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『アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた―シャイな息子と泣き虫ママのびっくり異文化体験記』小国綾子(径書房)

アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた―シャイな息子と泣き虫ママのびっくり異文化体験記

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「これからの時代の、「子育て/親育ち」を少年野球に学ぶ!」

 いきなり私ごとで恐縮だが、また以前の私をご存知の方ならば大いに驚かれることだろうが、今年度初めから、地元の少年野球チームでコーチをやっている。毎週末は、練習の手伝いや試合の付き添いに出かけている。
およそキャッチボールぐらいしか野球経験のない、文化系街道まっしぐらの私だったが、息子の入団とともに、人出不足のチームのお手伝いをしているうちに、気が付いたらそうなっていた。だがこれが実に楽しく、充実感があるのだ。

 実際に体験してみて思うのは、少年野球は勝ち負けを競う「スポーツ」でもありながら、むしろ「教育」、いやそれが堅苦しい言葉ならば、「子育て」であり、それと同時に「親育ち」ということだ。

 プロや大学生などと比べてしまえば、技術や迫力の面では大幅に劣ってしまう子どもたちの試合だが、これが見ているうちに、ついつい前のめりになって、声を張り上げて応援してしまうのだ。

 ただの親バカに過ぎないと言われればそれまでかもしれない。だが、人様の子どもも含めて、これほどに「成長」という実感を持てる機会もそうないと思われる。それは、子どもの、だけでなく、親としての、もである。

 すなわち、入ったばかりのころはキャッチボールすらままならなかった子が、いつの間にか守備でファインプレーを見せるようになることへの感動もさることながら、自分の子どもを気にするので精いっぱいだった親が、他の子の成長を見守ったり、チームとしての団結に喜びを感じられるになっていくのである(これはまさに私自身のことである)。

 さて、前置きが長くなったが、本書『アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた』は、タロー少年が父親の海外赴任にともなって引っ越すとともに、よく馴染んだ日本の少年野球チームを離れ、現地のチームに入り、そして苦労していく様子を、母親の視線から書き記したものである。

タロー少年が我が家の息子とほぼ同じ年ということもあって、まるで他人事とも思えないなと引きこまれるうちに、あっという間に読んでしまった。元新聞記者という筆者の臨場感あふれるタッチも本書の特徴である。

 日本の野球と、アメリカのベースボールというものが、同じスポーツとは思えないほどに違うものであるらしいということは、素人ながらにも、WBCであったり衛星放送での大リーグ中継などから感じ取ってはいた。

 だが本書が教えてくれるのは、スポーツのゲームとしてだけでなく、「子育て/親育ち」の面においても、この2つがまるで違うということなのだ。

 よく言われるのは、日本の野球は集団主義的だということだ。プレーでも「チームのため」が優先されるし、一つのチームに所属すると、ふつうはずっとそこでプレーすることになる。

 それと対照的に、アメリカのベースボールは少年野球においても、やはり個人主義的なようだ。ずっと同じチームに所属するどころか、むしろ自分の能力に応じて、年に一回ぐらいあるトライアウトを受けながら、所属チームを変えていくことが普通だという。またシーズンオフには、高価な料金を支払って、プロのコーチからプライベートレッスンを受けたりもするのだという。またそのように、個人主義能力主義の徹底した社会のため、プレーにおいては、結果もさることながら、果敢に「チャレンジ」することが称賛され、たとえば、凡打に終わっても、力強く速球を振りぬこうとしたならば、「ナイス、チャレンジ!」と声をかけられるのだという。

 他にもいくつもの違いが取り上げられていて実に興味深いのだが、これ以上はネタばれにもなるので控えておくこととしよう。

 さて、評者が本書に対して特に好感を覚えたのは、往々にしてこうした「日米比較もの」の著作が、アメリカ礼賛の日本批判になりがちなのに対して、決して、そのように二者択一的になっていないということだ。

 実際に、タロー少年はその後、数年して帰国することになるのだが、アメリカで得た経験を糧として、現在では日本の野球を楽しんでいるという。

 いわば、「子育て/親育ち」としてのベースボールと野球の比較が、二者択一ではなく、どちらについてもメリット/デメリットを取り上げながら、冷静に論じられているのだ。

 まさにこれからの時代に求められているのは、ライフスタイルに対するこうした態度の在り方だろう。社会の流動性が増し、多様性が高まって競争が激しくなっていくこれからの時代を生き抜いていくためには、冷静に状況を分析したうえで、適切なライフスタイルを自ら選びとっていくことが重要になるはずである。タロー少年とその両親は、野球を通して、そのスキルを身につけていったということになるだろう。

 また日本の少年野球チームにおいても、寡聞にして評者の知る限りでも、若いお父さんたちが指導者を務めている場合などは、こうしたアメリカ型のベースボールのよさと、日本の野球のよさをミックスさせたような、子どもの自主性を重んじながらも、うまくチーム全体を運営していくような、新しいケースが見られるようだ。まさに「和洋折衷」のよさとでもいったらよいだろうか。

 このように本書は、単に野球のことを取り上げただけの著作ではなく、むしろこれからの時代の「子育て/親育ち」に関するライフスタイルのヒントに満ち溢れた一冊だということができる。流動性の高まるこれからの社会を考えるという点では、同じく今月の書評で取り上げた『格付けしあう女たち』(白河桃子)が、同質性の高い、閉じた世界内でのトラブルを、いかに描いていたかということと比較しながら読んでも面白いだろう。

 野球に関心のある方だけでなく、「子育て/親育ち」に関心のある方も含め、多くの方にお読みいただきたい一冊である。


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