書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『スポーツの世界地図』アラン・トムリンソン(丸善出版)

スポーツの世界地図 →紀伊國屋書店で購入

「スポーツの多様性を想像するための一冊」



 タイトルからは、本書は現代スポーツの情勢を地理的、ビジュアル的に把握するための図鑑か、教養として読んでおくべき教科書のようなものをイメージした。ところが、本書はいい意味でそのような理解を覆す意外なものだった。

 オリンピックに代表されるように、今日のスポーツは高度に商業化、エンターテイメント化され、それはメディア文化とも不可分な関係にある。スポーツを語る書物やジャーナリズムの多くもそれを前提にしている。そのような傾向を批判的にとらえようとするものでさえ、その呪縛から自由であることはなかなか容易ではない。本書はいろいろなルーツや顔を持つスポーツを可能な限りそのまま描こうとする。そのような問題意識は冒頭の一文に集約されている。

「われわれはいかにして経済的なもの、政治的なもの、大衆的なものの入り混じったものがスポーツを維持し、多くの場合増幅するのかを探る。本書は、称賛すべきものと忌まわしいものと、勝利とその悲劇を明らかにする。われわれは、資源と到達点を地図化することにより、ますます不平等化する世界におけるグローバルなスポーツ像をみることになる」(10頁)

 手にした読者は、どういうジャンルの本なのか、どう読んだらいいのか、最初こそとまどうかもしれない。だが、やがてその魅力にひきこまれていくに違いない。そして、その“得体の知れなさ”こそが実はスポーツの多様なあり方を忠実に反映していることにも気づくだろう。文章表現はやさしく中高生から読めるものとなっているが、その意図するところは深い。

 誤解のないように補足すれば、本書の「スポーツの世界地図」としての資料的価値は疑う余地もない。グローバルなスポーツであるサッカーや、競技国は限られているが市場規模の大きい野球などのメジャースポーツも含め、約30もの競技を扱っている。また、4部「国別スポーツプロフィール」では、77か国にもおよぶスポーツの歴史と現状をまとめている。データの信憑性や網羅性については著者自ら限界があることを吐露しているが、50余りの国を訪れて聞き取りやフィールド調査を行い、それらを補おうした跡がそこには見てとれる。それらはこれから手にする皆さんに参照いただくとして、評者は以下で特に本書のユニークな部分を紹介していきたい。

 パラリンピックは障がいのある退役軍人のために始まった経緯がある。今日では、障がいに対する社会的な認識を高めたり、障がい者へのステレオタイプを解消するなど重要な意味を持つものだ。これを世界地図で見てみると、国際大会が開催された地域と、逆に国際パラリンピック委員会に加盟していない、あるいは加盟が留保されている地域との間に歴然とした偏りがあるのがすぐわかる。評者もパラリンピックでの選手の活躍に感動を受けた一人だ。だが、「感動をありがとう」を連呼するテレビとそこで感動を分かち合う視聴者の経験はその後、何かの実践につながっているのだろうかという疑問を評者はときどき抱いてしまう。本書はこのような偏りが何に起因するのかを考え、そこに分け入っていく契機となるものだ。

 主要なスポーツ文化では、異性愛が理想とされると同時に同性愛は嫌悪されてきた。それだけではなく、スポーツ文化を通じて異性愛主義が維持・強化されてきたという面もあるだろう。ゲイだけでなくLGBTレズビアン、ゲイ、バイセクシャルトランスジェンダー)に開かれたゲイ・ゲームズがなぜ「ゲイ・オリンピックス」と名乗ることができないのか、出場した選手がその後苦悩を抱えなければならないのか、本書は問題提起する。

 明確な定義は与えられていない(いや定義づけできないのが魅力なのだろう)が、ライフスタイルスポーツ、あるいはエクストリームスポーツ(日本ではオルタナティブ・スポーツと呼ばれるという)と括られるジャンルがある。サーフィン、スノーボード、モトクロスなどがこれに含まれる。著者がその特徴として個人主義と快楽主義を挙げているように、これらのスポーツは、若者文化、対抗文化と深い関係にある。そのため、オリンピックのようなナショナルなイベントやその言説のなかで、選手の振る舞いや発言が軋轢を生むということが多々生じている。そういった対抗文化としての側面は、ナショナリズムや企業文化に覆われた従来のスポーツを突き崩す可能性を持つものであるが、商業化の傾向が強いという面も併せ持っていることを著者は鋭く指摘している。

 そのほかにも随所(ときに吹き出しや写真説明のような細部に)に本書の狙いが宿っている。スポーツ消費の項目ではスポーツをめぐるサブカルチャーにまで目配りがなされ、テレビゲームでの仮想スポーツや任天堂のゲーム機Wiiのファンなどが紹介されている。マーチャンダイジング(スポーツ関連製品製造と販売)の項目では、サッカーボールを低賃金で縫製するインドの少女たちの事例が紹介される。彼女たちは“健全な”スポーツのための道具を作るために手を傷つけて化膿させ、視力に障害を来しているという。

 著者が言うように、スポーツには称賛すべきものと忌まわしいものが同居している。その政治・経済とのかかわりが言及されることは少なくないが、本書にはそれに加え貧困、人種、ジェンダーセクシュアリティ、メディアなどさらにさまざまな視点が盛り込まれている。まさに、スポーツの多様性やそこに横たわる問題を想像するための一冊だ。


             

→紀伊國屋書店で購入