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『戦後新劇-演出家の仕事〈2〉』日本演出者協会[編](れんが書房新社)

戦後新劇-演出家の仕事〈2〉

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[劇評家の作業日誌](27)

日本演出者協会は「演出者の仕事」と題したシリーズを企画しているが、昨年、その第一巻が出た。副題は「60年代・アングラ・演劇革命」。この本はわたしも共同編集者の一人として携わり、内容構成や執筆者のリストなど企画の実質に関わった他、百三十枚の解説論考も書き下ろした。この続編は「80年代・小劇場演劇」ヴァージョンとして現在、鋭意編集中である。

『戦後新劇』は、その間を縫って企画・編集された。ただし、今回は外部の演劇評論家は編集に加わらず、演出家自身が暗中模索しながらつくりあげる主旨だったようだ。こうして戦後から1960年代半ばまでの「新劇」と呼ばれる近代演劇についてのさまざまな発言を集成した本が刊行された。

演出者協会の現会長である福田善之氏の「評論家にきれいにまとめられると、居心地が悪い」というのが契機となったようで、ふじたあさや氏は、「(新劇の歴史的な)検証は、演出家の目を通して、演出家の仕事をつうじて行なわなければなりません。評論家のようなくくり方では、所詮現場は見えてこないんです」と「まえがき」で述べている。これはたぶんに前著のわたしの解説への批判が含まれているのだろう。巻頭論文の第一章「新劇からアングラへ」で、わたしは「新劇」を過去のものとし、戦後新劇は60年代に起こる「アングラ」への「過渡期」だと規定した。こうした「外部」からの批評に対して、直接活動に携わった者たちによる別の視点での“総括”が本書の企画だったと思われる。

演劇史を当事者たちの「証言」でたどるという記述方法は、非常に生々しく臨場感に溢れ、外部者の知りえない貴重な体験はそれ自体価値がある。だがその一方で、生きた証言による総括は、生身であるがゆえに相当困難を極めることも分かった。例えば、新劇の歴史で今なお触れられぬ事柄があることを、この本は暗に示している。戦中時に戦争協力を余儀なくされた演劇人が、戦後になると「民主主義」を唱え、進歩的演劇を提唱していたこと。日本共産党の指導のもとにあった劇団は、共産党の方針転換により右往左往してしまったことなど、強力なイデオロギーが戦後新劇を支配していた事実が(それが体制批判にもつながったが)、内部にいた者たちに今なお癒やされぬ「傷」として残っている。

そうした語られぬ事実に加え、時間の経過が否応なく記憶を風化させる。

「60年反安保闘争」とは何かすら知らない世代が増え、もはや歴史家による客観的な「総括」を必要とする時代になってしまった。演劇史もまた、一つ一つの事象を検証すべき時期に来ていることは疑うべくもない。また福田氏やふじた氏など戦後世代もすでに70代となった。その意味では、本書は後続世代への「演劇的遺言」の感があり、敬意を表すべき格別の重みがある。

それはともかく、結局「戦後新劇」は何が問題だったのか。気にかかったいくつかの点を挙げてみよう。

ロシア=ソビエトの演出家スタニスラフスキーが日本の新劇にもたらした影響は特別のものがあった。それまでの演劇に対して、彼の演技=演劇論は日本で初めて科学的思考に支えられたものであった。戯曲を全体の流れや構造で捕まえ、主題の位置や登場人物の役割など、演劇を集団的な芸術に昇華させたのは、まぎれもなくスタニスラフスキーの功績だった。言い換えれば、それが「近代」という時代が要請した演劇の思想であろう。

だが、このシステムの導入をめぐって意見は対立する。スタニスラフスキー自身、1930年代のソビエト社会主義リアリズム」の国家的お墨付きとなり、イデオロギーと化した。それを受け入れることは、そのまま社会主義イデオロギーを受け入れることでもある。こうして、一つの芸術理念にすぎなかったものが、国家イデオロギーの代役を演じてしまったのだ。しかもこれを受け入れた日本の左翼演劇に対して、反発した後続世代は、スタニスラフスキーという教祖を「抑圧」と感じ、生理的に排撃した。現在の視点から見れば、スタニスラフスキーは20世紀演劇で唯一、演技メソッドを体系化した先駆者であり、好むと好まざるを問わず、演技修行の出発点であることは論をまたない。それは当時、渦中でもがいていた者たちには見えなかった視点であり、後から来た世代だからこそ言える客観的な認識である。時の経過は当事者の思惑を超え、現場の確執を取り除き、歴史は物事の本質だけを見えるようにした。

1958年にモスクワ芸術座が初来演した時、あの伝説のモスクワ芸術座が、歌舞伎のような「見得」を切って正面に向かって演技したことが報告されている(173頁)。他方で、俳優が舞台上で本物の涙を流したことを、さすがスタ・システムだといって感激したというエピソードも知られている。こうしたさまざまな角度からなされた経験は、新鮮な驚きを与えてくれた。だが、それらの経験が演劇の発展にどうつながっていたのか、その影響や意味を客観的に分析することも必要である。それが「批評」の視点である。

民芸の宇野重吉は、「劇団一代」論を唱え、新劇は創立者が朽ちたらもう解散すべきだという発言をした。1968年、まさにアングラ世代の台頭が著しく、新劇が劣勢に立たされていた時期の発言である。その二年後、唐十郎岸田戯曲賞を受賞した時、新劇の大御所たちの間には衝撃が走った。栄誉ある戯曲賞をアングラ世代に与えたことが大問題になったのである。もっとも別役実はすでに受賞していたが、60年代の風雲児・唐十郎への「認知」はまったく別で、当時の新劇の幹部たちの焦りがいかに強かったかが伝わってくる。

 

ではなぜ「新劇」は衰退したのか。本書を読むと、その事情が次第に見えてくる。一つの理由として、新劇は「大衆化」「職業化」に失敗したこと。運動の理念が衰退し、結局スター主義と観客の鑑賞組織=「労演」に経済的基盤を依存したことが、戦後のある時期に露呈してしまったのだ。前衛で始まったはずの新劇も、60年代の世界の前衛、例えばグロトフスキーなどの実験演劇に理解を示さなかったことも、理由の一つに挙げられる。

そして何よりも、新劇世代がアングラ派にもっと心を開いていたら、歴史は違う展開になっていたかもしれない。例えば、新劇にはなかった別役実の言語感覚や唐十郎の肉体をも取り込んだ言語意識を演劇論として評価できたら、新劇は停滞せずに、真の「現代演劇」へ転生しえたかもしれない。頑なに「新しい演劇」を拒絶したところに、新劇の限界があった。イデオロギーと終始無縁だった文学座だけが別役をはじめ、つかこうへいや金杉忠男などをいちはやく取り込んだことは、歴史の皮肉である。唐十郎福田善之の近傍にいたし、鈴木忠志の学生劇団の先輩には民芸の渡辺浩子をはじめ、多士済済の面々がいたはずだ。佐藤信俳優座の養成所出身であり、千田是也はその本家の大将だった。斎藤燐は、この本で千田へのオマージュを捧げているが、彼らの最盛期は敵対的な関係だった。

では「新劇」とは改めて何かと問うてみる。ふじたあさやは「やっぱりリアルであることでしょうか。」(232頁)と語り、文学座戌井市郎は「新劇はアマチュア精神を捨てちゃならん、と言われ続けている」と言い、そこからふじたは「素人、アマチュア精神、先程からのレアリティーですね」と括り出している。おそらく、ここらあたりが、いわゆる「新劇」の集約点なのだろう。近代という時代にふさわしい個人を主体とした啓蒙運動、進歩的であることが時代を先取りしていた当時の前衛。だがそこには「伝統演劇」という太い幹がある日本の特殊事情が横たわっている。様式美と伝承で芸が保存されてきた能や歌舞伎などの古典に対して、近代人は何を独自性として打ち出すか、そこに「新劇」の成立根拠があった。とすれば、外来の文化の輸入にゼロから取り組み、好奇心あふれるアマチュア精神で日本文化の創生を模索し、古典に対するリアリティを求めて試行錯誤を重ねた新劇の活動の歴史的必然も首肯できるのである。

戦後になって、サルトルカミュ、ついでベケットブレヒトといった名前が登場するが、これは後のアングラの導線にもなった共有財産である。そこから日本と世界という視点から歴史を捉え返すことも、今後の来たるべき演劇への課題である。その意味で、「新劇」は「過渡期の演劇」であったというのが、本書を読んだわたしの結論である。

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