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『アリスの不思議なお店』フレデリック・クレマン著/鈴村和成訳(紀伊國屋書店)

アリスの不思議なお店

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「あの子だけのために物語ること。」

                  千野帽子俳人・エッセイスト)


 フレデリック・クレマン『アリスの不思議なお店』(鈴村和成訳)を読みました。

 いわゆる「絵本」というより、もっと緩い。絵・コラージュ・オブジェ写真のかずかずが、タイポグラフィックな文字と絡んで配置されています。

 テクストの進行はきわめてシンプル。〈僕〉ことマッチ売りのフレデリックが、アリスという女の子に見せてあげたい、世界各地で集めてきたさまざまな貴重な商品(キュリオジテ)を紹介していく、というものです。

 〈魔法の杖のひとかけら〉、〈砂つぶほどの小さな象〉、〈ピノキオのこわれた鼻の先っぽ〉、〈長靴をはいたネコの口ひげ二本〉、〈シバの女王のまつげ一本〉、〈星の王子さまの影〉、ネモ船長が操縦する〈空飛ぶじゅうたんツアーの当たりくじ〉、〈写真家ロベール・ドワノー氏の/カメラから逃れ出〉た〈スズメ(モワノー)の羽根〉、〈セイレーンの一筋の髪〉、〈白雪姫の靴下留め〉、〈野生のピアノ狩りに使う塩入れ〉、〈シンデレラの七つの笑いのかけら〉と、どんどん列挙される品々、そのひとつひとつがオブジェとして製作され、オールカラーで掲載されています。

 たとえば〈親指姫のゆりかご〉のばあい、胡桃の殻に菫のマットレスが敷いてあり、その上から薔薇の花びらのシーツがかかっている、といった具合なのです。

 そして、一品一品の縁起・来歴(プロヴナンス)も手短に紹介されています。たとえば、かつて、〈うつり気な帽子〉は、〈女の子たちの/いちばん高い巻き髪(シニョン)を見つけては/あちらこちらにとまっていったものなんだって〉。帽子は娘のシニョンのてっぺんに赤い卵を産みつけたのだというのです。

 この本は一九九五年にフランスで刊行され、翌々年に日本語訳が出ました。一九九七年は奇しくも、架空の商品オブジェを目録の形で発表するユニット「クラフト・エヴィング商會」の最初の本『どこかにいってしまったものたち』(筑摩書房)が刊行された年でもあります。

 ところで本書はもともと、娘の誕生日プレゼントとして作ったものを、一般の出版物として刊行したものだそうです。そういう来歴(プロヴナンス)の真偽はともかくとして、このような由来を持つ物語というものがときどき、児童文学の世界には訪れるものです。

 ルイス・キャロルが、勤務校の学生監の娘アリス・リデルのために『不思議の国のアリス』の原型を書いたのは、あまりに有名な話。ビアトリクス・ポターがむかしの家庭教師の幼い息子に宛てた絵手紙のなかから、ピーターラビットと仲間たちが生まれたといいます。中勘助和辻哲郎の娘・京子のために連作『鳥の物語』を書き始めたそうです。トールキンも自分の子どもたちのために『サンタ・クロースからの手紙』を書き継ぎました。A・A・ミルンは『クマのプーさん』をひとり息子のクリストファー・ロビンのために書いたそうですし、その『クマのプーさん』を石井桃子が翻訳することになったきっかけは、石井を助手として雇った犬養毅の幼い孫たち(犬養道子・康彦姉弟)のために原書を訳読したことだそうです。石井はのちにピーターラビット絵本をも翻訳することになりました。

 子どもの本それ自体よりも、このような挿話が好きなのですが、その理由は、それらの作品が特定の相手に宛てて書かれたこと、つまり子ども一般や大人一般に向けて書かれなかったという事実を思わせるからです。

 子どものための本は、「世のすべての子どもたちのために」「かつて子どもだった大人たち一般のために」書かれた瞬間に、お説教臭が漂うものです。「子どものための本」を読む気がしないのは、その多くが、作者と読者とのあいだに「大人・子ども」という役割演技を成立させようとするのが、どうにも胡散臭いから。いまさら子どもになんか戻ってたまるものか。

 いっぽう、それぞれの物語を書いたときの、キャロルやポターやミルンや中勘助トールキンやクレマンが、「あの子」たち「だけ」を愛していたとまで極論するつもりはありません。しかし、特定の相手のために物語を作って捧げるという行為――自分と妹が生き延びるために、『千一夜物語』のシャハラザードがおこなった行為――は、当然ですが、「あの子」とそれ以外の子たちとを選別することにほかなりません。この意地悪で正直な排除こそ、子どもの本に存在していてほしい潔さなのです。

 キャロルからクレマンにいたる著者たちは、あの子があの子だからそれを書いたのであって、あの子が子どもだから書いたのではない 。ですから『アリスの不思議なお店』は、そしてじつは先に挙げた『不思議の国のアリス』や『クマのプーさん』も、あくまで「あの子」たちのおこぼれ、あるいはお下がりである以上、私たち大人の読者に「子どもに戻る」ことを強要しない本なのです。

 「大人向けの本よりも子ども向けの本のほうを好んで読む大人」が大の苦手な私としては、このことをありがたく思って『アリスの不思議なお店』を読んだのでした。

*「scripta」第10号(2008年12月)より転載


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