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プロの読み手による書評ブログ

『ミレニアム 1  ドラゴン・タトゥーの女  上』スティーグ・ラーソン (著), ヘレンハルメ美穂, 岩澤雅利 (訳) (早川書房)

ミレニアム 1  ドラゴン・タトゥーの女  上

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名誉毀損で敗訴したジャーナリストと、ドラゴン刺青の女が共闘する北欧発のハードボイルド」

 スウェーデン発のハードボイルド小説である。ハードボイルド小説といえば英国かアメリカが元祖。めったなことでは英語以外の言語の海外ハードボイルド小説が日本語化されることはない。総人口約900万人のスウェーデンで、ミレニアム3部作の合計で約290万部が売れた超ベストセラー、となれば話は別だ。

 孤高のジャーナリストが社会の巨悪と戦う社会派エンターテインメント。ハードボイルドの王道である。

 ミカエルは、理想のジャーナリスト像として描写されている。仕事ができる。女にもてる。苦境に立っても屈しない。サポートする金持ちが登場する。イデオロギーを信じない。

 もうひとりの主人公、リスベット・サランデンもすばらしい。警備会社に所属するフリーの調査員。チームプレイで仕事ができない。つまらない社内コミュニケーションには関与しない。協調性ゼロ。24歳には見えない短躯。やせすぎの貧弱な体格。摂食障害のように青白い顔をし、背中にドラゴンの入れ墨をいれている。パンクファッションに身を固めた調査員が、独自の調査方法で生き抜く。この孤独なドラゴン女は、他人の秘密を探し出し、調査する天与の才能をもっている。しかし、過去に苛烈な体験があるようだ。それは第一巻では明かされない。

 このサランドンの弱みにつけこみ、性的虐待をする弁護士が登場する。サランドンは、取り乱しはしない。ひとりで復讐計画を練り、独力で実行する。その復讐方法は、そのターゲットのプライドをたたきつぶし、肉体に屈辱を刻み込む。容赦がない(のちにその弁護士から逆襲を受けることになる)

 ミカエルは、自分を名誉毀損訴訟で有罪に陥れて落ち込んでいる。そこに富豪があらわれ、実業家への復讐のための情報提供を交換条件に出してきた。ミカエルはある富豪の一家でおきた不可解な事件調査を請け負うことになる。

 第一巻では、サランデンがミカエルの調査をしたことを契機に、この名誉毀損訴訟の裏にある秘密を感じ取ることで終わっている。2巻以降では、ミカエルとサランデンがコンビを組んで、敵と戦っていくことになる。

 読み始めたら止まらない。

 スウェーデンといえば福祉国家で平和なイメージがあるが、そのイメージをきれいに裏切ってくれる。陰謀が渦巻き、ミステリーのテーマとなる社会問題がある。『ミレニアム』では、女性への暴力、とくに性的虐待である。そして、著者であるラーソンは、そのことに本気で怒っている。左翼的なメディアでジャーナリストをしていきたラーソンは、本シリーズ執筆途中、心筋梗塞で急死をしている。その死で終わる中断された物語。読者はその中断の地点までノンストップで引き回されることになる。

<追記>

この小説を知ったきっかけは、出版業界のノストラダムスの異名をとる小田光男氏の連載「出版状況クロニクル」13 (2009年4月26日~5月25日)。月刊で日本の出版敗戦を伝え続ける小田氏は、「船戸与一論」をものにするほどのハードボイルドの読み手でもあるのだ。

http://www.ronso.co.jp/netcontents/chronicle/chronicle.html

 

ミステリーという体裁にとらわれて言及されないが、『ミレニアム』シリーズは社会、政治経済体制に抗して闘う月刊誌『ミレニアム』と編集者の物語であり、この雑誌はミレニアムという出版社から刊行されているのである。つまり『ミレニアム』シリーズは闘う月刊誌、編集者、ノンフィクションライター、出版社の物語なのだ。それは反ファシズムの雑誌『EXPO』を創刊し、編集長を務めていたラーソン自身の軌跡と重なっている。

 だからこのような視点からこの『ミレニアム』を読むことも可能である。第2巻から抽出しても、月刊誌『ミレニアム』は今のスウェーデンで最も信頼のおける雑誌で、編集者は調査報道に徹し、強気で禁固刑も辞さず、出版する本は社会に衝撃を与えるものと想定されている。

 これを読んで、私はジャーナリスト烏賀陽弘道氏が巻き込まれた名誉毀損訴訟を思い出さずにはいられなかった。音楽ランキングで著名なオリコンが、フリージャーナリストである烏賀陽弘道氏が月刊誌に寄せた「コメントだけ」を問題視して、5000万円の高額訴訟で訴えてきた事件だ。出版社もその記事を書いた編集者も訴えられていない。

 『ミレニアム』では、冒頭に主人公のジャーナリスト、ミカエル・ブルムクヴィストが、詐欺的な手法で富を築いた実業家から名誉毀損で訴えられて敗訴が確定するシーンから始まる。スウェーデンの同業者が、その敗訴に冷淡であるという状況が描かれている。

 フィクションという枠組みはあるものの、日本とスウェーデンのジャーナリズム比較をするには面白い。

 『ミレニアム』ではジャーナリストの敗訴は大事件であるという認識があり、トップニュースで報道されている。日本のオリコン訴訟では、マスコミはトップニュースとしてこの事件を報道しなかった。週刊誌ジャーナリズムのようなフリーランス集団が多いメディアでさえほとんど取りあげなかったのである。

 『ミレニアム』の主人公は、上流階級出身の編集者と、富豪によって守られ、刑期を終えたあとも仕事も収入も確保できているのだが、日本でのオリコン訴訟で訴えられた烏賀陽氏は孤軍奮闘を強いられている。

 まったくなんてこったい! という感想を抱きながらスリリングな展開に引き込まれた。

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