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『こども東北学』山内明美(イースト・プレス)

こども東北学

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三陸沿岸の村で育った女性研究者の切実な問い」

私がそれまで無関心だった日本の風土や民俗について目を開かれたのは、80年代半ばにバリ島に行ったときだった。学生時代に国内を旅していた70年代にはなかった視野を、80年代のバリ島で与えられた。日本を再発見できたのはうれしかったが、同時にバリ島を合わせ鏡にしなければそれが出来なかったことに、一種のにがさを感じのもたしかだった。

近代化が達成され社会の価値観が大きく変貌した70年代、因習からいかに自由になるか、社会に迎合しない個をいかに確立するかに関心がむかった。そういう状況下では日本の根っこは見えにくかった。それは二代遡っても東京生まれで、田舎というものを持たない私の生い立ちとも関係していたのだろう。オクテにならざるを得なかったのだ。

ヒンズー教の島であるバリ島には、日本と似たところがたくさんあり、それが小さな島空間に凝縮されているので変化がわかりやすい。たとえば観光客が訪れて発展していくのは街道筋の町で、そこから一歩奥に入ったところでは昔どおり生活がつづけられているなど、首都から距離以上に、街道に近いかどうかが変化の分け目となる。また市場の存在も大きく、それが開かれる町はとりわけ変貌が激しく、人の心も早くすれる。旅人が求める素朴さは市場から遠くなるほど増していくのもわかった。

こうした島のなかのグラデーションを肌で感じとったことが、日本への視線を変えたのである。よく名前のあがる場所、人がよく旅する場所、その町の出身者によく出会う場所には、そうなる理由があるのを知った。そうした地名の集積によってほとんどの人の日本地図はできている。イメージのわかない場所は、地図に載っていても意識上には存在しないのだった。

さて、ここから『こども東北学』の話に移ろう。タイトルが想像させるものを大きく超えた深度のある本だった。読みながら私は大きな衝撃を受け、バリ島を旅していたころに引き戻されたようにノックアウトされた。著者の山内明美さんは1976年生まれである。私とおなじ1950年代の生まれであったらさほど驚かなかったかもしれないが、いま30半ばである女性がこのような環境で育ってきたことに、正直なところ驚愕した。

山内さんは宮城県三陸沿岸部出身の女性研究者である。高校卒業後、実家の農業や自動車の部品工場の手伝い、村の民俗資料館の職員などをしたあと、東京の大学に入学、現在は博士課程に在籍して東北の研究をしている。

子供時代の体験に触れながら、彼女は中央が与えた「東北」という名称と、記憶の集積によってできている故郷がどう隔たっているかを語っていく。外からの名称はどうあれ違和感をともなうものだが、彼女の場合は「僻地」と呼ばれる場所に育ったゆえに、心理的な障壁は大きかった。

印象的な出来事がいくつも描かれている。

おばあさんは勉強ができて女学校に行くように学校から教材や学費をもらったが、子守をしながらだったので授業についていけず、二週間でやめたこと。

おじいさんは早くに父親を亡くして家長となり、戦前、借財を返すために働き、戦後はGHQの農地解放で手放した土地を取り返そうと寝ないで田畑を耕作した。晩年は酒浸りになって周囲に恥ずかしい思いをさせられたが、村の人は「アル中」と言わずに「狐に化かされた」と言い、その言葉に、じいちゃんが悪いのではない、狐が悪いんだ、と感じてほっとしたこと。

小学校は同級生が23人という小さな学校だったが、クラスメートにタケシ君という川魚釣りの名人がいたこと。彼は毎朝、登校前に川に行って手製の釣り竿でヤマメやイワナと釣り、そのまま学校に来る。竹串を作って魚に刺してフェンスに干し、家に帰れば夕方5時には寝てしまう。まるで「風の又三郎」に出てきそうな少年。

学校から帰れば決まって親の仕事を手伝うように言われた。「勉強しなさい」と言われた記憶はなく、「小さな大人」と見なされた。中学校に入るころには「自分の食べる米は自分で作れ」と親から田んぼをもらって耕作した。村にはそろばん塾しかなく、どこの子供も学習塾に通った経験がなかった。

以前にこの「書評空間」で『100年前の女の子』という本を取りあげたことがある。これらのエピソードは、上州の農家に育った女の子の視線で描いたあの本の内容を彷彿とさせるところがある。だが、あちらが100年前の経験なのに対し、ここに語られているのはほんの30年ほど前のことなのだ。ファミコンで遊んだり、テレビで都会の流行を知るなど、生活の外見は100年前より近代化しているものの、生活の基盤が都市とは大きくちがう。それが人々の肖像に出ている。

また『100年前の女の子』は少女時代の記憶なので共同体のやさしさが強調されている。しかもその記憶の持ち主は100歳近い年齢で過去を振り返っているから、苦しいことは昇華され、いい思い出だけが残っている。だが、本書はさまざまな悩みをくぐり抜けつつも、未だ惑いのただなかにある30代の女性によって書かれていのだ。自分の経てきた時間を讃美するのでも、否定するのでもなく、その陰影を描きだそうとする姿勢に切実さなものが感じられた。

「村の規範に縛られずに自由に生きてみたいと思いながら、田畑に囲まれていない暮らしというものがどういう生活なのか、わたしはうまく思い浮かべることができなかった。「家」に縛られない暮らしは自由だけど、いまでも、故郷を離れて暮らすことに、なにかとても大事なものを失いつづけているような喪失感がある。自由な生きかたを許してはくれない故郷へのやりきれない気持ちと、そこで育ててもらった感謝の気持ち。

 こうして、村で育った自分が描くことのできる将来には、つねに限界がつきまとった。何になりたいのか、と考えても、自分の世界にぴったりくるものはなかなかみつけられなかった。ただ、自分の世界の外側には、もっとずっと広い世界があって、自分はその広い世界を知らないんだ、ということがきにかかっていた。いつかは、村を出て、自由にものを考えてみたいと、漠然と思っていた。」

高校卒業後に働いた民俗資料館は入館者の数が少なく、赤字続きで、議会ではいつも批判の的だった。村の子供は減り、通っていた小中学校も統廃合で閉鎖になる。こうした事態を目前にして村の将来がどうにも気になった、と山内さんは書く。親に内緒で東京の大学を受験。無事合格して上京することになったとき、まわりは非難の嵐だった。「結婚もさせないで、あまやかせて遊ばせていいのか」と親までが咎められた。

かつて「女子大生亡国論」というのがあったのをご存じだろうか。女子は大学に行っても就職しない、結婚前の踏み台としか考えてない、行っても無駄だというもので、1960年代に大学教授が発言してはやった。当時に「流行語大賞」があったなら、確実に大賞をとっただろう。私が学生時代を過ごした70年代でも、女子は結婚して家庭を持つのが当たり前というのは、結構主流の考え方だった。ほとんどの人が「翔ばない生きかた」をしていたから、「翔んだ女」などという言葉が流行ったりした。

そういう時代を知っている身にとっては、著者が生きてきた現実には非常なリアリティーがある。20歳以上の年齢差があるにもかかわらず、感情的によくわかるのだ。彼女の同世代はどう感じるのか興味深いが、このタイムラグが富める場所とそうでない場所との空間差であり、南北に細長い日本列島のグラデーションなのだと改めて実感した。

『こども東北学』というタイトルについて触れると、「東北学」の名付け親は民俗学者赤坂憲雄で、彼はこの名を冠した雑誌を創刊して東北と向き合う意志を表明し、同じ志を持つ者に呼びかけたのだが、彼女は民俗資料館でこの本を手にしたとき、「『東北』というものが、知としての存在を許可されること」を知って驚いたという。さまざまな試みが失敗に終わり、来たものは撤退していき、村には年寄りばかりが残されていた。そういう事態を目前にすれば、自分のいる場所が「知」と結びつくとは想像もできないだろう。見放された価値のない場所だ思い込んで当然だろう。

「共同体に比重をおく社会と、個人に比重をおく社会、双方に長所と短所があって、そのバランスがうまくとれた社会は、まだ実現されてはいない。自由競争の社会/競争を忌避する社会、ふたつの社会は、ほんとうに相容れない社会なのだろうか」。

彼女のこの問いかけは、私のなかにもある。学生時代からずっとつづいている疑問である。そして大地震を経験したいま、この問いの答えを探そうとしないなら、人間社会の未来はないのではないかとも感じている。著者の体験と自分の体験とのあいだに横たわる時空の差。想像力によってそれをどう埋めるのか。一方が卑下したり優位に立つことなく、その差をおもしろさに変えることができないだろうか。


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