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『セルフビルド-自分で家を建てるということ』石山修武=文、中里和人=写真( 交通新聞社)

セルフビルド-自分で家を建てるということ

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家が似合う人たち


大人になったら誰もが家を作るのだと思っていた。一軒家が並ぶ田舎だったし、左官業をやっていた祖父のところにお弟子さんや職人さんが多数出入りしていたことも影響していただろう。色とりどりの壁土やタイルや道具に囲まれて仕事するようすはとにかく楽しそうだったし、時々連れて行ってもらった「建前」の席は厳かで華やかで、憧れの大人の世界だった。家を持ってもいい年頃の「大人」になったが、現実にはその時がやってこない。いろいろな場所で暮らしてみたいし賃貸物件を探すのも楽しいし、必要に迫られる時がきたら考えようとあてのないその「時」を待つふりをしている間に、「家」が遠くなっていた。


金額で、考えてしまう。欲しい「家」はものすごく高く、手が届きそうなヤツは欲しくない。必ずそうだ、そうなのだ。あたりまえ、世の中トハそうなのだ。とか言ってるうちにほんとに世の中は狭くなって小さくなってつまらなくなり、「家」が別物になってゆく。いつの間に、こんなふうに値段のついたものばかりを見比べてモノを言うようになったのだろう。クレヨンで描いたときもブロックで作ったときも、タイルの見本を並べたときも定規で間取り図を引いたときも、いつだって「家」はゼロから作るもので、それは虫や鳥の観察で知った家作りと同じだった。


     ※

中里和人さんの写真で紹介されているのは、川合健二のコルゲートハウスや磯崎新の隠れ家、石山さんの自邸・世田谷村、貝がら公園にマザー・テレサの「死を待つ人の家」、栃木県烏山町山あげ祭や水上生活する船……。そして、日本のエレガントなセルフビルドの小屋の元祖、鴨長明の方丈の小屋や松浦武四郎の泰山荘、ルノワールの絵のようだとC君が言ったIオバサンの菜園小屋から、これって家?まで。

趣味性の高いものよりも、なんだかいろいろやってるうちにこうなっちゃったのよねーが好ましい。千葉の「サーファーの家」なんか、最高。サーファーのおっさんが作る船の形(など)の家で、奥さんがやっている美容室「サンタクロース」の隣で十二、三年作り続けているそうだ。こんな家にはそんな家族がいるもので、妻も子も「マ、いいんじゃないの」。凄くもないし変でもない、ただのウチのお父さんが好きでやっている事。船の形をした部分はもう古くなってきたので、今度はピラミッド型にしようと考えている、そうだ。


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この本は、家を作った奇人変人のカタログではない。石山さんは言う。

セルフビルド(自己表現としての生活術)は、それぞれの人間の生に、つまり生活にこそ総合(全体)を見てゆこうとする技術の在り方です。……消費のサイクルから自律を具体的に求めようとする事でもあります。


それぞれがそれぞれの歴史と場所で、それぞれの再生の方法をセルフビルドとして示している。「大量消費教」に呑み込まれている私たちが、その姿に少量多品種型生活の一つの像を見て、自分を全うする意志や情熱を呼び覚ましたまえ、この本はそのためのガイドブックなのだ、と言う。

よれよれでも派手でもなんでも、着ている洋服がものすごく似合う人がいる。かっこいいでも欲しくなるでもなく、また真似てみたところで同じようになるはずもないが、あまりによく似合うので、妬ましくなる。『セルフビルド』の人たちも、それぞれの家がものすごくよく似合う。誰でもない誰かが、洋服や家の具体をもってこうして立ち上がるのを知ったとき、自分の中にある誰でもない誰かの予感に胸が湧くのか。石山さんが繰り返し口にした「自己表現」とは、そんなようなものではないかと私は受け取る。


ブックデザインはコズフィッシュ、祖父江慎さんと安藤智良さん。A4判を横に使うことで写真が伸びやかに配置されたが、机の上で広げるしかなくてやっぱり読みにくい。いわゆる”まえがき”にある石山さんを何度でも読みたいので、ここだけでも開きをかんがみてばーんと縦に組んでもらったらもっとよかったです。なにしろこのいわゆる”まえがき”が、いい。


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