書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『ボロを着た王子様』村崎太郎(ポプラ社)

ボロを着た王子様

→紀伊國屋書店で購入

 「そら、お前は部落に生まれたからどうせダメだって人は言うかもしれんが、そんなことはない。部落に生まれようが、部落でなく生まれようが、一生懸命やらん奴の人生はつまらんのじゃ。お前のようになんもせんで腐っている奴は、お父ちゃんとお母ちゃんもがっかりするし、誰もお前を認めない。だけど、これはお前の人生じゃから、お父ちゃんは何もこうせいとは言わん。じゃが太郎、人生はおもしろいぞ。人生は素敵やぞ……」

 学校へ通いはじめて、自分がクラスのみんなと同じでないことを知り、まわりの大人たちからは、「お前は、こっち側の子どもやから、どうやっても同じや。いくら頑張っても、向こう側の人間にはなれん」と言われる。物心ついてあとの太郎少年は、親の忠告に思わずこう口答えをする小学生になってしまった、「頑張って何があるん?」。

 そこへきてさきの父親のセリフである。本書のなかでかたちを変えて何度か出てくるところをみると、少年はこのシビアだが愛のある言葉を幾度となく聞かされて育ったのだろう。

 大学受験をひかえた著者が、猿まわし芸人になろうと決意するのも、この父親の言葉がきっかけとなった。

 「これは冒険であり賭けじゃ。下手をすると目指す新世界が創造できないで、一生が台無しになる可能性があるじゃろう。だから誰もやろうとしない。じゃが、お前は挑戦しろ、万が一の好運を手中にするために、ためらうとなく踏み込め。男は戦うために生まれてきたんじゃぞ。だからロマンのない人生を生きることは無駄じゃ。結果を思いわずらわずロマンに生きろ」

 十七歳で芸人となり、二十歳で郷里の山口から東京へ。銀座の歩行者天国でいきなり猿まわしをはじめて警察沙汰となるが、これを無理を承知でやれと命じたのも父親だった。

 騒がれたことが逆に功を奏して、テレビに取材されたのをきっかけに、猿まわし芸人村崎太郎・次郎は一躍人気者となる。1991年には文化庁芸術祭賞を受賞。このときの新聞記事のコピーを、私はなぜか保存していたのでみてみると、

 大道芸の原点忘れず 村崎さん

 「賞は、次郎にいただけたものと思っております。でも、戸籍もなにもない方ですので、相棒の私に」。芸術祭賞に、猿まわし芸の村崎太郎さん(三〇)が選ばれた。相棒の次郎は京都・嵐山育ちのサル六歳。「周防猿まわしの会」(山口県光市)の看板コンビだ。

 千年の歴史がありながら一度は滅びた大道芸を、亡き父義正さんが十四年前に復活させた。その志を継いで路上に飛び出し、三年前から舞台に上がった。伝統に創意を加えた「スーパー猿芸」と銘打っている。…… (『朝日新聞』1991/12/3)

 読みかえしてみて、思い当たることがあった。そこでつぎに取り出してきたのは小沢昭一が全国をまわって採集した音源による「ドキュメント日本の放浪芸」(ビクター)。たしかこの中に猿まわしの芸が収録されていたはず……みると、七枚組CDの七枚目、「流す芸 漂泊の芸能」のなかの「猿まわし探訪」は昭和四十六年、山口での取材である。ブックレットには、その前年に「市社会教育課の紹介で、市会議員村崎義正さんを訪問。猿まわしその他のレクチァーを受ける。」とあった。著者の父親の紹介で、この取材は行われていたのだ。

 奈良時代からつづいた猿まわしは、明治以降しだいに廃り、江戸・紀州・周防の三カ所に残されたという。小沢昭一が取材をした頃、猿まわしはわずかに和歌山と山口に残っているといわれていたそうだが、和歌山のほうではすでにあとかたもなくなっており、山口での録音となった。

 そこでは、ふたりの元・猿まわし芸人が、その口上や節回しを思い出しつつ口ずさみ語り合っている。この当時著者は十歳だから、彼がまだ子どもの頃には、かつて猿まわしを仕事としていた人は周囲にいたのだ。父・義正氏は彼らがいなくなってしまう前に、この芸を後世に伝えなくてはとの思いを強くしたのだろう。そこで義正氏が白羽の矢を立てたのが、息子の太郎だったのである。

 逮捕されてもいいから銀座の路上で芸をしろ、と無茶をいうこの父親は、家族の生活もそっちのけで部落解放運動に力を尽くした人物。伝統的に部落出身者の職業とされた猿まわしの復活も、いわばその一環であった。

 「太郎、お前が部落の歴史あるこの芸を引き継げ。太郎、そしてお前がスターになれ。部落が誇れるスターになれ。」

 著者を決心させ、猿まわしとしての人生を支えたのはこの父親の言葉だったが、彼を悩ませつづけたのもこの言葉だった。

 「人生はおもしろいぞ。人生は素敵やぞ」「ロマンに生きろ」。父親の言葉に相応しい道をあるいてきた息子の自伝は同時に、彼をとらえて離さなかった苦しみの軌跡、それを乗り越えようとする決意の表明でもある。

→紀伊國屋書店で購入