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『ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた』青山通(アルテスパブリッシング)

ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた

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ウルトラセブンの「音楽」を探して」

 本書(青山通『ウルトラセブンが「音楽」を教えてくれた』アルテスパブリッシング、2013年)の内容は、装幀から受ける印象とはずいぶん違っている。いや、ウルトラセブンと関係はあるのだが、メインテーマはその最終回に出てきた「謎」の音楽で、読者は探偵ものを読むかのようにその世界に引き込まれてしまう。よくこんな本が書けたものだ。

 ウルトラセブンは、1967年10月1日から68年9月8日まで放送されたテレビ番組だが、私も小さな子供だったので、全部とはいわないものの、大部分をみたと思う。しかし、著者が問題にしているのは、最終回で主人公のダン(ウルトラ警備隊)が同僚のアンヌに自分がウルトラセブンであることを告白するシーンである。「僕は・・・僕はね、人間じゃないんだよ。M78星雲から来たウルトラセブンなんだ!」と。ラストの8分強だという(同書、025ページ)。

 その瞬間、映像が二人のシルエットになり、それまでのウルトラセブンのオリジナル音楽(M34「ダンの思い出」)から、突如、あるクラシック音楽の有名曲の冒頭部分が流れ出す。著者は、長い間、これが何の音楽かわからなかった。

 数年後、リビングで母親が観ていたNHK交響楽団のテレビ番組でまさにその音楽が流れた。「これ、なんて曲?」と尋ねると、「シューマンのピアノ協奏曲よ」という答えが返ってきた(同書、049ページ)。ようやく曲の名前がわかった。しかし、当時、子供に2000円から2500円もするレコードは高かった。母親に頼み込んで、新宿のデパートに入っていたレコード屋さんでその曲を買った。アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮シカゴ交響楽団の演奏だ。しかし、冒頭を聴いて、著者の期待は失望へと変わった。「違う・・・同じ曲なのに違う。あれじゃない。似ても似つかない」と(同書、053ページ)。

 諦めきれず、しばらくしてもう一枚のレコードを買った。今度は、ヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)、ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団の演奏だ。これも違うのだ。

 著者は考えた。ウルトラセブンの放送は1968年だった。レコードを使うなら、この年よりあとの録音ではありえないと。そして、またしばらくして三枚目を買った。ディヌ・リパッティ(ピアノ)、エルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団の演奏だ。かなりよい線をいっていたが、これも違う。

 中学三年の秋になった。友人のお兄さんがクラシック通で、たくさんのレコードをもっていることを聞いた著者は、友人宅でそのお兄さんにシューマンのピアノ協奏曲の名盤について教えを乞うた。そうしたら、「やっぱりこれだよ」といって、そのレコードをかけてくれた。「これだ! まさにこれだ!」と著者は狂喜した(同書、071ページ)。ディヌ・リパッティ(ピアノ)、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏だった(録音は1948年)。やっと「本物」に再会できた著者は、次のことに気づいた。

クラシック音楽は、同じ曲でも演奏によってまったく違う表情になる。そして、同じ演奏者でも同じ演奏は二度とない」(同書、074ページ)

 著者は必死だったのだ。三枚の演奏の特徴を述べた件は、思わず笑ってしまうが、著者には三枚は次のように聴こえたらしい(同書、065ページ)。

 リパッティ=カラヤン盤 「ジャン! ダダーンダダンダダンダダン・・・」

 ルービンシュタイン盤 「シュワン・・・ポロン・・・ポロン、ポロン、ポロン・・・」

 ケンプ盤 「ジャン、タラーン、タラッ、タラッ、タラッ・・・」

 ルービンシュタイン盤もケンプ盤もそれぞれ優れた演奏だが、著者には前者は「枯山水」、後者は律儀だが「あまり個性がない」演奏のように聴こえたらしい。

 著者は、リパッティ=カラヤン盤のどこかウルトラセブンに使われているか調べてみた。以下のとおりである(同書、038ページ)。

「1小節~18小節:ダンからアンヌへの告白のシーン、作戦室のシーン

 41小節~50小節:マグマライザー突進のシーン

 384小節~544小節(第1楽章の終了まで):改造パンドンとの戦い、勝利のシーン」

 これだけならよく調べたものだで終わってしまうが、著者はピアノを弾いているリパッティに関心をもった。そして、なぜ自分がその演奏に惹かれたのかを考えてみた。実は、最終回のウルトラセブンは体力的にかなり弱っており、力を振り絞って敵と戦っている状態だったが、奇しくも、ピアニストのリパッティもリンパ肉芽腫瘍を患い、数年後には亡くなってしまう運命にあった。著者は次のように述べている。

「それにしても、なんという符号だろう。「セブン上司」から危機を宣告され、深刻なダメージを抱えながらも、命の危険を顧みずに人類と地球のために最後まで戦ったウルトラセブン。そして最終回に使用された録音のピアニスト、ディヌ・リパッティもまた、病気と放射線治療の苦痛にさいなまれながら、死と真正面から闘っていた。みずからの使命と、リパッティの演奏会と録音を待つ聴衆のために、命を削り、それが尽きるまで演奏活動を続けていたのだ。」(同書、077ページ)

 それにしても、最終回でシューマンのピアノ協奏曲を使おうと決断したひとがいるはずだ。作曲家の冬木透氏だ。冬木氏は、ウルトラセブンの音楽全般(作曲から選曲まで)を担当していた。著者は、その冬木氏にインタビューを申し込む。冬木氏は次のように語っている。

「ダンの衝撃の台詞を受ける最初の音、そのあとの展開・・・と考えたときに思ったのが、これはもしかしたらシューマンのピアノ協奏曲ではないかと。最初にオーケストラのE音がジャンと鳴る。そしてそのあとのカデンツァ。これだと思いました。そこであらためて聴いてみると、これはいけるぞ、と。結果的にこれでよかったなと思っています。

 だからラフマニノフじゃないんです。いい線まで行っているけど、グリーグでもない。グリーグは、最初にティンパニがクレッシェンドで来るところが少し違うんですね。」(同書、091-092ページ)

 ウルトラセブンの音楽担当者がここまで考えていたとは想像もしていなかった。冬木氏は、小さい頃から父親が持っていた名曲アルバムでクラシック音楽を聴いて育ったので、身体の中にクラシックが浸透していたのだろう。さらにこうも言っている。

「自分がそこから始まったので、『ウルトラセブン』の音楽を作るにあたっても、そこへ帰っていったのかもしれません。ですので、マーラーベートーヴェンワーグナーも、実際に意識しましたね。それを持ちこみたい、一つひとつのシーンであやかりたい、という想いはたしかにありました。」(同書、042ページ)

 著者は、大学卒業後、音楽専門の出版社に入社した。クラシック音楽については、一頃カラヤンよりもカール・ベームに傾斜したので、どちらかというと「アンチ・カラヤン」のようになってしまったかもしれないと言っているが、それでも、ウルトラセブンの最終回に出てくる音楽はカラヤン=リパッティ盤のシューマンのピアノ協奏曲以外には考えられないという。

「美しくも哀しく、運命に抗うかのように切迫した推進力をもって、先へ先へと進もうとするこのリパッティの演奏でなくては、あの迫真の場面を彩ることはできないのだ。」(同書、114ページ)

 ウルトラセブンの最終回に登場する音楽にここまで執着し、一冊の本を書いてしまうような熱狂的なファンがいたとは思わなかった。自分もみていたはずの番組だが、このようなことは考えてもみたこともなかった。おそらく、同世代の読者は、探偵ものにも似た面白さを発見して懐かしさを感じるに違いない。

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