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『老いはじめた中国』 藤村幸義 (アスキー新書) & 『老いてゆくアジア』 大泉啓一郎 (中公新書)

老いはじめた中国

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老いてゆくアジア

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 スーザン・シャークの『危うい超大国』に中国は先進国の仲間入りをする前に高齢社会をむかえるとあった。所得が増えるにつれ出生率が低下するのは世界的な傾向だが、中国の場合、一人っ子政策によって人口の抑制をはかったために人口構成が人為的に歪められ、社会の高齢化が急速に進んでいるというのだ。

 重要な指摘だが、それ以上の言及がなかったので、この二冊を読んでみた。

 まず、藤村幸義氏の『老いはじめた中国』である。高齢化をあつかっているのは第一章だけだが、よくまとまっており、中国の高齢化がいかに深刻かがよくわかる。

 国連が出している "World Population Prospects" では65歳以上を「高齢者」とし、高齢者が全人口の7%に達すると「高齢化社会」、14%を越えると「高齢社会」と呼んでいるが、上海は2004年に「高齢社会」になり、重慶、北京、天津、江蘇も「高齢社会」目前である。中国全体でも2026年には「高齢社会」に突入する。高齢化のピークには日本同様、高齢者人口が40%を越える。しかも、中国では定年が男性55歳、女性50歳と早いので、「非生産年齢人口」という意味での高齢者の比率はもっと高くなる。

 高齢化は日本やNIES諸国(韓国、台湾、香港、シンガポール)の方が進んでいるが、日本やNIESは一人当たりGDPがすでに1万5000ドルを越えており、富裕化してから高齢社会をむかえるが、中国は現在の奇跡の成長率をあと20年間維持できたとしても 3000ドルにしかならない。中国は20年後、貧乏なまま高齢社会になってしまうのだ。

 社会の高齢化を遅らせるには一人っ子政策からの転換が必要だが、昨年1月に一人っ子政策の継続を決定しており、早急に撤廃される見こみはない。また、女性の意識が変化しているために、かりに一人っ子政策を撤廃したとしても、出生率が早急に回復するかどうかはわからないという。

 本書は高齢化というタイムリミットを切られた中国がかかえる環境破壊、所得格差、高度経済成長の終焉などの問題を解説しているが、日経新聞の元北京特派員だけあって記述は具体的であり、新書判ながら情報量は多い。シャークの『危うい超大国』は本筋からはずれた話題は簡単に片づける傾向があるが、本書のおかげであらましのわかった事例はすくなくない。

 たとえば『危うい超大国』の「新設の私立大学のいくつかでは、大学側が約束していただけの価値が卒業証書にないことが判明して、学生たちが大規模なデモを行っている

」という一節である。中国に私立大学があるというのでひっかかっていたのだが、本書によると 、高度経済成長の人材を育成するために1999年に「教育産業」が公式に認められ、各地で公立大学が母体となって「独立学院」という私立大学を設立するのがブームになった。母体となった公立大学と同じ卒業証書を授与すると学生を集めたが、政府の指導で別の卒業証書になったので学生が怒って騒動になったという。中国には私立大学の伝統がなかったために、教育が身もふたもない金儲け主義の対象になってしまったのである。

 中国は高度経済成長を維持するために外資を優遇してきたが、税金の優遇の撤廃を決めるなど外資規制の方向に梶を切っている。今後、国内産業を守るために非関税障壁で抵抗し、それでも守りきれなかったらWTO脱退もありうると著者は見通しを述べている。

 それにしても、 元日経記者が書いたとは思えないくらい悲観的な話がつづき、中国が21世紀の超大国になるという話は夢のまた夢としか思えなくなる。日経の行け行けどんどんの論調を信じて中国に投資してきた人はどんな思いで本書を読むだろうか。

 大泉啓一郎氏の『老いてゆくアジア』は『老いはじめた中国』以上に衝撃的である。高齢化は日本やNIES、中国だけでなく、アジア全体で進行していることを揺るぎないデータと論理で示しているからだ。

 大泉氏は三井銀行総合研究所(現在は日本総合研究所)の研究員で、今年、本書によりジェトロ・アジア経済研究所の「発展途上国研究奨励賞」を受賞している。

 近代化にともない、一国の人口構成は多産多死のピラミッド型から少産少死の釣鐘型に変化していくが、その途中、多産少死の一時期があり、人口比グラフは中間で突出した壺型になる。アンドリュー・メイソンはこの人口比グラフの突出部を「人口ボーナス」と呼び、1997年の「人口とアジア経済の奇跡」で出生率の低下と「生産年齢人口」の割合の急激な上昇がアジアの経済発展をうながしたとする「人口ボーナス論」を提唱した。

 人口ボーナス論は D.E.ブルームや J.G.ウィリアムソンに受けつがれ、1960~90年の東アジアの高度経済成長は 1/3が人口ボーナスによるものだという推計や、人口ボーナスを経済発展に活かすには人口構成の変化に適した政策をとる必要があるとする研究が出ているという。

 人口ボーナス期間のはじまりと終わりをどう考えるかには諸説があるが、著者は生産年齢人口の比率が上昇する時期と下降する時期と明解に定義し、日本は1930-35年にはじまり、1990-95年に終わったとしている。NIES諸国と中国は台湾がやや早いものの、おおむね 1965-70年にはじまり、2010-15年に終わりをむかえる。ASEAN諸国もやはり1965-70年にはじまるものの、終わりの時期は2010年から2040年とばらついている。インドの場合は1970-75年にはじまり、2035-2040年に終わるとしている。

 人口ボーナス期間の前半は高度経済成長が可能だが、後半になると国内貯蓄率が高まり、教育レベルが上がるものの社会の高齢化がはじまるので、産業を労働集約型から資本集約型に転換させる必要がある。その後に来る高齢社会で経済成長を維持するには知識集約型の産業を興さなければならない。

 中国は人口ボーナス期間の前半のうち、最初の10年間を文革で空費したが(1965-78年の経済成長率はわずか3.9%)、後半にはいった現在も10%の成長率を維持している。これは1988年まで私企業の活動が制限されていたために、毎年1000万人増加していた新規労働力を工業部門が吸収できず、農村に滞留していたため、目下、都市部限定の人口ボーナス効果が起きていると著者は説明している。タイも同じような状況だという。

 本書の第四章は「アジアの高齢者を誰が養うか」と題されているが、この章は必読である。日本の将来は暗いが、NIES諸国の将来も暗く、中国にいたっては真っ暗闇らしい。

 先日、自民党少子高齢化対策として、50年間で「総人口の10%」(1000万人)の移民の受け入れを目指すという提言をまとめた。東アジア、特に中国の若い労働力を呼びこんで日本の産業に輸血しようというわけだが、日本の状況しか見えていない視野狭窄の意見にすぎない。アジア全体が少子高齢化に進んでいる現在、移民に頼ろうなどという安易な解決策はもはや不可能なのである。

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