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『昔日の客』関口良雄(夏葉社)

昔日の客

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これを読んで励まされない書き手はいない

用事がなくて自由に時間が使える週末があれば、なによりもしたいのは都内の散策である。どこでも構わない。だが構わないとなるとかえって迷うもので、さて、どこに行こうと腕を組んで考え込む。気持ちのいい散歩にするには、その日の気分と場所がうまくチューニングされなければならず、地図を広げてとりつく島を探すことになる。

もし30年前のある日にこの本を手にしたら、行き先はすぐに決まったことだろう。大森駅で降りて、駅のそばにある古本屋に立ち寄り、棚を眺めながら店主と客のやりとりに耳を傾ける。これから歩くのに重くない程度の本を何冊か買って店を出れば、もう気持ちのスイッチが入り心のなかでは散策がはじまっている。あとは足のむくまま、気のむくまま、馬込の起伏ある地形をたどっていけば最高の一日になるのはまちがいない。

大森にかつてあったこの店は「山王書房」という。古本好きのあいだではつと有名だったが、それは品揃えもさることながら店主の人柄だった。本にまったく関心のない人が本を商うことはないにせよ、物としての価値が中心で中身にはさほど興味はないケースも少なくないが、そんななかで店主の関口良雄は本を書いた作家に深い尊敬の念を抱く希有な人物だったのである。

話好きで、話上手だったから、短編小説のような味わいのある彼の話を楽しみにくる客もいた。文章を書く機会も多く、それを本にまとめるように勧める人もいた。彼はその考えを長らくあたため、還暦を前についに決意し作業にとりかかったのだが、その途上で癌に倒れ、本の完成を目前にして他界した。1977年のことである。

翌年、世に出た『昔日の客』は、本好きや古本屋ファンのあいだで愛読され、人気となったが、近年、古書の値段が上がって入手が困難になっていた。それをオリジナルとほぼ同じ装丁で復刊したのが本書である。オリジナルを知らなかった私は、千駄木古書店でこの復刻版を見せられ、本のたたずまいに惹かれてその場で買い求めた。帰ってすぐに開いて数ページ読むと、丁寧につくられた食事を口にしたときのように細胞のひとつひとつに滋味が染み渡っていった。飾り気のない素朴な文章で、その素朴さゆえに素材の味が際立っている。こういうものをひさしく読んでいなかった気がした。

尾崎一雄の『虫のいろいろ』の初版本を探して欲しいという依頼を受け、それが入っていると思って300円もの大金をかけて市場で一山競り落とし、意気揚々と店にもどって改めて本を手にとってよく見ると『虫のいどころ』という民謡の本だったという「虫のいどころ」。よその町の古本屋で店主に作家の伊藤整とまちがえられ、そのまま訂正せずに話を合わせたところ、再び行ったときにまた声を掛けられ、しかたなく要らない本を5、6冊買ったら、重いから家にお届けしましょうと言われて慌てた「伊藤整氏になりすました話」。これには文壇の会合でホンモノの伊藤整に挨拶されるというオチがつく。デビュー前の野呂邦暢が欲しかった本をまけてもらった恩を忘れず、芥川賞の授賞式に招待してくれ、後日「昔日の客より感謝をもって」と書いた自著をおみやげにもって訪ねてきた表題作も、しみじみとした味わいがある。

しかしもっとも心惹かれた1篇をあげるならば、冒頭の「正宗白鳥先生訪問記」になるだろう。この作家の作品を読むようになった理由というのがまず素敵だ。新聞配達をしていたころ、配達区域に正宗先生の家があったので興味を持ったというのである。生い茂った林のなかに建っている赤い屋根の洋館で、どんなロマンチックな小説を書いているのだろうと思って読みはじめたが、さっぱり面白くない。それでも芽生えたロマンの火は消えず、諦めずに読みつづけ、ついには正宗白鳥の初版本二十数冊を落札し、それをかついで赤い屋根の洋館を訪ねるのである。どうしてもお会いして集めた本をお目にかけたいという一心で。

ご本人には会えず、代わりに台所から出てきた「非常に粗末ななりをした老婆」と話をする。それが正宗夫人なのだが、この夫人とのやりとりが最高におもしろく、また身につまされた。夫人は最初「夫は自分の本には関心がない」とけんもほろろだったにもかかわらず、話すうちに「それでは私が一寸見ましょう」と言って彼を庭の鶏小屋に連れていく。屋根の上のガラクタを払いのけたスペースに蔵書を広げると、夫人は感心して手にとりながら、夫の本がいかに売れないかを話すのである。

荷風さんはあんなに全集が出ているのに……、とか、夫が『楢山節考』を書評で褒めたので本が売れて深沢さんは儲かったけど、うちは少しも儲からなかったなどという話を、寒風に吹かれながら語る夫人の顔が目に浮かぶようだ。愚痴にはちがいないが、その口調にうらみがましいところがないばかりか、凛とした空気感さえ伝わってきて、夫は長く生きてきたけれど、悪い事は少しもしていない、という言葉には、そこに一緒にいて話を聞いたように勇気づけられたのである。

ご子息の関口直人氏は「復刊に際して」という巻末の文章のなかで、子供のころ、父が客にこう話しているのを聞いたことがある、とその言葉を書き留めている。

「古本屋というのは、確かに古本という物の売買を生業としているんですが、私は常々こう思っているんです。古本屋という職業は、一冊に込められた作家、詩人の魂を扱う仕事なんだって。ですから私が敬愛する作家の本達は、たとえ何年も売れなかろうが、棚にいつまでもおいておきたいと思うんですよ」

そんな悠長なことは言ってられない時代になったのは重々承知している。それでもこの本を読んでいるあいだ、日本のどこかにそういう店主がいまもいるような気持ちになってとても励まされた。本の力とはこれだ、と思った。


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