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『イングリッシュ・モンスターの最強英語術』菊池健彦(集英社)

イングリッシュ・モンスターの最強英語術

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「貧乏と英語」

 大学受験がこれほどのニュースになったのは久しぶりのことだろう。かつて津田塾大学で、女子高生に扮したお父さんが娘の替え玉として受験しようとして試験会場でばれるという、知る人ぞ知るスゴイ事件があったが(「父と娘はそんなに顔が似ていたのか?」「お母さんはとめなかったのか?」「セーラー服は特注か?」など疑問点もいろいろ……)、それに比べても今回の受験生の手口はまったくひどい。

 今回の事件でターゲットになった科目は英語と数学。まさに受験科目の双璧である。とくに英語は昔から「努力が形になる科目」として知られ、才能がないとどうにもならないとされる数学に比べても受験生のがんばり度や、下手をすると人柄まで測るのに都合のいい指標とされてきた。「英語ができる子はまじめでよく勉強する」との神話はたぶん今でも生きている。流暢な英語をシュビシュビッとしゃべる帰国子女が、受験英語となるとそう簡単に高得点をとれないということとも相まって、受験科目としての英語の地位は揺るがないようにも見える。

 実際、書店で一般の英語参考書のコーナーをのぞいてみても、上記のような日本的な「英語神話」のおかげか、参考書にすぎないのにやたらと「だからお前はダメなのだ!」「人生やり直せ!」的は売り文句がならんでいて、5分もいるとげんなりする。

『イングリッシュ・モンスターの最強英語術』はそうした中でも、とりわけ派手な存在感を放っている本であった。「イングリッシュ・モンスター」というよくわからないフレーズも、「タイトルはちょっと意味不明くらいがちょうどいい」というベストセラーの鉄則を守っているようだ。

 おそらく本書が他の参考書より頭ひとつ抜けて目立つのに成功した理由は、英語の参考書なのにほとんど英語のことが書かれていないというところにある。参考書としてアドバイスされているのは、せいぜい「単語をたくさんおぼえましょう」「毎日コツコツやりましょう」「英語の母音はたくさんあります」「聞き取りは大事です」ということくらい。これは別に書評者が手抜きしていい加減にまとめているわけではなく、ほんとにこれくらいなのである。具体的な指示もほんの少し。

 どうしてこれで英語の参考書たりえるのか?それはこの本もまた、「人生の中の英語」というスタンスをとっているからである。「ねえ、キミ、人生どうよ?」という声が聞こえてくるのだ。人によっては暑苦しいと思いそうな語りかけだが、英語の勉強はこうした人生主義ととても相性がいい。

 本の前半は著者の人生語りに費やされている。小学校、中学校での学校生活への不適応ぶり。高校で青森から熊本に転居した親から離れ、ひとりで下宿生活。大卒後就職した洋書会社での営業成績の悪さ。ついに仕事をやめ、引きこもり生活突入。実に7年の孤独な英語学習。そして「引きこもり留学者=英語の達人」としての大ブレーク。

 こうした人生語りの中でもとりわけ大きな役割を果たしているのは、独特の貧乏臭である。一日食費500円の生活。スーパーのタイムサービス。レジ打ちのお姉さんへの束の間の恋。使い古された辞書。汚いカバーのついた電子辞書。カップ麺の残り容器でつくったあやしげな英語発音矯正マシーン。英語というと何となく遠いもの、豊かなもの、進んだもの…と輝かしさを暗示しそうなところ、この本はむしろさまざまな〝欠如〟をこそ語る。できないこと、わからないこと、勉強しても忘れてしまうこと、どれもが英語と縁の深いものなのだ。

 しかし、言うまでもなくこの本の芯にあるのは、欠如と貧乏臭の中から「TOEIC驚異の990点満点を24回更新中」(帯より)のカリスマ英語教師が生まれてしまったという成功物語である。「どうやったら私にも英語ができるようになるの?」という問いは、いつの間にか「この人はどうやって英語ができるようになったの?」という問いにすり替えられる。そこでは私たちはやっぱり、〝人生〟を読むことに淫してしまう。まさに狙い通りである。

 英語にかかわる仕事についている筆者の立場から言っても、この本の英語のアドバイスにはとくに大きな反論はない。強いて言えば、言葉の発音が聞き取れないのは、単に耳が悪いからではなく、勘が悪いからである。いや、「勘が慣れていない」と言った方がいいか。日本語で会話するときも、私たちは実際にはたぶん2割くらいの音しか聞いてはいない。あとの8割は文脈に依存した「勘」なのだ。英語もそれと同じである。いずれにせよ、リスニング重視を掲げるなど、この本の力点には筆者も賛成する点が多い。リスニングは別に英会話上達のためのものだけではない。リスニングを上手に練習することで、読解力もあがる。作文もそう。文法だけで書かれた英語がダメなのは(これは日本語についても言えるが)、〝意味のリズム〟に乗っていないからである。このリズムを身につけるには、効果的に耳の練習をするのが一番……とついつい力が入ってしまうが、この本はそういう面倒くさい話はとりあえずナシ。その点は安心してください。

 想定読者は「英語が苦手な人」とのこと。しかし英語が苦手な人に限らず、「人生のどういうポジションに英語を置いたらいいかよくわからない」と思っている人は少なくないだろう。これからの英語教育は、人生のトータル・サポートへと舵を切っていく可能性が高い。英語産業はいよいよ巨大化する。英語の参考書にはますます人生語りが横溢しそうな気配である。


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