚い本ではない。クラシック音楽のファンなら短時間で一読できるだろう。しかし、書かれている内容を本当の意味で理解するのはそれほど簡単ではない。実際、これだけ文章を綴ったとしても、フルトヴェングラーを生で聴いたことのある音楽家の耳には遠く及ばないからである。

→紀伊國屋書店で購入