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『千年前の人類を襲った大温暖化』 ブライアン・フェイガン (河出書房新社)

千年前の人類を襲った大温暖化

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 温暖化懐疑論にくみするわけではないが、昨今のエコの大合唱には首をかしげたくなるところがある。古今未曾有の大惨事が起きるかのような騒ぎになっているが、地球はこれまでにも温暖期と氷河期をくりかえしてきたのである。

 北極の氷が消えるとシロクマが絶滅するという趣旨の映像が飽きもせずに流れているが、北極に氷のない時期ならこれまでに何度もあった。たとえば七千年前から五千年前まで二千年間つづいた完新世の最温暖期である。流氷がないと餌がとれないのなら、シロクマはとっくに絶滅していたはずである。

 近いところでは12世紀をピークとする中世温暖期がある。現在、葡萄栽培の北限はドイツ南部だが、当時はノルウェイでもワインが生産されていた。グリーンランドでは10世紀末から14世紀半ばまでの400年間、バイキングが牧畜をいとなんでいた。ヨーロッパは温暖な気候と十分な雨に恵まれた。人口は急増し、12世紀ルネサンスと呼ばれる文化が花開いた。各地でゴシックの大聖堂の建設がはじまったのもこの頃である。温暖化は北の国にとっては歓迎すべきことなのである。

 だが、温暖化によって不利益をこうむる地域もある。『千年前の人類を襲った大温暖化』はこの問題をあつかっている。

 著者のブライアン・フェイガンは自然人類学者で人類の起源に関する著書が多いが、サイエンス・ライターとしても一家をなしていて、専門からすこしはずれる気候史についても本書にくわえて『歴史を変えた気候大変動』と『古代文明と気候大変動』をものしている。

 本書はまず中世温暖期がヨーロッパにとっていかに恵みの時代だったかを描きだした後、他の地域に目を転じるが、これが死屍累々なのである。

 アメリカ大陸についていうと、北米大陸の北ではヨーロッパと同じ恩恵を受けたものの、南部のプエブロ、中米のマヤ、南米太平洋岸のチムーは数百年つづく大旱魃にみまわれ、文明が崩壊した。

 同様のことがエジプトやインド、カンボジアのアンコール朝でも起こった。亜寒帯に属するヨーロッパや北アメリカ、中国北部では温暖期でも、それまで文明の中心だった温帯や亜熱帯に属する地域にとっては数百年つづく大旱魃期だったのだ。

 いや、旱魃が数百年つづくという言い方は適切ではないだろう。旱魃というような一時的なものではなく、文明を育んでくれた降雨帯が移動してしまい、肥沃な農業地帯が乾燥地になったのである。温暖化というと海面上昇ばかりが話題になるが、フェイガンは本当に深刻なのは旱魃の方だと指摘する。正論である。

 さて、中世温暖期で得をしたヨーロッパであるが、いいことばかりではなかった。中央アジアステップ地帯旱魃にみまわれたために、食いつめた遊牧諸部族はチンギス汗の旗下、一丸となって大征服事業をはじめたのだ。モンゴル帝国である。

 モンゴルの矛先はヨーロッパにも向けられた。チンギス汗の孫のバトゥはロシア全土を手中におさめた後、ポーランドハンガリーを席巻し、中欧に狙いをさだめた。だが、二代皇帝オゴディが薨去したためにバトゥはクリルタイに出るために軍を引いた。バトゥはクリルタイからもどった後、ロシアの支配に専念し、ヨーロッパに軍を進めることはなかった。

 その理由はさまざまに忖度されてきたが、フェイガンは雨がもどり、牧草地が回復したからだとする。

 バトゥはつねに西方へ戻る野心をいだきつづけたが、本拠の牧草地の状態は良好で、彼の民はヴォルガ川とドン川からブルガリアまでの広大な領土で放牧することができた。牧草地が豊富にあって、南方の地との交易が盛んな時代には、野心的な征服に人を駆り立てるものはなかった。

 もしステップ地帯旱魃があと三年つづいていたら、ヨーロッパはバトゥの軍勢に蹂躙され、イベリア半島の突端までモンゴルの版図にはいっていたかもしれない。そうなったら、フェイガンは中央アジアと同じことが起きただろうと見ている。ヨーロッパはモンゴル帝国の交易網の一部となるのでコロンブスの航海は動機がなくなる。モンゴルの宗教保護政策によって、イベリア半島イスラム教徒がピレネー山脈を越えて影響力をのばすことも十分ありえただろう。歴史に if はないが。

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