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『「死の棘」日記』(新潮社刊)

06_sinotoge [劇評家の作業日誌](6)

 このところ島尾敏雄の『死の棘』に取り憑かれている。正確にいえば、わたしの思考にこの「棘」が突き刺さってきて、その周辺にいろいろなものが掻き集められてきてしまうのである。

 『「死の棘」日記』が刊行されたのは今年の三月だったが、これをいきなり読むわけにはいかない。あくまで原作あっての日記であり、いわば小説の註に相当するからである。そこでまずこの小説の概要について述べておこう。

 主人公の小説家トシオは家の外に愛人を持ち、10年あまりほとんど家に寄り付かなかった。(おそらく作者自身の体験が投影されているのだろう。)その間妻ミホは子供二人を抱え、細々と生活を営み、次第に精神に異常をきたしていった。小説は二人の生活が危機の臨界点に達したその時から始まる。妻はほとんど一睡もせず、目を離すといつ自殺をしかねない状態だ。トシオはもはや仕事(高校の非常勤講師の合間に小説を書いているが、さほど売れているわけではない)どころではなくなり、妻を監視するとともに、いつでも妻の糾弾の前にさらされる。愛人もまた突然いなくなった男に不信の念を抱き、なんとか彼との交渉を保とうとするが、男が頑なに拒否したため脅迫めいた手紙を投函しつづける。

 こうして二途も三途もいかぬなか、小説は妻の夫への執拗な要求−−愛人に何をプレゼントしたか、どこへ行ったかをすべて言いなさい−−がこれでもかこれでもかと繰り返される。やがて妻ミホは精神病院に通うようになり、最後は精神病棟に入る妻に付き添っていくが、果たしてトシオは心の平静を獲得したのか、さらなる不条理の溝に落ちていくのか。
 この間、息子の伸一や娘のマヤが息詰まる家庭のなかで、文字通り身をひそめて暮らしていく描写や、妻の生地である奄美大島の方言が彼女の精神の背景を暗示し、彼女にとっての安住の地が仄めかされる。


 1977年に新潮社から刊行されると長編小説『死の棘』は一躍話題になり、翌年の 「読売文学賞」「日本文学大賞」を受賞した。81年には文庫化され、さらに部数を伸ばした。この原型になった短篇小説『死の棘』は1960年に刊行されており、全体の12章のうち2章から成っている。つまり作者はこの小説を20数年書き続けたことになる。今回発表された日記は1954年から55年に書かれている。つまり日記を書き始めて5年後に短篇が、さらにその17年後に本編が発表されたことになる。まずこの執拗さが読者を驚嘆させる。

 映画化は小説発表から13年後の1990年。監督は小栗康平で主演は松阪慶子と岸部一徳だった。同作はカンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞している。

 しかし、わたしが本格的にこの作品に取り憑かれ出したのは劇作家鐘下辰男が『死の棘』に取り組み始めたことに端を発する。この6月、彼はタイトルもずばり『死の棘』を脚本・演出したのだ(戯曲は「テアトロ」8月号に掲載)。本公演に先立って、ドラマ・リーディングが行なわれ、わたしはこのポスト・パフォーマンスで鐘下氏とトークを行なったのが今年の1月30日。ここから『死の棘』がわたしを襲いはじめたのだ。

 偶然は重なるもので、舞台を見る前日、衛星放送で映画『死の棘』が放映された。(6月29日深夜)小説を読んでいて、漠然とミホ像が出来上がっていたが、実際、松阪慶子が登場すると、思わずこういう人物だったのかと説得されてしまう。これが文字と実物の違いだ。文庫本の解説によれば、文芸評論家の山本健吉氏はこの小説をエウリピデス作の『メディア』と並べて論じ、蜷川幸雄演出の初演舞台に引っ掛けて書いている。『メディア』の舞台は今年の5月に同じ演出家が25年ぶりに新演出したから、何か因縁めいた符蝶があちらこちらで綾なしているのである。初演では平幹二郎女形メディアが話題になったが、再演では大竹しのぶが好演して、今年の上半期に最大のヒット作となった。

 この小説と深い関係のある作品として、1980年に上演された山崎哲作・演出の『うお伝説』が思い出される。青山学院大学助教授が女子学生と愛人関係になり、絞殺する事件を扱った同作は、台詞のかなりの部分を『死の棘』から引用したことで、小説と演劇の関係が取り沙汰された。この舞台は同年の岸田戯曲賞を受賞し、山崎は以後「犯罪フィールドノート」として次々とヒット作を放っていく契機ともなった作品だ。この時、わたしはまだ小説を読んでいなかったが、執拗な文体、強迫観念に取り憑かれた男女のもつれは十分理解できた。

 鐘下や山崎は、いずれも現代演劇の世界ではハードな作品を書き、舞台を発表する「社会派」である。その彼らは『死の棘』のどこにどう惹かれたのだろうか。

 そこで鐘下が率いるTHE・ガジラの舞台を見てみよう。この舞台は能舞台を思わせ、島次郎の美術は水の池のなかに円形の舞台を浮かび上がらせる。花道(能なら橋掛かりだろうが)が舞台中央に延びている。高さ30センチほどの舞台から俳優は頻繁に水のなかに降り、衣裳は水びたしになり、その都度肉弾戦を行なうなど、文字通り小説のくんずほぐれつを可視化し物質化するのである。ミホを演じた高橋恵子は気品のなかに意志を見せた。この舞台がユニークなのは、3人のトシオを登場させていることである。すなわち海軍中尉の敏雄、学生服姿の敏雄、背広姿の敏雄である。彼らはギリシア悲劇のコロスよろしく陰に陽に登場し、トシオの心を代弁し、またからみ合う。

 この劇の最大の特質は、ある時期から、妻の糾弾に観念した彼が「演技」を始めることである。彼は妻の「狂気」に対抗して「演技」で交わそうとする。こうして一筋縄でいかない「関係」が舞台上で滑稽味と不条理の笑いをかもし出すのである。真剣に演じれば演じるほど、行為は滑稽味を増していく。これはやはり演劇ならではの妙味であろう。

 もう1つ注目したいのは「尋問」についてである。これは昨年、鐘下自身が演出した 『八月の狩』(井上光晴作)でも採用したものであるが、朝鮮戦争に加担した非戦闘員が執拗に同じことを喋らされていくうちに、語調が変わり言っている内容も変更されて、思わぬことが浮上してくる。人間の精神は執拗な反復に耐えられるか。同じことを正確にかつ順序立てて間違いなく喋れるか。こうした言葉と身体の関係を考えていくことが演劇では重要であり、人間の生身を武器にする演劇ならではの演出である。鐘下はそこに注目した。
 『死の棘』でも執拗な問責は、トシオをうんざりさせるくらい追い込んでいく。だが目の前で、返答を迫られるトシオは次第に言葉にフィクションを滲ませ、舞台は虚構性を帯びていくのである。

 『「死の棘」日記』には小説の原型が出てくるが、文学に昇華される手前のメモであり、むしろ島尾敏雄の文壇交際記、事件簿として読むのが正解だろう。几帳面な記述、妻の行状が事細かに記述され、1000枚の小説を生み出す母地として、よくもここまでノートを残したなということに感心させられる。だが、文学的価値を求める者にはやや期待を裏切られるのも事実だろう。冒頭に記したように、あくまで本文に対する註であり、備忘録に過ぎないのだ。

 ただ改めて、小説と舞台、映画との関連を考えるには、とてもいい機会になった。日記研究を進めると、小説や戯曲の解釈も変わってくるかもしれない。