書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『自由論』J・S・ミル(光文社)

自由論

→紀伊國屋ウェブストアで購入

「改めて「自由」を考える」

 J.S.ミル(1806-73)の『自由論』(1859年)の新訳が出ている(斉藤悦則訳、光文社古典新訳文庫、2012年)。後期に一年生向けの少人数ゼミを担当したので、ミルを取り上げることにした。翻訳は数種類あるので、どれを選ぶかは学生の自由に任せていた。私はほとんど原文を読んでいたが、ときどきこの新訳に目を通したところ、全体的に改行を増やし、読みやすくなっていると思った。「自由」とは何か-これは古くて新しい問題である。

 ミルは経済学者というよりも19世紀を代表するイギリスの偉大な知識人といったほうがふさわしいが、ゼミで読んでいた時期がたまたま特定国家秘密保護法案の審議と重なっていたので、『自由論』を読んでいても、「多数の専制」という問題を論じているところがとくに気にかかった。

 ミルの「自由」についての基本的な見解は、よく知られているように、19世紀中頃という時代を反映して「国家からの自由」という意味での「消極的自由」が中心である。

「自由の名に値する唯一の自由は、他人の幸福を奪ったり、幸福を求める他人の努力を妨害したりしないかぎりにおいて、自分自身の幸福を自分なりの方法で追求する自由である。人はみな、自分の体の健康、自分の頭や心の健康を、自分の自分で守る権利がある。

 人が良いと思う生き方をほかの人に強制するよりも、それぞれの好きな生き方を互いに認めあうほうが、人類にとって、はるかに有益なのである。」(同書、36-37ページ)

 しかし、国家による権力の行使を制限するという考え方は、多数派が権力を掌握し、その他に自分たちの意志を押しつけようとする場合にも当てはまる。

「・・・・・人民の意志というのは、じっさいには人民のもっとも多数の部分の意志、あるいは、もっともアクティブな部分の意志を意味する。多数派とは、自分たちを多数派として認めさせることに成功したひとびとである。それゆえに、人民は人民の一部を抑圧したいと欲するかもしれないので、それにたいする警戒が、ほかのあらゆる権力乱用への警戒と同様に、やはり必要なのである。したがって、権力の保持者が定期的に社会に、すなわち社会内の最強のグループに説明責任をはたすようになっても、個人にたいする政府の権力を制限することは、その重要性を少しも失わない。」(同書、18ページ)

 だが、「多数の専制」から身を守るのはそれほど簡単ではない。なぜなら、多数派の思想や感情が、知らず知らず、「行動の規範」としてその他の人々の思想や感情を抑圧する危険性があるからだ。ミルがとくに憂慮するのもこの点である。それゆえ、ミルは、「社会の慣習と調和しない個性の発展を阻害し、できればそういう個性の形成そのものを妨げようとする傾向、あらゆるひとびとの性格をむりやり社会の規範的な型どおりにしたがる傾向、それにたいする防御が必要である」と言っている(同書、20ページ)。

 

 『自由論』は、経済思想史の立場からは、いわゆる「自由経済」の原則を確立し、その例外となる分野はどこにあるのかという読み方をするのがふつうだし、ミルも、「自由経済」の考え方が、「本書で主張してきた個人の自由の原理と、根拠は異なるけれども、根拠の堅固さの点ではひとしい」と言っている(同書、231ページ)。詳細は、ミルの『経済学原理』(1848年)をひもとく必要があるが、「個人の自由の原理」が「政治」と「経済」を貫いていることは間違いない。だが、『自由論』は経済思想プロパーの本ではないし、全体的に思想一般の自由の問題のほうが大きく扱われているのは当然のことである(注1)。

 

 本書を読み返して改めて興味深く思えたのは、ミルが、「多数の専制」(ミルはところによって「世論の専制」という言葉も使っているが)のなかでは「変わった人」がいることがきわめて重要なのだと繰り返し主張していることである。

「世論の専制は、変わった人を非難するものだ。だから、まさしく、この専制を打ち破るためには、われわれはなるべく変わった人になるのが望ましい。性格の強い人がたくさんいた時代や地域には、変わった人もたくさんいた。そして一般的に、社会に変わった人がどれほどいるかは、その社会で、ずば抜けた才能、優れた頭脳、立派な勇気がどれほど見出されるかにも比例してきた。したがって、現在、あえて変わった人になろうとする者がきわめて少ないことこそ、この時代のもっとも危うい点なのである。」(同書、163ページ)

 「変わった人」が非難される社会は、人々が個性の発揮に不寛容になる社会につながる恐れが十分ある。そのように個性が抹殺され「画一化」が進んだ社会こそ、ミルが最も嫌悪した社会であった。遺憾なことに、現在、ミルの危惧がいまだに切実に感じられるようになっているが、本書のようにわかりやすい新訳がタイムリーに出ているので、一度手にとってみられることをすすめたい。

1 経済思想史家によるミル入門としては、杉原四郎『J.S.ミルと現代』(岩波新書、1980年)という好著があったが、現在では品切れである。

→紀伊國屋ウェブストアで購入