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『私小説のすすめ』小谷野敦(平凡社)

私小説のすすめ

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私小説を断固として擁護する、小谷野節が炸裂!」

 先日、はじめて浜松文芸館に行ってきた。浜松市の文芸活動を紹介する公的な施設である。とくに、浜松に約半世紀住んで、眼科医を営みながら作家活動をした藤枝静男の存在をアピールしている。藤枝静男に関する情報は何度も浜松市内で目にしていたが、浜松に移住して3年目でようやくその存在に一歩近づいたと思う。
 浜松市工業都市である。トヨタ、スズキなどの自動車産業の原点は、織機であった。その織機による繊維産業が勃興したのが浜松市である。繊維産業が衰退したあとは、自動車と楽器の街になった。日本と世界から工場労働者を集めてきた工業都市である。その浜松市において、藤枝静男という私小説作家の存在は全くと言っていいほど知られていない。浜松市ブルーカラーの街。純文学を愛好するタイプの読者人口はきわめて少ないはずである。

 浜松市出身ではエンターテインメント作家として著名な鈴木光司がいる。ほかに、浜松市在住の作家として安東能明がいる。浜名湖の北部、三ヶ日では宮城谷昌光が健筆をふるっているという。

 文芸館館長に11月から始まる、“小説はこうして書かれた!「強奪 箱根駅伝」安東能明展”(入場無料)期間:11月7日(土)~来年1月24日(日)を教えられた。行ってみようと思っている。

 さて、小谷野さんの「私小説のすすめ」である。私小説は苦手だ。柳美里という私小説作家によるプライバシー侵害事件の裁判の傍聴をしたり、陳述書を書いたりして、柳美里の表現活動に反対の立場に長く立ったという個人的事情もあるが、おしなべて私小説は面白くない、という先入観がある。小説を書いてみようと思ったことは何度もあるが、私はノンフィクションの形式の形を借りて私小説のような文章を書いてきた。いざ書こうとすると、ユニークフェイス問題のノンフィクションとなってしまい、二番煎じのようになってしまい小説として書けない。かといって純粋な虚構としての小説を書くような資質はないし、書きたいと思えるような虚構の題材もないのだ。そもそも小説をあまり読んでいない。

 小谷野は、「私小説擁護を宣言するものであり、私小説は日本独自のいびつな文学形態だという誤りを打破するものであり、小説を書きたいと思っている人に私小説を勧める本であり、私小説を書くときの心構えを説く本である」と、本書を位置づけている。才能があろうがなかろうが、書きたいことがあるという人は私小説を書くべし。ただし、本書はプロの私小説作家になる人を読者として想定してはいない。プロのもの書きとしてのヒントを求める人には、同じく小谷野による「評論家入門」が良いだろう。売文業の現実がしっかりと書かれているからだ。

 本書を読むことで、私小説に対する偏見がとれたと思う。私小説について、以下のようなイメージを持っていた。

 日本独自の文壇事情から生まれた。かなり高い確率で面白くない長文。グローバルな時代には通用しないせせこましいことしか書かれていない。浮気とか恋愛とか、そういうよくある人間関係のもつれが大げさに文学的な装飾をしている文章の固まり。

 そのあたりのことを、毒舌というか正直な物言いで知られる小谷野はどう思っているのか。(いまとなっては崩壊しているらしい)文壇と言われるような非公式な人間関係ネットワークと共生しているような文芸批評家ではない、私小説の現状を描いたノンフィクションを期待した。

 期待通りだった。

 すこし長いが引用する。

「日本近代の文学者たちが、私小説を日本独特だと勘違いしたのは、近代日本独特の西洋コンプレックス(一方では劣等感、一方では優越感)もあるが、何より、日本の作家が私小説やモデル小説を書くと、文壇というものが狭かったため、それが実体験であり、これのモデルは誰であるということがすぐ分かったのに対し、西洋の作家の場合そうは行かないのと、日本の純文学作家は売れないので、次々と作品を書いて原稿料を稼がねばならなず、ために西洋の一部の作家のように、十分な時間をかけて小説を練り上げることができず、時には事実を洗練させて変形する暇がなく、時にはほとんど事実そのままを小説にしたりしていたせいもある」

 そして私小説とはどういうモノかという定義がなかった、という事実が明らかにされる。定義なし、議論なしのまま、私小説は日本独自の産物、ということになった。情けないが、それが日本文学の現実ということか。

 小谷野という人は、「もてない男」として生き、その自身の体験を表現して世に出た異色の評論家である。その、もてない視点は、私小説の言説分析をするときも活かされている。私小説の名作『蒲団』(田山花袋)の作品性に異議を唱える評論活動をしてきた中村光夫が、大学教授で女に不自由した形跡がなく、文壇の世界では社交的で他人を辛辣に攻撃しない紳士的人間であった、それゆえに、もてない男の煩悶表現としての『蒲団』を正確に評価できなかった、と分析する。同じく、私小説批判の急先鋒となっている評論家、大塚英志が『蒲団』を攻撃するのも、その顔貌に似つかわしくなく、大塚も女にもてるからではないか、とたいした根拠もなくしっかりと「邪推」し、その邪推を書ききっているあたり、さすがである。(東京から遠く離れると、このあたりのことはどうでもゴシップ的な記述なのだが、読んでいて爆笑してしまった)。

 また、後半になって、膝をたたいたのは、柳美里が、『石に泳ぐ魚』という小説を書いて、モデルから提訴され、最高裁で敗訴した事情の分析もよかった。

「柳の事件は、きわめて特殊な、隠されているわけではない事実を小説に書かれたという訴えであり、裁判所が原告が『障害者』だということで判断を誤ったものだと考えている」

 私は、裁判所を説得する材料を柳美里と新潮社側が提示できなかったという意味で、きわめて特殊な裁判であった、という見解であるが、それは置くとして、柳美里がモデル小説で敗訴したことは、特殊な事例であるので、普通に(何か普通かは書くときりがないので割愛するが)私小説を書く上ではまったく気にする必要がない、と自信を持って言える。それほど柳美里裁判というのは、特異な状況が連続した事件だった。

 あとがきで、ノンフィクション作家山崎朋子についての記述がある。「若い頃、つきあっていた男と別れようとして、ナイフで顔を傷つけられている。別のライターが、それを書きたいと言ったところ、山崎は『自分で書く』と言い、自伝『サンダカンまで』(朝日新聞社)に詳しくそれを書いた。他人の人生を書いてきた山崎としては、しかるべき責任の取り方だと思う」

 この「別のライター」とは私である。手紙で取材を申し込んだあと、電話をかけたところ「自分で書きます!」とガャチャンと切られた。顔に傷のある当事者、山崎を、ユニークフェイスの枠組みで取材しようとしたのである。『サンダカンまで』を読んで、作家たるもの自分のことは自分で書くべし、という矜持を教えられた。

 私は矜持のある私小説が好きなのだが、小谷野は人間の情けなさを暴露するのが私小説の王道であるという。

 思い当たることがある。私の自伝『顔面漂流記』読んだ人から「セックスの体験をお書きになっていないので童貞かと思いました。やはり顔にアザがあると女性にもてないでしょうからね」。かちんと来たので「ノンフィクションにセックス表現はなじみませんので」と応じた。これは逃げでした。

 

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