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和田博文 エッセイ

ロンドンやパリに比べると東京のエリアは広い。おのずから東京のなかには、個性的な小都市がいくつも成立している。モダン都市化が進行した1920~30年代でも、その特徴は変わらない。たとえば東京の表玄関(1914年開業の東京駅)に隣接する丸ノ内は、1923年に丸ビルが竣工して、日本を代表するビジネスセンターとして発展する。銀座は同年の関東大震災で大打撃を受けるが、消費や散歩を楽しむ晴れのトポスとして復興し、洋装・断髪のモダンガールが映える街へとリニューアルした。また震災で焼け野原となった浅草も、宗教・エロス・芸能が共存する下町として蘇っている。

 

 

丸ノ内や銀座や浅草に比べると、新宿は都市としての歴史的記憶が浅い。震災後の東京では郊外への大規模な人口流出が起きた。郊外電車(現在の私鉄)や省線(現在のJR)の沿線に、郊外住宅が次々と開発されていったのである。おのずから新宿は、京王線西武線小田急線・中央線で通勤通学するサラリーマンや学生が溢れる、新興の街として成長することになる。高野がフルーツパーラーを名乗り、中村屋が喫茶部を開設し、武蔵野館で徳川夢声無声映画の弁士として活躍するのは、1920年代の後半だった。1930年代の前半になると、三越伊勢丹が新築され、昼間の新宿は買物をする主婦で一層混雑するようになる。

 

 

都市には必ず、人々が移動する際のメルクマールが複数存在する。現在の私たちもそうだが、1927年に開店した紀伊國屋書店は、本を買う場所としてだけでなく、待ち合わせの場所としても利用された。しかしそこが最初からメルクマールだったわけではない。創業者の田辺茂一紀伊國屋書店を、文化装置として構想したように見える。東京にまだコレクションをもつ近代美術館がなかった時代に、田辺は書店にギャラリーを併設し、美術・演劇・建築・映画・写真・文学の展覧会や講演会を開いた。また行動主義とリンクして命名された新宿本店のサロン・行動や、阿部艶子・戸川エマ文化学院関係者が集う銀座支店のBGCのような、文化人のたまり場も作っている。

 

 

書店の棚はそもそも文化の最新情報の発信地である。同時に紀伊國屋書店は、時代の尖端を駆け抜けるメディアの発行元も引き受けた。1930年代の都市モダニズムエスプリを体現する雑誌『L’ESPRIT NOUVEAU』『新科学的』『詩法』『行動』は、いずれも紀伊國屋書店から創刊されている。それらにも増して興味深いのは、同時期の紀伊國屋書店から出ていたPR誌『紀伊國屋月報』『レセンゾ』『レツェンゾ』である。文学者・美術家・音楽家・映画人など寄稿者も多彩だが、吉行あぐりの美容時評を掲載し、「笑いの王国」の三益愛子や、松竹少女歌劇の南里枝を紹介するなど、誌上にはモダン都市の風が軽やかに吹いている。PR誌を通路として読者は、東京のモダン都市文化を味わい、さらにロンドンやパリの空気にも触れることができたのである。

 

→選書リスト「紀伊國屋書店と新宿」


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和田博文(わだ・ひろふみ)
1954年横浜市生まれ。
神戸大学大学院文化学研究科博士課程中退。文化学・日本近代文学専攻。ロンドン大学客員研究員・奈良大学教授を経て、東洋大学文学部日本文学文化学科教授。
2008年は、新興写真や戦後詩の研究を進めながら、大学では学生や院生と、1920~30年代のモダン都市文化、宮澤賢治の詩と童話、日本人のロンドン体験などを学んでいる。
『コレクション・モダン都市文化 第I期(全20巻)』『第II期(全20巻)』(ゆまに書房)を監修。