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『ビューティビジネス――「美」のイメージが市場をつくる』ジェフリー・ジョーンズ(中央経済社)

ビューティビジネス――「美」のイメージが市場をつくる →紀伊國屋書店で購入

「なぜシャンプーは世界中に広まったのか」


 本書は、2010年にイギリスで出版されたBeauty Imagined: A History of the Global Industryの日本語版である。そこでメインテーマとされているのは日本語版のタイトルになっている「ビューティビジネス」であり、または「ビューティイメージ」だ。

 だが、そのカバーする範囲はビジネスや美容産業にとどまらず、広く身体、テレビ文化、グローバル化などに及ぶ。また、著者が「ビューティ・プレミアム」(美しさによる賃金の格差を指す)と言う、美しさによる社会的な公平性の問題や、西洋的な美的感覚の国際化による文化の均質性の問題なども一定の目配りがなされている。その意味でも、本書はビューティビジネスやその歴史を一方的に称賛するようなものではなく、「ビューティ」を契機としてさまざまな争点、論点へと開かれたものと言える。

 本書は「第Ⅰ部 ビューティイメージの創成」「第Ⅱ部 ビューティイメージの普及」「第Ⅲ ビューティイメージの再構成」の3部構成をとり、全441ページにもなる大部となっている。だが、記述スタイルが比較的平易であることと、興味深いエピソードを中心にシンプルに論が展開されていることから、意外とすらすら読めてしまう。膨大な資料、文献に基づいて書かれていることも本書の特徴だが、それによって議論がとめどなく拡散してしまうことなく各章が見事に完結している。そのため、歴史書(原題には「グローバル産業の歴史」とある)として第1章から読み進めることもできるが、関心のあるテーマを扱った章から読んでもいいものとなっている。

 評者は第5章「テレビの時代」から読んだ。著者によればテレビがビューティ産業に与えた影響は多面的かつ大きいもので、「特にアメリカが理想とするライフスタイル、ファッションそしてビューティを普及させることに大きく貢献した」。特にテレビCMはビューティ広告の質を大きく変えたとされる。その一つが性的なメタファーの隆盛であり、その生成過程が描かれている。これはメディア論や記号論的な広告批評の議論にも資するものである。

 第6章「野望はグローバル、市場はローカル」では、テレビCMによって確立されたアメリカ的なビューティイメージがグローバルな規模で普及していく様が描かれる。しかし、決してグローバル化が容易に進んだのではないことがわかる。市場はローカルの文化によって大きく異なるためだ。そのなかで比較的急速に広まったのが日用品だったという知見は理解しやすい。わかりやすい例を挙げるなら、現代では世界の多くの国でシャンプーをする習慣があるし、多くの日本人もシャンプーをすることは自明のことと考えているだろうが、それがどのような戦略や過程を経てグローバルに展開したのか。シャンプーは一例にすぎないが、そういったことが本書からわかるだろう。

 第8章「新たな勢力からの攻勢」ではビューティ産業の負の側面に触れている。著者はビューティ産業を「西洋の帝国主義、アメリカの人種隔離政策、ファシズムといった犯罪行為の共犯者である」と指摘する。左翼、消費者団体、フェミニスト環境保護団体からの批判の系譜を追いながら、アニータ・ロディックによるザ・ボディショップやアメリカのエイボン社などの新たな取り組みを紹介していて興味深いが、同時に資料的な価値も高い。


 本書にはビューティイメージをとらえるために、「起業家」「市場の成り立ち」「正当性」の三つの「レンズ」という視点が最初に設けられていた。それぞれについて、各章を通じてテンポよく論述されていくが、レンズ相互の関係やその理論化といったところまでは本書のテーマではない。例えば、ある起業家が劇的にビューティイメージをつくりあげたということは考えにくいだろう。しかし、そのたとえに倣って言えば、本書の丹念な記述をもとにしながらそのレンズ相互のプリズム(光の屈折)によってビューティの意味がどのようにつくられ、変容していったのかをさらに追求していくことも可能だろう。

 第8章での批判的な検討に加え、終章の「おわりに」ではビューティビジネスの正当性を問いかける。しかし、最後はいささか楽観的な抽象論で本書は締めくくられてしまう。

「ビューティ産業が、私たちに何をすべきか、また、何を選ぶべきかを教えることに、その限りある資源を投入し、彼らが提供できる選択肢やオプションの面で、人類の豊かな多様性を追求することに対してよりオープンである限り、その正当性は保証されるに違いない」

 本書は「ビューティビジネス」の成り立ちとそのグローバルな展開を把握するうえで非常に有用なものである。特に、ビューティビジネスに携わる人や就職を希望する学生にとっては必読書となろう。ただ、読者の多くは折り込み済みだろうから蛇足かもしれないが、「ビューティ」や「ビューティ・プレミアム」自体がはらむ問題への視座は本書には抜け落ちていることは付しておきたい。そういった視座にも触れたい人は、石井政之・石田かおり著『「見た目」依存の時代――「美」という抑圧が階層化社会に拍車を掛ける』 (原書房)のような問題意識の強い本から読み始めるのがいいだろう。

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