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『シズコさん』佐野洋子(新潮文庫)

シズコさん

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生者の務め

 本書は、題名が端的に示すように、著者の母親佐野シズコを描いたものだ。母親への積年の恨み辛み、無念と自己嫌悪など一切合財の想いを宿すシコリが、シズコの認知症と死を経て氷解するまでを描いたのが、『シズコさん』のあらすじということになる。


 豪放かつ繊細な感受性で記された母親との悪縁の内訳は、同時に、戦前戦後の時代背景を生々しく浮き彫りにもしている。感性に素直な筆致は、佐野洋子のエッセイすべてに通じる特徴で、荒ぶる時は小さなスサノオの如し。露悪的にすら映る乱暴狼藉が四方八方に吐き出されはするものの、底意地の悪さがないものだから愛嬌になる。正直なことは「裸の王様」の少年の如し。けれども、著者が指さすのは、心の内を晒して怖じけない佐野洋子自身である。心の裸身を呆気ないほど無防備に見せてしまう危なっかしさは、それ以上の痛みや剥奪を先制防御する煙幕のようですらある。

 本書が母親への愛憎に苦しむ世の娘たちに希望や慰安をもたらすのかどうか、わたしには分らない。そもそも、老いた娘が更に老いた母のベッドにもぐって寄り添うとは、なんとも無粋な所作ではないか。何も同衾しなくたってよかろう、と鼻白んでしまうのはわたしだけだろうか?冷静に考えれば、幾つになっても、要はこども心の落とし前なのだから、添い寝に辿りつくのは道理でもある。認知症の母親も折良くこども返りしていることで、過不足なかろうと思わないでもない。それでも興醒めを免れないのは、わたしのつむじか臍が曲がっているからだろうか?わたしの母子関係など佐野洋子の足元にも及ばず、ちっともドラマティックではないからだろうか?それとも、これは単なる意固地な美意識の問題なのだろうか?

 無益な詮索はどうであれ、『シズコさん』から佐野親子の葛藤を引き算したものこそがわたしには悩ましい。「母を金で捨てた」、「愛の代わりを金で払った」と繰り返す佐野洋子は、母親を老人ホームに託すことになるが、母親の末期は自分のガン告知と軌を一にする。事実、本書刊行(2008年4月)の2年後に著者は他界している。『死ぬ気まんまん』(死後刊行2011)では、より直栽に自らの死を語った著者が、『シズコさん』執筆時にどれほどの切迫感をもって余命をカウントダウンしていたのかはわからない。死の予感が執筆に深い影を落としていたには違いないが、『シズコさん』の佐野洋子は「死ぬ気まんまん」には未だ至らず、生者としての務めを気丈に果たしている。

 生者は、死者を見送り、想起し、悼む。著者は『シズコさん』によって、見事に母親を見送り、想起し、悼んでいる。けれども、さらに痛ましいのは、著者のこども時代に他界した父親、兄1人弟2人に捧げられている深い哀悼である。兄については、『右の心臓』(1988) において、既に切なる追悼がなされているとはいえ、著者の晩年の声には異なる含蓄がある。死という不気味な事態への覚悟が読める。

 

 もう母さんは父さんの事も忘れてしまっている。生まれつき右に心臓があって、虚弱だった兄を死にものぐるいに愛した母。

 少し走ると唇にチアノーゼが現れた兄は母の中から消えた。

 一度も白飯を食わずに、ねじりまゆ毛のまま四歳でむっつり死んだタダシも母さんの中には居ない。

 生まれて三十三日でコーヒーの様な血を鼻から出して死んだ正史は生まれてこなかったも同じかも知れない。

 そして突然思った。この位牌の人物の生身を知っているのは、この世で私だけなのだ。…

 人はこうして誰も知らない人になっていく。歴史に出て来る以外の何百億という人間はこうして消えてゆくのだ。

 子孫を生んで綿々と続く家系の人は、お墓の中でも先祖代々となってゆくが、三歳や十歳で子孫も作らず死んだ子供はただただ消えてゆく。

 私はむきになる。兄ちゃん、タダシ、私だけは死ぬまで覚えているからね。

 今のところは、私が生きている間はね。

 記憶をなくした母のなかには最早存在しない父や兄弟を想い、自分の死とともに彼らがもう一度消されていくという事実に戦慄する著者がそこにはいる。「消えてゆく」ことへの怒りと「まだ消さない」という自負が、激しくも素朴な言葉で表わされている。自らもまた彼らの場所へ向かう身に他ならないとはいえ、それまでの束の間、父や兄弟は、自分のなかで存在する。母親の記憶から追放された彼らを抱える著者は、大陸からの引き揚げ時に母親に代わって弟を抱えていた姿のリフレインでもある。強い責任感と母性的使命感が、一見奔放な佐野洋子という作家の根幹なのではないかとすら思う。

  「百万回生きたねこ」がようやくに他界するように、佐野洋子もまた号泣の果て、追悼の責務を終えて、回想される死者の仲間入りをした。合掌。


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