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『Stork Club : American’s Most Famous Nightspot and the Lost World of Cafe Society』Ralph Blumenthal(Little Brown)

Stork Club

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「ニューヨークの華やかさが偲ばれる一冊」


 以前、当時の『ニューヨーク・タイムズ・ブックレビュー』誌の編集長だったチップ・マックグラスに会った時に、アメリカの雑誌『ニューヨーカー』誌の話を聞いたことがある。マックグラス自身『ニューヨーカー』誌に23年間在籍し、1952年以来編集長を務めたウィリアム・ショーンの元で副編集長になった男だ。一時は『ニューヨーカー』誌の編集長になるかと思われたが、ティナ・ブラウンという有名エディターが編集長に指名され、その後彼は『ニューヨーカー』誌を去った。

 マックグラスに聞いたショーンの話だが、名編集者と謳われたショーンは88年に『ニューヨーカー』誌を辞めた。この時点で『ニューヨーカー』誌を読む人の数は激減していたという。

 ショーンについてマックグラスは次のように語っている。

 「ショーンはとても変わった男だった。人に対して苦痛なくらい丁重に接し、シャイでいつもどこかに引きこもっていた。彼のもとでは15年間働いたけど、最後まで彼を知っているといえない気分だった。編集者としては最高の人物だったが、ショーンは『ニューヨーカー』に長くいすぎたと思う。偉大な男が時々犯すミステークだ」

 この言葉を聞いてなるほど、と僕は思った。能力のある人が、時代や状況の変化に追いつけず、同じやり方を続け取り残されていくとうことは確かにある。能力があるだけに最後の最後まで戦えるのだ。

 今回紹介する『Stork Club』を読んで、クラブのオーナーだったシャーマン・ビリングスレイもそんな男のひとりだと感じだ。

 ストーク・クラブは1920年代から60年代までニューヨークあった有名なナイトクラブだ。一般客はなかなか店内に入ることはできず、このクラブに出入りしたのは、ケネディ一家、ジョン・F・ケネディのデート相手だったマリリン・モンローアーネスト・ヘミングウェイジョー・ディマジオスコット・フィッツジェラルド、オーソン・ウエルズ、エドガー・フーバー(当時のFBI長官)、グレース・ケリー、そしてグレース・ケリーとデートを重ねたモナコのレーニエ王子、デューク・エリントン、コラムニストのウォルター・ウンチェルなどその時代の特権階級に属する人々だった。このストーク・クラブに集まる人々の輪をメディアはカフェ・ソサエティと呼んだ。

 本書によると、ストーク・クラブは30年代に年間100万ドルの売上げがあったという。当時、セクレタリーの収入が週給30ドル程度だったことを考えれば膨大な売上だ。ストーク・クラブを一流のナイトクラブに保つために、ビリングスレイは年間7000ドルを花に使い、1万2000ドルの電気代を払い、店内で演奏をする2つのフルバンドに1万5000ドルを支払った。従業員も200人と完璧なサービスを提供できる人数を揃え、彼自身も週7日間、昼間から朝の4時まで働いた。

 本書では、マフィアも出入りするこの有名なナイトクラブの様子や、オクラホマの片田舎から出てきたビリングスレイが密造酒を売るブートレッガーから、スピーク・イージー(禁酒法の下で違法に酒を売る店)であった第1、第2ストーク・クラブを作り、3番目のストーク・クラブで成功を収めるまでの様子も書かれてある。また、当時のクラブの華やかさの裏にマフィアの影があったことも分かる。

 テレビ番組や映画の題材にもなったストーク・クラブだったが、50年代に入ると労働組合との訴訟問題や黒人へのサービスを拒否したため人種問題なども抱える。

 読み応えのあるのは本書の後半部分だ。そこには時代は変わっていくが、あくまでストーク・クラブを変えようとはしなかったビリングスレイの姿が描かれている。お金がなくなり腹心の部下も去っていくなか、遂にビリングスレイはストーク・クラブに泊まり込んで経営をしていく。持っていたアパートも売り払い、最終的にはどうにもならずストーク・クラブを売り渡す形で店を閉める。ビリングスレイは店を閉める直前まで、気に入らない従業員をクビにし、嫌いな客は追い返し、自分のやり方を貫こうとした。そこには悲愴感さえ漂う。時代はすでに60年代に入り、店をたたむ65年には誰もストーク・クラブを見向きもしなくなっていた。

 傲慢で、盗聴などもしたビリングスレイだったが、彼は心の底からクトーク・クラブを愛していたにちがいない。自分で雑誌を創刊した僕は、彼の心情がよく分かる気がする。僕にとって雑誌は自分の子供のような存在だが、ビリングスレイにとってのストーク・クラブはクラブ、イコール彼自身だったのだろう。クラブが人気を博せば彼も注目を集め、クラブの衰退とともに彼の身なりも薄汚れたものになっていく。

 ストーク・クラブを閉めたちょうど一年後、ビリングスレイはこの世を去っている。ニューヨークの一時期を華やかに彩ったクラブの歴史と、そこにいた人々の姿が偲ばれる一冊だ。


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