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『憂国のラスプーチン』原作・佐藤 優、作画・伊藤潤二、脚本・長崎尚志(小学館)

憂国のラスプーチン

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「愛国と、個人でいることとは矛盾せず」


 本書は、元外交官の佐藤優氏の体験を元に、事実に基づいたフィクションとして描かれたマンガである。東京地検特捜部に逮捕され、拘置所での取り調べ過程とともに、外交官時代のエピソードが時折挿入されながら、ストーリーが展開していく(現在、第三巻まで刊行されている)。

 氏にはベストセラーともなった、『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』という著作がすでに存在するが、本書は、これをコミカライズしたものとも位置付けられよう。

 内容の概略については、第一巻裏表紙の紹介がコンパクトにまとまっているので、それを以下に引用する。

 “外務省のラスプーチン”と呼ばれた男が、東京地検特捜部に逮捕された。ソ連、ロシア政権上層部に最も食い込んだ西側の外交官であり、北方領土返還に情熱を燃やした男が、なぜ国策捜査の名の下に逮捕されなければならなかったのか!?元外交官・佐藤優の実体験を元に、取調室で繰り広げられた特捜部エリート検事との闘いを大胆に描く!!(第一巻裏表紙より)

 一部のインターネット上では、本書を「佐藤優プロパガンダ漫画」などと揶揄する人もいるようだ。評者も、例の事件について、全ての事実を知り得ているわけではないので、軽はずみな断言は避けたいと思う。

 だが、そうした事実関係をめぐる論争以上に、本書からは(たとえそれがフィクションであっても)学ぶ点が多いと言わざるを得ない。

 とりわけ、評者が強く感じたのは、表題にも記したように、「愛国と、個人でいることとは矛盾せず」という点である。

 (あえて作中の登場人物名で記すが)主人公の憂木衛は、逮捕後、512日間に渡る取り調べに一人きりで耐えることになる。

 拘置所の中で、いつ終わるともしれない取り調べと独房との往復に日々を費やしていると、しまいには、担当の検事が唯一の味方にすら思えてきてしまうのだという。

 そしてマスコミの集団過熱報道によって、世論を敵に回してしまうような飛び切りの孤独を味わうことになり、きわめて過酷な状況に置かれていくことになるのだが、それでも、主人公が自分自身を貫き通すことができたのは、一体なぜなのだろうか。

 他の人にはない、特別な心理的な特性を持ち合わせているからだろうか、それとも・・・と解釈は多様にあり得よう。だが評者は、主人公が愛国者であることにその答えを求めたい。

 愛国者であるがゆえに、「国のため」という信念を貫いてきたがゆえに、孤独になろうが、過酷な状況におかれようが、自分自身を貫くことができたのではないだろうか。

 このように記すと、(とりわけ日本社会においては)奇妙な印象を持たれる方が多いかもしれない。国のために尽くすような愛国者は、(かの敗戦に向かった時代のことを思い出すまでもなく)むしろ自分自身を見失ってしまうものなのではないか、個人であることを忘れ集団に埋没してしまうのではないか、と。

 しかし、愛国者国粋主義者は明確に区別するべきものと思う。

 自らの信念を忘却して、盲目的に国家を信奉する国粋主義者全体主義者がたびたび暴走してきたことは、この社会の歴史を振り返ったときに疑いのない事実である。

 そして、そうした状況は、おそらく今日もなお続いている(それは本書の内容からもうかがい知れよう)。

 別な言い方をすれば、それはこの社会が、未だに信念のない個人ばかりが存在する社会だということでもある。

 あるいは、そもそもそうした信念のない存在など“個人”と呼ぶには値しないのかもしれないが、むしろこのマンガの主人公は、愛国という信念を貫くからこそ、たやすく迎合したりはしないし、確固たる個人でいられるのだ。評者は、そこに何がしかの教訓を読み取りたいと思う。

 誤解のないように記せば、もちろん個人が信念を持つ対象が国家でなければならない必然性はないし、信念の対象は多様であるべきだと思う。

 本書は、このように当たり前といえば当たり前に過ぎることを、改めて気づかせてくれる作品である。

 確固たる信念を貫いたがゆえに、まわりの空気に溶け込めず孤独な立場に置かれている人々に、たやすく周りになびいたりしようとする前に、ぜひ読んでほしい作品である。


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