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『私の献立日記』沢村貞子(中公文庫)

私の献立日記

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 今夜の献立をどうするか。


 ご飯のしたく=料理をすること、と、人のつくったものを食べるだけの人は考えるようだが、献立の決定と材料の調達からそれははじまっていて、しかも、連綿とつづく日常生活のなかで、栄養が偏らないよう、飽きがこないよう、工夫もこらさねばならず、家事というもののたいていがそうなのであるが、ここまでやればおわり、という仕事ではないので、ときには手を抜きたくなるのが人情というものだ。


 前々稿でとりあげたのは、もはや献立という概念すら崩れかかっているいまどきの家族の食卓の現実であり、それとは対照的に前稿では、「今夜のおかず」とは距離のあるきらびやかなメニューの並びにうっとりとさせられた。


 食に関する本を手に取りたくなるのはたいてい、毎日の食事づくに倦んだときである。三冊目にしてようやく、そこから脱することができそうだ。

 沢村貞子が、二十六年にわたって献立を記録し続けたのは、女優としての多忙な日々のなか、食べることを夫との暮らしの第一とした、生活者としての必要からである。はじまりは昭和四十一年、献立のことで慌てることのないように、というのがその動機であった。その都度、一から考えるのではなかなか決められないが、前日食べたものがなにか、あるいは、前の年の同じ日になにを食べていたかを知ると、不思議と献立がスムーズに浮かんでくるのだった。

 ノートは通算三十六冊におよんだ。本書のオリジナルが出された昭和六十三年当時には、三十冊目のノートが半分ほど埋まっていた。ここではその三十冊目と、一冊目の献立日記が紹介されている。くわえて、台所まわりにかんするエッセイに、「献立ひとくちメモ」なるコラムからなる。やはり目を惹かれるのは、ノートをほぼそのまま活字化した献立のならびである。

 一冊目、昭和四十一年の献立日記より。

 5/10(火)

 まぐろのお刺身

 そら豆塩ゆで

 鶏もつしょうが煮つけ

 豆腐の味噌汁

 5/11(水)

 牛肉バタ焼き

 ふき、はす、こんにゃく煮つけ

 そら豆の白ソースあえ

 油揚げ、ねぎの味噌汁

 5/12(木)

 天ぷら

 麩の味噌汁

 5/13(金)

 かつお土佐づくり

 ほうれん草のおひたし

 大根の味噌汁

 5/14(土)

 豚肉のひとくちカツ

 グリーンピースご飯

 きんぴらごぼう

 わかめの味噌汁

 5/15(日)

 かにの玉子巻揚げ

 新じゃがのベーコン煮

 しじみの味噌汁

 


 肉か魚の主菜と、副菜がいくつか、お味噌汁はかならず。私にいわせれば、まぐろのお刺身、牛肉バタやき、天ぷら、というのはかなりのごちそうつづきだが、それでも、ぜいたくと呼ぶようなものでもない。ここには、震災と戦乱をくぐり抜けてきた明治生まれの人が紡ぎ出す、戦後昭和の豊かさがあふれている。

 主菜よりも気になるのはつけあわせのお総菜のほうか。おひたしや煮つけやあえものなど、ひとり黙々とつくっているとつい、決まりきったものになってしまうが、こうして人のつくるものを知ると、たいへん参考になる。

 「グリーンピースご飯」が5月中8回も登場するのは季節柄か。そら豆もそう。「5/11(水)」の「そら豆白ソースあえ」というのは、「献立メモ」で作り方が紹介されている。気に入りのひと品だったのだろうか。ゆでたそら豆をホワイトソースであえた、なんてことのない料理だが、私はそら豆は焼くか、塩ゆででしか食べたことがない。来年の春にはきっとつくってみようと思った。

 「料理用虎の巻」であった沢村の献立日記。必要のためだったとはいえ、二十六年間、毎日つくり、書きとめてゆくのは並大抵のことではなかったろう。この日記をはじめたとき、沢村五十八歳、夫の大橋恭彦はその二歳下である。沢村は、父親ゆずりのくいしんぼうだという。着ることも住むことにはおおくを望まないが、食べることは大切にしたい。老夫婦ふたりが食べるのは、朝と夜の二回だけである。

 従って、私たちの今後の食事の回数は、残りの年月に2をかけただけである。そう思うと、いい加減なことはしたくない。うっかり、つまらないものを食べたら最後……年寄は、口なおしが利かないことだし……。


 さて、そうなると、一体、なにをどう食べたらいいのだろうか? あれこれ悩んだあげくの果てに――こう考えた。


 (いま、食べたいと思うものを、自分に丁度いいだけ――つまり、寒いときは温かいもの、暑いときは冷たいものを、気どらず、構えず、ゆっくり、楽しみながら食べること)


 なんとも、月並みだけれど――どうやら、それが私たち昔人間にとって、最高のぜいたく――そう思っている。

 冒頭、序文代わりともいえる一文に沢村はそう記したが、これは、きわめて私的な記録を人様の目の前に差し出すにあたっての口上のようなものだろう。三十六冊のノート(本の出された時点では三十冊)には、より深く、強いものが込められているように思う。

 一冊書き終えると、ノートは芹沢銈介の民芸カレンダーでくるまれ、日付が記され、本棚の隅に積み重ねられた(その実物の写真は、とんぼの本沢村貞子の献立日記』(新潮社)でみることができる)。ノートを最後まで使い切ってから装幀するところが、明治生まれの人のゆかしさだろう。この「せめてものお洒落ごころ」は、ノートへ込めた彼女の思いのあらわれでもある。

 上に書かれたことは嘘ではなかろうし、はじまりは、必要に迫られた上での思いつきだったかもしれない。それでも、本書ではことさらに語られることのない彼女の気骨は、献立の記録の集積ににじみでている。老いじたく、というのはこの人にはどうも似合わない。それまでの歳月、無我夢中に生きてきたであろう人が、六十という年齢を目前に、夫婦ふたりの残りの日々を視野に入れたときにつけた、けじめといったいいか。シフトダウンではなくてシフトチェンジ。表面的な生活はあいかわらずでも、この記録をはじめたことで、彼女のなかでなにかが変わった/変わっていったのかもしれない。それをおくびにもださず、こうと決めたことを彼女は全うした。

 私はこの先何度、ご飯のしたくに倦むんではこの本を開き、ちゃんとつくって、食べよう、と気持ちを新たにするだろうか。


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