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『かいじゅうたちのいるところ』モーリス・センダック 神宮輝夫訳(冨山房)

かいじゅうたちのいるところ

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内なる怪獣

 半世紀近くにわたって世界中のこどもたちに愛読されてきた本書を今さら取り上げるのにはわけがある。センダックの作品は、比較的多くが日本語にも翻訳されているが、彼の芸術への信仰と熱情はあまり知られていない。


 わたしがはじめてセンダックの顔を見たのは、数年前に放映されたインタビュー番組でのことだった。白い鬚に覆われて、眼光鋭いながらも眩しい笑顔を振りまく彼の形相は、『かいじゅうたちのいるところ』の怪獣そっくりだった。驚かせたのは顔貌ばかりではない。彼の口調・表情・語りのすべてには、鬼気迫る迫力と魅力があった。

 センダックは自分の絵本作家としての在り方を「ゲリラ戦」と評している。絵本という「女こども相手」の慎ましやかなフォルムを隠れ蓑にして、自身の感情の暴発を描くというのだ。現代では珍しくもないのだが、『かいじゅうたちのいるところ(Where The Wild Things Are)』が出版された60年代には、親に反抗するこどもやこどもを閉じ込める親が絵本に登場するなど不謹慎かつセンセーショナルなことであったという。優しい母親とおとなしいこどもというのが絵本の常識だった。ところが、センダックは言う。「そんなの嘘っぱち。うちの母親の食事はまずかったし、おやじは乱暴だったし、誰も彼も荒っぽかった(rough)!」

 そもそも本書は“Where the Wild Horses Are”として企画された。ところが、センダックはいつまでたっても馬が描けず、そうこうしているうちに葬式に参列していた親戚の怪獣もどきの顔ぶれが思い出されてきて、馬が怪獣になったのだという。ナチを逃れてアメリカに移民してきたユダヤ系両親は英語も話せなかった。事あるごとに「ガス室で死んでいったこどもたちのことを思えば、お前はなんて恵まれているんだ」と口にする両親は、センダックに苦々しい罪悪感を植えつけた。幼年期のセンダックに強烈な印象を与えたリンドバーグ夫妻のこどもの誘拐殺人事件、眼前で墜落死した友人、強制収容所でオペラを上演しながら殺戮されていった作曲家やこどもたちのこと、等々、センダックの話題は死を巡って止まない。センダックは自らを評して、「死に憑かれている」と言う。彼の描く柔らかいタッチの絵からは想像しがたいセリフだ。けれども、あるいはそれゆえにこそ、死の対極にある生命感への熱情と渇望もまた渾身のオーラを放っている。

 センダックは火を吹かんばかりの情熱と誠実さをもって、人生哲学を語る。人間の悪と憎悪は、所詮、拭えきれるものではない。けれども、こどもの無垢には、その宿命に対峙する勇気が胚胎している。そして、芸術は彼自身の内にも宿る野生と野蛮を鎮める道なのだ、と言う。芸術への篤い信仰を、かいじゅう顔で語る(I believe in arts!)なかで、衛生・滅菌されたような絵本、こどもや動物をセンチメンタルに捉える感傷主義への嫌悪を、センダックは露骨に表現して憚らない。彼はバリー(『ピーターパン』の作者)を痛烈にこき下ろす。

 故人となった神話学者のジョゼフ・キャンベルは、かつて『かいじゅうたちのいるところ』のひとコマに心打たれたという。主人公のマックスが、咆哮するかいじゅうたちを一括して、彼らに君臨するシーンのことだ。キャンベルによれば、それは外界の野獣ではなく、自分の内なる野獣に打ち勝ち、世界ではなく自己自身の王になる大いなる瞬間なのだと言う。自己に君臨することとは、内在する悪を一掃することではなく、それを制御することである。内なる悪に支配されることとは、悪に怯え慄(おのの)き、抱えられない悪を他者に投影することで、退治という名目のいじめと暴行を犯していくことである。たらいまわしにされる悪は、そうして蔓延し、加害者として被害者として、わたしたちは結果的に悪に翻弄されていく。その悪循環に歯止めを利かせるのは、自分の内なる悪に対峙し、その手綱を握っていくことしかない。マックスの頭上に戴く王冠には、そうした意味がある。

 人生の根本的課題を絵本や童話という形で表現する作家は少なくない。『ハリーポッター』や『ロード・オブ・ザ・リング』、『ネバーエンディング・ストーリー』をはじめとする作品が、日本のみならず世界中でヒットしているが、それらが深遠な精神性をメッセージとしていることに人気の秘密がある。読者が作家の意図する精神性をどこまで意識して読解するかは別の話だが、いずれにしてもこれらの作品に感動するには、それなりに成熟した年齢を要求する。ところが、センダックの絵本は2歳のこどもでも理解できる素朴さと簡明さを備えている。内なる怪獣を従えて自己に君臨するマックスの物語は、野性の隠れ蓑として、半世紀近く経った現代も世界中のこどもたちの無意識に王冠を与え続けているのである。


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